わたしは先生に導かれたい 後編-5
「まずは一つ目。お前の早とちりの話からだ」
ハストはカップを置くと、指を一本立てた。
「お前がこいつを疑った理由、全部言ってみろ」
先生は渋い顔をしたまま、紅茶を一口すすった。そして観念したように、指を折りながら並べ始めた。
「王家の幻術を使う。宮廷魔術師団の隊長格でも敵わねぇ魔力を隠してる。イザベラの分家の娘に、サリナのことを『あの人』と言った。推薦人は学長が機密扱いにしてる。そして、転入して初日にニーアに手合わせを申し込んだ」
「よし。一個ずつ潰すぞ」
ハストは折られた先生の指を、一本ずつ逆に起こしていった。
「幻術。こいつはアークさんの弟子だ。直接教わってる」
「……国王に直接? セルジーネの娘が?」
「俺のパートナーだぞ。あのジャージ王がほっとくわけねぇだろ。茶飲み友達のロリババアとセットで、面白がって色々仕込んでる」
先生の眉間の皺が、一本増えた。
「魔力。俺の隣に立ってりゃ、嫌でも鍛えられる。隠してんのは、隠さねぇと学園が騒ぐからだ」
二本目の指が起きる。
「サリナのことを知ってんのは、会ったことがあるからだ。うちに何回か来てる。ロリババアに菓子作らされて、泣きながら卵割ってた」
「泣いてないわよ!?」
「泣いてた」
「泣いてない!!」
私の抗議をさらりと流して、ハストは三本目の指を起こした。
「で、分家の娘に喧嘩売ったのは――」
ハストの視線が、私に向いた。先生の視線も、私に向いた。
「……それは、私が悪いです」
認めるしかなかった。リリーに魔力を見せつけたのは、正直に言えば、あの子の高慢な物言いにかちんときたからだ。ニーアのことを「あんな家の子」と鼻で笑ったのが、どうしても許せなかった。でも、それは言い訳にならない。
「明日、ちゃんと謝ります」
「おう。そこはお前が悪い」
先生が即答した。ハストも頷いた。なんでこの二人、こういうときだけ息が合うのよ。
◇
「二つ目。こいつの正体の話だ」
ハストは私の頭に、ぽんと手を置いた。
「フィアット・セルジーネ。俺の――『覇王』のパートナーだ」
先生は、たっぷり五秒は固まっていた。
「……は?」
「だから、パートナー」
「お前、パートナーなんて取る柄か? 人と話すのも嫌がるくせに」
「取りたくて取ったんじゃねぇよ。転移ミスってこいつの部屋に落ちて、正体がバレた。で、なんやかんやでそうなった」
「……お前、自分の正体バラすの何回目だ」
「数えてねぇ」
先生は額を押さえて、天井を仰いだ。私は少しだけ、この人に同情した。この男の相棒を何年もやっているのだ。苦労は私の比ではないだろう。
「じゃあ、推薦人は」
先生の目が、私に向いた。今度は、さっきまでの冷たさはない。ただ、知りたがっている目だった。
私はハストを見た。ハストは紅茶をすすりながら、小さく顎をしゃくった。言っていい、ということだ。
「推薦人は、賢者レイラ・イザベラ様です」
先生の手から、カップが滑りかけた。寸前で掴み直して、ゆっくりとテーブルに置く。
「……レイラが?」
「はい。レイラさんは、ずっと昔にニーアと約束をしていたそうです。大きくなってもまだアルス先生に導かれたいと思うなら、王立高校の一番上のクラスを目指して、そこで会った先生に教えを乞いなさい、って。それでもだめなら、私に手紙をくださいって」
先生は黙って聞いていた。
「ニーアは本当に手紙を書いたんです。何年もかけてSクラスに入って、レイラさんに。……レイラさんは、あの子が自分の力で先生にたどり着けるように、陰から見守る人を一人つけたかった。それが、私です」
「……初日の手合わせは」
「私が申し込みました。でも、審判に先生を指名したのはニーアです。私は舞台を用意しただけ。役者は、あの子が自分で呼んだんです」
『先生っ!私はアルス先生に見てもらいたいんです!』
あの日、教室に響いたニーアの声。先生も、きっと同じ声を思い出している。強張っていた口元が、ほんの少しだけ緩んだのがわかった。
「……レイラの奴。親に隠し事かよ」
「親に言ったら過保護が発動するからだろ」
ハストの一言に、先生は何か言い返そうとして、口を閉じた。反論できないらしい。現に、その過保護が発動した結果がこれなのだから。
