第三章10 願いの鎖
一体、誰がこうなることを予測できただろうか。ミコトとユウ、そしてエイタとの間にあった接点――いや、因縁を。本人たちですら予想だにしなかったのだから、それは誰にも分かるはずがなかった。
「これは驚いたな。世間は狭いとはよく言うが、こんな偶然があるもんかねぇ」
さしものエイタですら、そうこぼす。トワも、アカリもリョウカも、ただただ驚きを表情に浮かべている。
しかし――ミコトと、ユウは。
「本当に驚きだよ。――こんなチャンスが巡って来るなんてな」
低く呟いたユウは、前触れも無く駆け出した。
ミコトとユウだけは、驚きを凌駕する怒りを抱えていた。
二人の幼馴染、橘瑞生は――目の前にいる男の身代わりで死んだのだ。その事実は、二人から冷静さを奪うには十分だった。
「ユウくん!」
しかし、ミコトとユウではその結果の行動が異なった。
猛然と、エイタに向かって創り出した武器を構えながら駆けるユウと。
それを呼び止める、いつもでは考えられえないほど表情を消したミコト。
その怒声は、同じく怒りに囚われたユウを引き止めるほどの強さを持っていた。
「なんだ、来ねぇのか?」
「ミコト、なんで止めるんだ! コイツのせいで瑞生は死んだんだぞ!」
拍子抜けした声を出しながらも、油断なく構えるエイタ。そんな彼を指差して、ユウはミコトに抗議の声を怒鳴り散らす。
「だからだよ」
答えるミコトの声には余りにも感情が感じられず、思わずユウも気圧される。
「その人は、絶対に許さない。だから、必ず生きて罪を償わせる――瑞生ちゃんのお蔭で助かった命だって言うなら、尚更そうだよ」
ミコトのその言葉は、ある意味で余りにも正しく――そして、決定的に間違っている。
「罪を償わせる、ねぇ……。犯した覚えのない罪を償うことなんてできねぇな。それに――お前に、それができるのか?」
エイタは挑発でもなんでもなく、思ったままのことを口にしている。彼に罪の意識は無いし、ミコトに自分をどうにかできるとは全く思っていない。
「聞いたろ、アイツはああいうヤツなんだ。生かしておいたら、絶対にまたどこかで同じようなことをしでかす」
他の誰を犠牲にすることで自分の命が助かる状況なら、彼は迷わずにそうする。他の人間ならそこに罪の意識を感じるかもしれないが、彼に限ってそれはあり得ない。
「それでもダメだよ。だって――約束したんだ」
『誰よりも命を大切に』。それが彼女との――瑞生との約束だ。
彼女のためを思うと言うなら、それはミコトにとって約束を守ることが全てだ。彼女だって、敵討ちなんて望むはずがない。
「くくくく……はーっはっはっは! コイツは傑作だ!」
と、唐突に笑い声が響き――エイタが、その表情を歪めてこちらを見ている。
「ミコト、そう言えばちゃんと聞いてなかったな。……お前は、なんでその能力を選んだんだ?」
今さら過ぎるその問の意味は、ミコトには分からない。ただ一つ、分かっているのは。
「決まってる……一人でも多くの人の命を救うためだよ」
それが、ミコトのただ一つの願いだということ。
「ああすまん、聞き方が悪かったな。……じゃあ、どうしてお前は人の命を救いたいんだ?」
可笑しくて仕方がないというように笑いながら、エイタはそう問いを重ねる。
「どうしてって……人の命は大切なもので――」
「本当に?」
反射的に答えるミコトの言葉に、エイタの問いかけが被る。そして彼は、畳み掛けるように言葉を続ける。
「どうしてそう思う? 生きる価値のない人間なんて、そこら中にゴロゴロしてる。性根の腐った人間も、何も生み出さない無意味な人間も、人に害を為すだけの居ない方がいい人間も。それでもお前は、全ての命を大切だと思うのか?」
その言葉は問いかけの形を取りながら、しかし確実にミコトの思想を否定していた。
命の価値は平等じゃない。それがエイタの主義であり主張であり、そして事実の一端を捉えた確かな思想なのだろう。
しかし、たとえそれが事実であろうとも。
「僕は……約束したんだ。『誰よりも命を大切にする』って」
そのミコトの答で――エイタの表情から、笑みが消えた。
「やっぱりな。ミコト、お前にはガッカリだよ」
冷え切った目で、冷め切った声で。エイタは、ただ面倒くさそうにミコトに告げる。
