番外③:雨の音と、少しの熱(3年・夏)
ミア×キース
夏の山小屋で…
空はさっきまで、あんなに晴れていたのに。
「ちょっと待って、これやばくない?」
ぽつり、と落ちた雫が、次の瞬間には一気に強くなる。
「……降るな」
「いや“降るな”じゃなくてもう降ってるって!」
ミアが思わず声を上げた瞬間、ざあああっと音を立てて雨が降り出した。
「ちょ、ちょっと! 走るよ!」
「分かってる」
二人で駆け出す。夏の雨は遠慮がない。
数秒で服がじわっと濡れてくる。
「うわ、最悪……!」
「こっちだ」
キースが少し前を走りながら、手で方向を示す。
視界の先に、小さな山小屋が見えた。
「助かった……!」
二人はそのまま中へ駆け込む。
◇
屋根を打つ雨音が、強く響いている。
小屋の中は薄暗く、湿った木の匂いがした。
古い床板には雨で濡れた足跡が残り、外から吹き込んだ冷たい空気が肌にまとわりつく。
「はあ……びっくりした」
ミアが息を整えながら、濡れた髪を払う。
指先に触れた髪は冷たく、雫がぽたぽたと床に落ちた。肩も、腕も、制服の裾までびっしょり濡れている。
「……結構濡れたな」
キースも同じだった。
髪の先から水が滴り、濡れた制服が肌に張りついている。
雨の匂いと、土の匂いが小屋の中まで入り込んでいた。
「夏でよかった……って言いたいけど、普通に寒いんだけど」
「そりゃ濡れてるからな」
ミアが小さく身をすくめる。
濡れた服が風を吸って、体温を奪っていく。
肌に触れる布の冷たさに、思わず肩が震えた。
「くしゅんっ」
「……風邪ひくぞ」
「ひきたくてひくわけじゃないよ」
少しだけ拗ねた声。
キースは小屋の中を見回した。
壁際には古い棚。
隅には乾いた薪が何本か積まれている。
埃っぽい空気の中に、かすかに木の匂いが混じっていた。
「薪、あるな」
「ほんと?」
「火、つけられるか」
ミアが少しだけ表情を明るくする。
「任せて」
しゃがみ込んで、手をかざす。
濡れた指先に小さな火が灯る。
最初は頼りなく揺れていた炎が、やがて薪の端に移った。
ぱち、と小さな音が鳴る。
湿った空気の中に、焦げた木の匂いがふわりと広がった。やがて火は少しずつ安定し、小屋の中にやわらかな熱を満たしていく。
「……あったかい」
ほっとしたように、ミアが火に手をかざす。
冷えていた指先に、じんわりと熱が戻ってくる。
濡れた服からは、少しずつ水気が抜けていくようだった。
「さすがだな」
「でしょ?」
少しだけ得意げに笑う。
火の光を受けたミアの頬が、ほんのり赤く見えた。
濡れた髪が頬に貼りついて、いつもより少しだけ大人びて見える。
キースは一瞬だけじっと見て――すぐに視線を外した。
外では、まだ雨が強く降り続いている。
屋根を叩く音。地面に跳ねる水音。
時折、風が吹いて小屋の壁をきしませる音。
しばらく、静かな時間が流れた。
火の音と、雨の音だけ。
「……ねえ」
ミアがぽつりと声を落とす。
「なんだ」
「こうやって二人でいるの、なんか久しぶりだね」
「そうか?」
「そうだよ。最近みんな一緒が多かったし」
「……まあな」
短い返事。でも、否定はしない。
火がぱちりと爆ぜる。
その音に、ミアの肩が少しだけ揺れた。
「……くしゅんっ」
「まだ寒いのか」
「ちょっとね」
腕をさすりながら笑う。
けれど、その笑い方は少しだけ弱い。
指先はまだ冷たそうで、濡れた袖から雫がひとつ落ちた。
その様子を見て、キースは少しだけ眉を寄せた。
そして――
「……こっち来い」
「え?」
キースは、火のそばを少しだけ指した。
そこは小屋の中で一番あたたかい場所だった。
ぱちぱちと薪が爆ぜるたび、橙色の光が床に揺れる。
「あ、うん」
ミアが少し近づく。
距離が、ぐっと縮まった。
肩が触れそうなくらい。
火の熱と、相手の体温が混ざる。
雨で冷えた服からは、まだ湿った布の匂いがしていた。
けれど隣に座ると、キースの体温が思ったより近くに感じられる。
(……近い)
意識した瞬間、少しだけ鼓動が速くなる。
外では雨が屋根を叩き続けている。
その音が大きいせいで、逆に小屋の中は二人だけの場所みたいだった。
そのとき。
足元が少し滑った。
「――っ」
バランスを崩しかけた瞬間、ぐっと腕を掴まれる。
「危ねえだろ」
「ご、ごめん……」
そのまま、支えられる形になる。
距離が、さらに近い。
手首を掴まれたまま、なぜか離されない。
指先が少し冷たい。
でも、掴んでいる手のひらはあたたかかった。
(……あれ)
ミアは少しだけ視線を上げる。
キースも、こちらを見ていた。
火の光が、濡れた髪の先を淡く照らしている。
近すぎて、息の音まで聞こえそうだった。
一瞬だけ、目が合う。
でも、どちらも何も言わない。
ただ――そのまま、手が離れなかった。
少しだけ力が緩んで、形が変わる。
掴む、から。
触れる、に。
(……これ)
ミアの指先が、ほんの少しだけ動く。
迷って。でも――そっと、握り返した。
一瞬だけ、キースの手が止まる。
でも、離れない。
むしろ――ほんの少しだけ、強く握られた。
(……ああ)
胸の奥が、じんわりとあたたかくなる。
火のせいじゃない。
「……寒くないか」
ぽつりとした声。
「うん、もう大丈夫」
ミアは小さく笑う。本当は、少しだけ違う。
(あったかい)
この手が。この距離が。
外ではまだ雨が降っている。
湿った木の匂い。
薪の焦げる匂い。
屋根を叩く雨音。
手のひらから伝わる熱。
全部が混ざって、胸の奥に静かに残っていく。
二人の間には、雨の音に隠れるような小さな熱が残っていた。