「先生。ひとつだけ、お願いがあります」
私は姿勢を正した。
「このことは、ニーアには言わないでください。あの子は、自分の力で先生にたどり着いた。……そう思っていてほしいんです」
先生は、しばらく私の顔を見ていた。それから、ふっと笑った。
「思っていてほしい、じゃねぇよ。事実だ」
「え……」
「お前らが用意したのは舞台だけだろ。保健室で俺の袖を掴んで離さなかったのも、契約魔術を掴んだのも、あいつの手だ。俺が保証する」
そう言うと、先生は椅子から立ち上がった。
そして、右手で銃の形を作った。親指、人差し指、中指。私は一瞬、身構えかけた。
けれど、その銃口はどこにも向かなかった。
先生は、立てた指を一本ずつ折りたたんでいった。中指。人差し指。最後に親指。撃つときとは逆の順番で。まるで、銃から弾を抜くように。
空になった拳を胸に当てて、先生は深く頭を下げた。
「疑って、撃って、悪かった。セルジーネ嬢」
広間に、静寂が落ちた。
私は、その下げられた頭を見つめた。あれだけの力を持つ人が。全知の書を持つ人が。たった一人の教え子のために本気で怒って、本気で間違えて、本気で頭を下げている。
「……顔を上げてください、先生」
先生がゆっくりと顔を上げる。
「先生が撃ったのは、縛る術だけでしたよ。最後まで、ずっと」
「……」
「それに、あの子を本気で守ろうとしてくれたこと。私、ちょっとだけ嬉しかったんです」
先生は目を丸くして、それから困ったように頭を掻いた。
「……『セルジーネ嬢』はやめだ。これからはフィアットって呼ぶ。いいな?」
「はい。アルス先生」
◇
「で、三つ目」
ハストが、ものすごく軽い調子で言った。
「俺がサボってた話だが、これは別にいいだろ」
「よくないわよ!!」
「よくねぇよ」
私と先生の声が、また重なった。
「どこにいたのよ。そのふざけた格好は何」
「南の島。アークさんの別荘」
「陛下の別荘!?」
「ジャージ王の別荘かよ……」
「仕事を池に投げてきたっつってた。三日前から一緒に波乗ってる」
「この国大丈夫なの!?」
ハストはひとしきり笑ってから、床に散らばったものに目をやった。砕けたペンダントの欠片。ライトブルーの鉱石と、金の装飾の残骸。
ハストが指を鳴らすと、欠片がふわりと宙に浮いた。碧い光に包まれて、ひとつに寄り集まっていく。光が収まったとき、ハストの手のひらには、元通りの――いや、少しだけ色の深くなったペンダントが乗っていた。
「ほれ」
放り投げられたそれを、私は慌てて両手で受け止めた。
「次はもっと早く割れ」
「……誰が割るもんですか」
そう言いながら、私はペンダントを握りしめていた。指の間から、碧い光がかすかに漏れていた。
そのときだった。
「――っ!?」
先生が、左手首を押さえて立ち上がった。
見ると、先生の手首に、細い紅い線が浮かび上がっていた。腕輪のように、ぐるりと一周。その線の上に、小さく紋様が刻まれている。
二羽の鳥が向かい合う意匠。フォルト家の紋。
「……は?」
先生が呆然と手首を見下ろす。ハストが、それを覗き込んで――
「ぶはっ」
盛大に吹き出した。
「お前、あれだろ。上の階に書き置き残してきたろ。『すぐ戻る』とか書いて」
「……書いた」
「それ、契約にされてんぞ」
先生の顔から、血の気が引いた。
「あいつ――!」
紅い線が、強く光った。次の瞬間、先生の身体がぐんと上に引っ張られた。まるで見えない糸で天井へ吊り上げられるように。
「おい待て、この階層は外と切って――うおおおおっ!?」
ぱしゅん、と。気の抜けた音を残して、先生の姿が消えた。
広間に、私とハストだけが残された。
ハストは腹を抱えて笑っていた。テーブルを叩いて、椅子からずり落ちそうになりながら。
「くっ……くくく……やべぇ、自分の書き置きで相棒が呼び戻されやがった……あいつ、面白ぇ弟子取ったな……!」
「笑いごとじゃないでしょ……」
と言いながら、私の口元も緩んでいた。ニーア。あなた、本当にすごい子ね。
ハストはようやく笑いを収めると、立ち上がって大きく伸びをした。
「お前も行け。階段使えよ。俺の転移で送ったら、あいつにバレる」
「あなたは?」
「波の続きだ」
「二度と来るな!!」