「お前の願いは借り物だ。お前はただ、その願いに縛られているだけ。そこにお前の意志は無く、決意は無く、意味は無い。無責任な願いに無責任な願いが連なって、身動きが取れないお前が居るだけだ」
その言葉が、単語一つ一つが、一音一音が。
ミコトの心を突き刺し、掻き回し、引き裂いていく。
――違う。そんなことはない。僕は僕の意志で。皆を助けるって。
言葉が内側から止めどなく溢れては、外に出る前にしぼんで消えていく。
彼の言葉を否定しようとすればするほど、自分の心を肯定しようとすればするほど、自分の中身が空っぽなことに気が付く。
引き裂かれた心のどこをどう見ても、そこには何もない。
あるのはたった一つ、あの日言われた言葉だけ。たった一言、それのみがミコトの全てだった。
「うぁ……うぅああああああああ!!」
その事実が恐ろしくて、その事実を認めたくなくて、ミコトは叫ぶ。
考えることを放棄し、ただ雄叫びを上げながら走る。
そこに意志は無く、決意は無く、意味は無い。その姿は、ただ叩かれた反射で走る、獣のようなものだった。
そんな無意味で、無謀で、無価値な突貫は。
「トワ」
「はい」
たった二言のやり取りの後に振り抜かれた、トワの銀の武器によって。
「ミコト!!」
「ミコトくん!!」
あっさりと、切って捨てられた。
――熱い。
身体は焼けるように熱い。心は燃えるように熱い。脳が沸騰するほど熱く、腸が煮えるほどに熱い。
熱さの原因も分からないまましかし、ただその熱が徐々に失われていく感覚がある。
それは、熱を帯びた血液が零れ落ちる感覚。
いつの間にか身体の前面が大きく切り裂かれていて、そこから血が止めどなく溢れ滴り落ちる。
ボトリと音がしたと思って目を向ければ、それは見覚えのある石だった。
身体といっしょくたに切り開かれた制服、その内ポケットから転がり落ちた『宝』だ。
「ああ、やっぱり持ってたな。これで完全に、お前らに用事は無くなった」
エイタが喋る声を遠くに聞きながら、目の前の宝がトワの伸ばした棒に器用に回収される。
だがそれを止めようにも、身体が言うことを聞かなかった。
「じゃあな。もう二度と会うこともないだろ」
そう告げて走り去ろうとするエイタの背中が――ミコトに、もう一度火を入れる。
「待て!!」
無理矢理にそう叫ぶと、傷口からは血が噴き出す。それに構わず、ミコトは身体の悲鳴を無視して走り出した。遠ざかるエイタを逃すまいと、それだけを考えて。
「馬鹿、動くなミコト!!」
後ろから聞こえるユウの声も無視し、ただひたすらエイタの背中を追う。
森の中に入った彼らを追って、ミコトは突き進む。茂みが腕に引っ掛かるのも、木の根が足を掬うのも全て無視し、ただ真っ直ぐに。
今までにないスピードで森を駆けるミコトに、ユウたちは追いつけないようだった。
――意識が朦朧とする。何故走れているかも分からないし、傷口がどうなっているかも分からない。
好都合だ。この後どうなったっていい。ただ、彼らを捕まえられさえすれば。
ミコトは、それだけを考えて走り続けた。
**************
森の中を駆けるエイタは、ちらりと後ろを振り返る。
そこには、血を流し続けながらも尚追いかけてくるミコトの姿があった。
「差し出がましいようですが――何故、彼らを消さなかったのですか? エイタ様なら、造作も無い事でしょう」
横で駆けるトワもまた、後ろを振り返ってそうエイタに訊ねる。
確かに彼らの能力はもうほとんど知れているし、エイタが本気で戦えば負けることはないだろうと思う。しかし――
「ヤバいと思ったからだよ」
一言で答えると、トワは首を傾げる。
「ミコトさ。アイツは今、完全に頭がおかしい。ああいうヤツは、何をしでかすか分からないからな……近付かないに限る」
それは、あの傷で今尚全力で走っていることからも明らかだ。どう見ても普通の精神状態ではなく、そういう輩は次の行動の予測がつかない。
「でも……左手の能力は通じないんですよね?」
「それが、そうでもねぇんだよなぁ……」
尚も疑問を口にするトワだが、答えるエイタの顔は渋い。
「さっきはああ言ったけどな。左手の能力の優劣は、イメージ一つでひっくり返る不安定なものなんだよ。理性の残ってる連中ならあの説明で俺の勝ちは確実なんだが……ああなったヤツだとひっくり返されかねない」
