番外⑤:隣にいる理由(3年・冬〜卒業前)
やっとです。
冬の空気は、静かで少しだけ冷たい。
吐く息が白くなる帰り道。
校舎の灯りが、背中に淡く残っていた。
石畳を踏む音が、いつもよりはっきり聞こえる。
風が吹くたび、首元に冷たさが入り込んで、ミアは少しだけ肩をすくめた。
「もうすぐ、卒業かあ」
ミアが空を見上げながら言う。
薄い雲の向こうに、冬の夕空が広がっている。
高くて、遠くて、少しだけ寂しい色をしていた。
「……早かったな」
キースは短く答える。
いつも通りの距離。
隣を歩けば、手が触れそうで触れないくらい。
でも、その“いつも”がもう長くないことを、二人とも分かっていた。
「ねえ、キースはさ」
「なんだ」
「卒業したら、どうするの?」
少しだけ、真面目な声。
キースは少しだけ間を置いてから答える。
「家に、戻る」
「……実家?」
「ああ。親が牧場やってるからな」
淡々とした口調。
「手伝うつもりだ」
それはきっと、前から決めていたこと。
迷いのない声だった。
「そっか……」
ミアは小さく頷く。頭では理解している。
けれど、冬の風が胸の奥まで入り込んだみたいに、少しだけ息がしづらくなった。
(遠く、なるんだ)
その現実が、ゆっくり胸に落ちてくる。
「ミアは?」
逆に問われる。
「私は……教師か、役人かな」
「へえ」
「魔法、ちゃんと使えるようになったしさ。誰かの役に立てたらいいなって」
少しだけ照れながら笑う。
冷たい風が頬を撫でて、首元の髪を揺らした。
言葉にすると、未来が急に形を持った気がした。
「ミアらしいな」
ぽつりとした一言。
それだけなのに、少しだけ胸があたたかくなる。
でも、その温度の奥に、別の感情が混ざる。
「……ねえ」
「なんだ」
「離れちゃうんだね、私たち」
言ったあとで、少しだけ後悔した。
こんな言い方、したくなかったのに。
キースは足を止めた。
ミアも、つられて止まる。
冬の空気が、静かに二人を包む。
遠くで誰かの笑い声が聞こえて、すぐに風の中へ消えていった。
「……そうだな」
短い返事。
その一言が、思ったよりも重くて。
ミアは視線を落とす。
足元に伸びた二人の影が、夕暮れの道に細く並んでいる。近くにいるのに、もう遠くなる未来を見せられているみたいだった。
(やだな)
(このまま、終わるみたいで)
胸の奥が、きゅっと締まる。
「……でも」
キースが、小さく続けた。
ミアが顔を上げる。
冬の夕風が、二人の間をすり抜けた。
冷たいはずなのに、その声だけがやけにはっきり耳に残る。
「離れても、会いに行く」
「……え?」
一瞬、意味が分からなかった。
「それくらいは、していいだろ」
いつもと同じような、ぶっきらぼうな言い方。
でも――その目は、ちゃんとミアを見ていた。
逃げないで、まっすぐに。
夕焼けの光がキースの横顔を淡く染めている。
白く吐いた息が、すぐに冬の空気へ溶けていった。
胸の奥が、強く揺れる。
「……それって」
言葉が、続かない。聞きたいのに、怖い。
でも、聞かなくても分かってしまいそうで。
指先が冷えているのに、頬だけが少し熱い。
次の瞬間。
ぐっと、腕が引かれた。
「え――」
気づいたときには、キースの腕の中にいた。
強く、でも乱暴じゃない。
しっかりと包み込まれる感覚。
制服越しに伝わる体温。
冬の空気に冷えた頬に、キースの胸元のあたたかさが触れる。
「……キース?」
驚きで、声が少し震える。
「こういうの、言葉にするの苦手なんだよ」
低い声が、すぐ近くで落ちる。
耳元に届くその声は、いつもより少しだけ掠れていた。
心臓の音が、自分のものなのか、相手のものなのか分からなくなる。
「だから」
一瞬、言葉が途切れて。
「察しろ」
いつもの調子。でも、その腕は離れない。
ミアは一瞬だけ固まって――ゆっくりと、その背中に手を回した。
キースの制服は、外の冷たさを少し含んでいる。
けれど、その奥にある体温はちゃんとあたたかい。
(……ああ)
やっと、分かる。
言葉にされなくても、ちゃんと伝わるものがあるって。胸の奥が、じんわりとあたたかくなる。
冬の風はまだ冷たい。吐く息も白い。
それでも、今だけは寒くなかった。
「……ずるいよ、それ」
ミアは小さく笑った。
白い息が、キースの胸元に触れるくらい近くで揺れて、すぐに冬の空気へ溶けていく。
「なんでだ」
「ちゃんと好きって言ってくれないのに」
少しだけ意地悪に言う。
キースは一瞬だけ黙った。
腕の力は緩まない。背中に回された手のあたたかさだけが、言葉の代わりみたいに残っている。
それから、キースは小さく息を吐いた。
「言わなくても分かるだろ」
ぶっきらぼうな声。
けれど、耳元で落ちたその声は、いつもより少しだけ熱を持っていた。
ミアはくすっと笑う。
「……うん、分かる」
その答えで、十分だった。
冬の空の下。
白い息が重なって、静かに溶けていく。
冷たい風が頬を撫でても、もう寒くはなかった。
離れる未来があっても。
それでも、きっと。
この距離は、終わらない。