ハストは振り返りもせずに、ひらひらと手を振った。足元に、碧い裂け目が開く。
その背中に向かって、私は小さく呟いた。
「……ありがと」
聞こえたかどうかは、わからない。裂け目が閉じる直前、振られていた手が一瞬だけ止まった気がした。
時間は、少しだけ巻き戻る。
第七層の広間。師匠の紅い結界の中で、わたしは緑の革のノートとにらめっこをしていた。
最初に試したのは、正面から壊す方法だった。結界の膜に札を貼りつけて、『この壁を越えようとする者を阻むものは、凍って砕ける』と誓わせる。札は一瞬だけ光って、すぐにしゅんと灰になった。
「……だめ、か」
わかっていた。わたしの契約は、わたしの魔力の分しか世界に誓わせられない。師匠の結界を、わたしの魔力で上書きできるはずがない。卵を割るのに必要なのは最初の一押しだけ。でも、割れない卵はどれだけ押しても割れない。
二枚目も、三枚目も、灰になった。
焦るな。焦ると形だけになる。
深呼吸をひとつ。吸って、吐いて。わたしは結界の床に座り込んで、膝の上に師匠のメモを置いた。
『ニーア。悪い。少しだけここで待ってろ。結界の中なら安全だ。すぐ戻る。――アルス』
雑で、でも読みやすい字。何度読み返しても、同じことしか書いていない。
――すぐ戻る。
そこで、指が止まった。
『契約ってのはな、相手と結ぶ約束じゃねぇ。世界と結ぶ約束だ』
森の開けた場所で、師匠はそう言った。
『この線を越えた者は凍る――そう紙に刻んで、世界に誓わせる。誓った以上、世界はそれを守る』
誓うのは、誰でもいい。
お父さまの書斎の公文書。あれに押される紋は、書類を書いた人の誓いを世界に預けるためのものだった。わたしが誓うんじゃない。書いた人が、もう誓っているのだ。わたしはそれを、世界に届けるだけ。
「……師匠。約束、しましたよね」
わたしはメモを、ノートの新しい頁の上に重ねた。
これは、師匠の約束だ。師匠が自分の手で書いて、自分の名前を添えた約束。わたしの魔力では師匠の結界は壊せない。でも、師匠の約束なら――師匠自身の言葉なら。
ペンを取る。メモの余白に、フォルトの紋を描く。その下に、短い誓いの文言を添える。
『この書き置きの約束が果たされぬとき、約束を囲う壁は解け、約束した者は約束の場所へ還る』
吸って、描く。
吐いて、流す。
最初の一押しだけ。あとは、世界に任せる。
メモに描いた紋が、淡く光った。そして――光ったまま、灰にはならなかった。
「……え」
紋は光り続けていた。じっと、何かを待つように。
そうか。「すぐ」が、まだ過ぎていないのだ。師匠の約束は、まだ破られていない。世界は律儀に、師匠が約束を守るのを待っている。
わたしは膝を抱えて、光る紋を見つめた。
待った。
もう少し、待った。
もっと、待った。
「……師匠、遅いです」
呟いた瞬間、紋の光がぱっと強くなった。
結界の紅い膜に、ぴしりとひびが走る。一本、二本、蜘蛛の巣みたいに広がって、硝子が砕けるような音とともに、紅い膜がほどけるように消えた。
そして、頭の上から声が降ってきた。
「――うおおおおっ!?」
「えっ」
どさっ。
見上げる間もなく、何かがわたしの目の前に落ちてきた。正確には、誰かが。床に顔から着地して、そのまま大の字に伸びている。
埃ひとつない上着。見覚えのある、くしゃくしゃの髪。
「……師匠?」
「……ぐ、え……」
師匠はうつ伏せのまま、左手首をこちらに掲げた。そこには、細い紅い線がぐるりと一周していて、その上にフォルトの紋が光っている。
「お前……俺の書き置きを……契約にしやがったな……」
「はいっ!」
わたしは胸を張った。それから、はっと我に返った。
「って、そうじゃなくて! 師匠、フィアットさんは!? フィアットさんはどこですか!? 何をしたんですか!?」
師匠の胸ぐらを掴んで揺さぶる。師匠はされるがままになりながら、片手を上げた。
「待て、待て待て、落ち着け。無事だ。あいつは無事だ。すぐ来る」
「ほんとですか!?」
「本当だ。……俺の早とちりだった」
師匠は身体を起こして、床に座り込んだ。そして、わたしの目を真っ直ぐに見た。
「セルジーネ嬢は――フィアットは、なんも悪くねぇ。俺が勝手に疑って、勝手に突っ走った。お前を守るつもりで、お前の友達を傷つけるとこだった」