「はあ……そんなものですか」
エイタの発言はトワにはよく意味が分からなかったが、彼が言うならそうなのだろうと納得する。
「そんなもんだよ。それに、アイツらもいずれ気が付く。俺の無敵はお前あってのものだってな」
「恐縮です」
そちらの発言は、事前にトワには知らされている事実だ。
「よせよ。別に褒めてる訳じゃねぇ、ただの事実だ。――っと、言ってる間に着いたな」
かしこまるトワにそう返すと、走る先に開けた空間が見えてくる。
ゲームクリアのために訪れなければならない地点、台座だ。
「ちっ……やっぱり振りきれなかったか。やるぞトワ」
しかし、ミコトはまだ追いすがっている。
苛立ちを浮かべながら、エイタは覚悟を決めてそう告げた。
*************
こんなことは、初めてだった。
十年だ。それだけの月日をいっしょに過ごしてきて――怒りで我を忘れたミコトを見るのは。もしかしたら、彼を駆り立てるのは怒りではないかもしれないが。
「くそっ、速いな……」
前を駆けているミコトの速さは、はっきり言って異常だ。傷の状態からして走れるはずがないのに、森の中の何もかもを無視して突っ切っている。
「ミコトくん……」
不安げにそう呟くのはユウと並んで走るアカリで、リョウカは三歩ほど遅れて後ろを走っている。
「でも、追いついたところで、どうにか、できるんでしょうか?」
体力の差か、息を切らしながらそうリョウカが問いかける。答えるのは当然ユウだ。
「エイタたちをって意味なら、正直無理だ。追いついたら、まずミコトを止める。その上で狙えそうなら、宝を一つだけでも奪いたい」
台座に辿り着いて、エイタたちが宝をそこにはめ込むのにそう時間が掛からない。それまでに彼らを倒すなんて土台無理な話だ。
だが、だからと言ってただ指を咥えて見ていれば、宝は全て持ち逃げされる。今までのゲームの経験からすると、所持品はクリアした人間の一部とみなされているのだろう。事実、ケータイなどは全て問題なくついて来ている。
だからこそ、彼らは宝を四つも所持していたのだ。ただクリアするだけなら、二つ手に入れた時点でさっさと台座に行けばよかった。
それをせず、更に台座で他の参加者を待ち受けていた理由は一つしかない。
敵の数をなるべく減らす。彼らは既に、次のゲームを見据えて行動していたのだ。
「とにかく、まずはミコトだ。止めるか、フォローに入って絶対に守る。アイツが消されたら終わりだからな」
ユウがそう方針を固めると、アカリとリョウカは頷いて答える。
「よし――そろそろ台座だ、見えてくるぞ!」
目前に迫った開けた空間に、三人は走り出る。
まず目に映ったのは、台座の中心に駆け寄るエイタとトワ。
その少し手前、彼らに向かってひたすらに走るミコト。
「ちっ――トワ! 先に行け!」
台座は一つしかなく、一人ずつしか宝を置くことができない。
この速さなら、二人目が宝を置く前にミコトが辿り着く。
素早く状況を判断したエイタの叫びが響き、即座に指示に従うトワが台座に向き合う。
そのとき、ユウの脳裏に電撃的に閃く作戦があった。
「ミコト! そのまま突っ込め!」
聞こえてるかどうかは定かでないが、ミコトの速度は緩まらない。
ユウは地面に手を着くと、棒を伸ばして移動を開始する。この距離なら、走るよりもこの方が速い。
ユウの身体が加速すると同時、トワが台座に宝をはめ込むのが見える。
彼女は光に包まれ、徐々にその姿が薄くなっていく。
横目にミコトを追い越す。そして、待ち構えるエイタの上をそのまま飛び越える。
トワの姿はまだかろうじて残っているが、今何をしたところでもうクリアは確定しているだろう。
つまり逆に言えば――彼女はもう、何もできない。
ユウがトワとエイタの間に着地すると同時、ミコトがエイタまであと一歩という位置に迫っていた。
応じるエイタには、一瞬の迷いが生じる。それを、ユウは分かっていた。
ミコトは今、傍目に見てまともじゃない。彼の挙動を予測するのに、どうしても一瞬の躊躇が生まれる。
その隙に、更に判断を迫る要素を差し込む。
エイタの頭上に残る棒を、とりもちへと変化させて落としたのだ。
とりもちに捕まれば、身動きは取れなくなる。それを防ぐには、とりもちに『影の王』を使う必要がある。
