番外④:言えない気持ち(3年・秋)
これは、ミアがキースへの気持ちに気づき始める、三年秋の小さなすれ違い。
秋の風が、校舎の窓を静かに揺らしていた。
高く澄んだ空の下、木々はゆっくりと色を変え始めている。
「ねえ聞いてよ、今日さ――」
昼休みの教室。
ミアの明るい声が響く。
「訓練でさ、先生がいきなり難しい課題を出してきて――」
身振り手振りを交えて話すその姿に、周囲の空気が自然と柔らぐ。
「で、どうしたんだ」
キースが頬杖をつきながら、ぼそっと聞く。
「ちゃんと成功したよ! ちょっと危なかったけどね」
「それ、“ちょっと”で済んでねえだろ」
そう言って、キースはほんの少しだけ口元を緩めた。
「大丈夫だってば、ちゃんと見てたでしょ?」
ミアは当然のようにキースを見る。
窓から入った秋の風が、机の上の紙をかすかに揺らした。昼休みのざわめきの中で、一瞬だけ視線が合う。
「……まあな」
キースは短く答える。
そっけない声。
でも、ちゃんと見ていたことが分かる声だった。
(……やっぱり見てたんだ)
胸の奥が、秋の日差しを受けたみたいに少しだけあたたかくなる。
そんな空気の中――
「ミア、ちょっといい?」
別の声が割り込んだ。
隣のクラスの男子だった。
「あ、うん?」
軽く立ち上がるミア。
「ちょっと外で話せる?」
「今?」
「すぐ終わるから」
少し迷ってから、ミアは振り返る。
「ごめん、ちょっと行ってくるね」
「ああ」
キースは短く答えた。
それだけ。
いつも通りの声だった。
だからミアも、いつも通りに笑って教室を出た。
けれど、扉が閉まる直前。
キースの視線が少しだけこちらを向いていたことには、気づかなかった。
◇
廊下の窓際。
差し込む秋の光が、床に長い影を落としている。
教室のざわめきは少し遠く、窓の外では色づき始めた葉がかさりと揺れていた。
「で、どうしたの?」
ミアはいつも通りの調子で聞く。
けれど相手は、少し緊張した様子で視線を逸らしていた。
「あのさ……前から思ってたんだけど」
その一言で、なんとなく察する。
(ああ、これ……)
「ミアって、明るくてさ。誰とでも話せるし……」
言葉を探しながら、ゆっくりと続く。
「その、よかったら……今度、二人で――」
そこまで聞いて、ミアは少しだけ困ったように笑った。
「ごめん」
やわらかい声だった。
「嬉しいけど、今はちょっと……そういうの考えてなくて」
嘘ではない。
けれど、それだけでもなかった。
なぜか、すぐ隣の席にいる人の顔が浮かんでしまう。
それを口にすることは、まだできない。
「そっか……」
相手は少しだけ肩を落とした。
「でも、ありがとう」
ミアはちゃんと伝える。
少し気まずい沈黙のあと、会話は静かに終わった。
◇
教室に戻ると、いつも通りの空気がそこにあった。
誰かの笑い声。椅子を引く音。
窓から入り込む秋の風が、机の上の紙をかすかに揺らしている。
「おかえりー」
誰かが軽く声をかける。
「ただいまー」
ミアも同じ調子で返す。
けれど、席に戻ったとき。
キースは何も聞かなかった。
いつも通り、机に肘をついているだけ。
視線も、こちらには向かない。
(……あれ?)
少しだけ、引っかかる。
別に、聞いてほしかったわけじゃない。
そう思うのに、胸の奥に小さな違和感が残る。
ミアは椅子に座りながら、ちらっと横を見る。
「……何も聞かないの?」
つい、口から出た。
「何を」
キースは視線も向けずに返す。
「さっきの」
「……別に、関係ねえだろ」
少し間があってから、そう答えた。
淡々とした声。
それが、ほんの少しだけ冷たく感じた。
(……そっか)
胸の奥が、ちくりとする。
「まあ、そうだけど」
軽く笑って誤魔化す。
でも。
(なんでちょっと期待してたんだろ)
何か言われると思っていた。
少しくらい、気にされると思っていた。
けれど現実は違う。
キースは変わらない。いつも通り。
(……別にいいけど)
そう思うのに、どこか引っかかる。
◇
放課後。
校舎の外は、やわらかな夕焼けに包まれていた。
昼間より少し冷えた風が、制服の裾を揺らしていく。
並んで歩く帰り道。
石畳を踏む音だけが、二人の間に小さく響く。
しばらく沈黙が続いた。
「……さっきのやつ」
不意に、キースが口を開いた。
「え?」
「断ってただろ」
視線は前を向いたまま。
けれど、その声はいつもより少しだけ低い。
「……見てたの?」
「たまたまな」
短く答える。
夕焼けの光が、キースの横顔を赤く染めていた。
表情はいつも通りなのに、どこか落ち着かないように見える。
「そっか」
ミアは小さく頷く。
少しだけ間があく。
「なんで断ったんだ」
ぽつりと落ちた言葉に、ミアは思わずキースを見る。
「……気になったの?」
「別に」
即答で返ってくる。けれど、その返事は少しだけ早すぎた。
少しだけ視線を逸らす。
「今はそういう気分じゃなかっただけ」
それも嘘じゃない。
でも、本当の理由は――。
(……言えるわけないじゃん)
すぐ隣にいる人のせいなんて。
「ふーん」
キースはそれ以上、何も聞かなかった。
また沈黙が落ちる。
夕焼けの光が、二人の影を長く伸ばしている。
並んでいるのに、その影だけが少し離れて見えた。
(なんで何も言わないの)
胸の奥で、小さな声が揺れる。
(少しぐらい、気にしてくれてもいいのに)
そう思った瞬間、自分でも驚いた。
気にしてほしい。聞いてほしい。
ほんの少しでいいから、いつもと違う顔をしてほしい。
そんなことを思っている自分が、なんだか悔しかった。でも、その言葉は口に出ない。
一方でキースは――
(……あいつ、普通に断るんだな)
内心で、そんなことを思っていた。
(なら、別にいいか)
そう思ったはずなのに、胸の奥に残った小さなざわつきは消えない。
関係ない。そう言ったのは、自分だ。
それなのに、隣を歩くミアの横顔が、いつもより少し遠く見えた。
言葉にする理由は、まだなかった。
けれど確かに、何かが変わり始めていた。