「……」
「悪かった、ニーア」
師匠が、頭を下げた。
わたしは何か言おうとして、言葉が見つからなかった。怒りたかった。でも、師匠がどうしてそうしたのか、テラスでの夜を知っているわたしには、わかってしまった。
二度と、目の前で誰かが理不尽に奪われるのを見たくない。師匠はそう言った。その「誰か」に、わたしが入っていたのだ。
「……あとで、全部説明してもらいますからね」
「全部は無理だ」
「じゃあ半分!」
「……三分の一」
「半分です!」
「ニーアーっ!」
階段のほうから、声がした。
振り返ると、フィアットさんが駆け下りてくるところだった。制服は少し汚れているけれど、走る足取りはしっかりしている。怪我をしている様子も、ない。
「フィアットさん!!」
わたしは立ち上がって、そのまま飛びついた。勢いあまって、二人そろって床に転がる。
「ちょっ、ニーア、苦しい……!」
「よかった……よかったぁ……っ!」
涙が勝手にあふれてきた。フィアットさんは困ったように笑いながら、わたしの背中をぽんぽんと叩いてくれた。
しばらくして、ようやく顔を上げたとき、わたしはフィアットさんの胸元に光るものに気づいた。ペンダントだ。入口で見たのと同じ形。でも、鉱石の色が少しだけ深くなっている気がする。
「それ……」
「ああ、これ?」
フィアットさんは、ペンダントをぎゅっと握った。
「腐れ縁からの押しつけよ。……それより、ニーア」
フィアットさんは胸ポケットに手を入れて、何かをつまみ出した。白い灰。ほんのひとつまみ。
「あなたのお守り、燃えちゃったわ」
「えっ……じゃあ、何か危ないことが……」
「転んだのよ。派手にね」
フィアットさんはさらりと言った。後ろで師匠が、ものすごく気まずそうに目を逸らしたのが見えた。
「一回きりの約束、ちゃんと守ってくれたわ。ありがとう、ニーア」
◇
第十層のフラッグは、石の台座に刺さった小さな旗だった。
先に着いていたペアたちが、わたしたちを見て「遅かったね」と笑う。リリーさんのペアもいた。リリーさんはフィアットさんを見て一瞬身構え、それから師匠が隣にいるのを見て、怪訝そうに眉をひそめた。
わたしはフィアットさんと二人で、旗の柄を一緒に握った。
「せーの」
引き抜く。旗が、ひらりと翻った。
「よぉし」
師匠が、わたしたちの頭に同時に手を置いた。わしゃわしゃと、髪がくしゃくしゃになるまで撫で回す。
「ニーア・フォルト、フィアット・セルジーネ。――合格だ」
「……はいっ!」
わたしとフィアットさんは顔を見合わせて、笑った。
◇
翌日の放課後。分館の廊下の、夕日が射し込む窓辺。
リリー・イザベラは手すりにもたれて、目の前の少女を睨んでいた。
「……で、何の用かしら。また化け物ぶりを見せつけに来たの?」
「いいえ」
フィアットは、深く頭を下げた。
「先日は、失礼なことを言いました。ごめんなさい」
リリーは目を瞬かせた。何かを言い返そうと口を開いて、閉じて、また開いた。
「……あなた、変な人ね」
「よく言われるわ」
「……約束、覚えているわよね。わたくしと手合わせするときは、全部出すって」
「ええ。いつでもどうぞ」
リリーはふんと鼻を鳴らして、そっぽを向いた。その耳が、夕日のせいだけではなく少し赤かった。
◇
南の島の夜は、波の音しか聞こえない。
白い砂浜に、ハストは大の字に寝転がっていた。隣のビーチチェアでは、ジャージ姿の国王が寝息を立てている。空には、王都では見られないほどの星が散らばっていた。
ハストは右手を、星空にかざした。
手のひらの上に、小さな欠片がひとつ乗っている。ライトブルーの鉱石の、ほんの爪の先ほどのかけら。ペンダントを直したとき、ひとつだけ、こっそり抜いておいたものだ。
欠片に刻まれた細いひびを、親指でなぞる。
あの広間で、石柱にもたれていた姿。凍りついた両手。胸元に突きつけられた鎖の切っ先。
手のひらの上で、欠片がかすかに碧く光った。その碧は、星明かりの下で、どこか深く沈んで見えた。
「……二度目は、ねぇからな」
誰に向けた言葉なのか、ハスト自身にもよくわからなかった。
波が寄せて、返す。ハストは欠片を握りしめて、そのまま目を閉じた。