ミコトに左手で触れられれば、退場することになる。それを防ぐには、自身に『影の王』を使う必要がある。
そして――もしミコトが右手を使ったとすれば、消えることになる。『影の王』ではそれは防げない。
彼の能力に目を奪われて気付いていなかった。だが、彼もまた『同時に能力を発動できるのは一つ』だけなのだ。つまり、トワというフォローの無い彼は、捕縛と退場を同時に捌けない。
そして、彼にとってはもう一つ選択肢に入るミコトの右手。
迫る三つの脅威への対策を彼は一瞬考え、そしておそらく――最適解を出す。
すなわち――左手でとりもちを消し、右手をミコトに向けて伸ばす。これで、全ての脅威は脅威でなくなる。
そこまで、ユウは読み切った。
左手は頭上、右手はミコトに向いている。今なら、駆け寄るユウに応じる手段はない。
目標は彼の制服のブレザー、その左側のポケット。彼がそこに宝を入れたのを、ユウは知っていた。するりとユウの左手が入り込み、宝のザラリとした触感を指が認識し――
強烈な衝撃が、ユウの腹部で弾けた。
「かっ――」
声と息を漏らしながら、ユウの身体は吹き飛ばされる。
「いやあ、お見事お見事。ヒヤッとしたぜ」
言葉を聞きながら、エイタが左脚を上げているのが目に入り――ユウは今、自分が蹴り飛ばされたのだと理解した。
そして視界の端、ミコトが倒れ伏しているのが目に入った。どうやら、彼に手を届かせる前に力尽きて倒れたようだ。
左手を伸ばして倒れる彼は、むしろ運が良かった。そのまま突っ込んでいたら、今頃エイタの右手の餌食になっていただろう。
「俺の思考を読み切って、宝に狙いを絞ったのは素晴らしい判断だ。ユウ、お前はやっぱり見所あるぜ。ただ、一つ忘れてたみたいだな」
悠々と評価を下しながら、エイタは台座まで歩く。そして、台座に右のポケットから取り出した宝をはめ込んだ。
「ツトムもそこそこ強かっただろ? じゃあ、アイツより優秀な俺がもっと強いのは当たり前だ。見落としでまたも減点だな、ユウ?」
ニヤリと笑ってそう告げ、光に包まれるエイタに――ユウもまた、ニヤリと笑う。
「置いたな、宝。俺の勝ち――とは言わないけど。これは引き分けだよ」
そう言って、ユウは倒れた身体を起こして座り――左手を上げる。
「何を――」
エイタの言葉は、そこで途切れた。何故なら、左のポケットに突如引っ張られる感覚を覚えたからだ。
「そう言えばちゃんと説明してなかったな、俺の能力。『接続』――左手で触れた物を、自分と繋ぐ能力。繋がり方は何でもアリ。そう――目に見えない繋がりでもね」
ユウの言葉を証明するように、エイタのポケットから宝が飛び出し――吸い付くようにユウの左手に収まる。
「『引力』――アンタの兄貴に教えてもらったやり方さ。これはありがたく頂いていくよ」
エイタは呆気にとられた表情をした後――突然笑い出した。
「ははははは! いやぁお見事。いいだろう、ソイツはアンタにやるよ。コイツは一本取られた」
徐々に消えていくエイタは、心底楽しそうにそう言った後、
「誰が上がって来るか知らないけど――次は全力でやらせてもらうぜ。楽しみにしてな」
挑発的な言葉を残し、完全に姿を消した。
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視界がぼやける。ひどく薄暗く、はっきりと見える物が何もない。音を拾う機能も職務放棄をしているらしく、全ての音がぼんやり遠くに聞こえる雑音でしかない。
直前の記憶すら曖昧で、自分が何をしていたのか分からない。
ただ、自分が必死に手を伸ばしていたことだけは分かる。力なく落ちた左手は、やはり力が入らないが。
死んでもいいと思うほどの気持ちでそうしていたはずだ。だからありったけの力を振り絞り、首を少しだけ上に向けた。
かろうじて認識された視界の中で――ある男の姿を見た瞬間、ミコトの記憶は全て取り戻された。それに引っ張られて、少しだけ感覚が戻ってくる。
男――エイタの高笑いが聞こえる。何やら話しているようだが、その内容までは聞き取れない。
ただ彼の姿が光に包まれ、徐々に消えていくことだけは分かった。
それはつまり、ミコトは敗北したということ。
やがて彼の姿が完全に消えたのを確認し――ミコトもまた、絶望の中で意識を失った。




