わたしは先生に導かれたい 後日談
「あ、あのあの、ニーアちゃん。来週、ちょっとだけ一緒に来てほしいところがあるんですっ」
そう言われたのは、試験から一か月が経った、ある日の午後だった。魔術師協会の研究室で、レイラさんは割れた試験管を片づけながら、いつもよりそわそわしていた。
「どこですか?」
「えと、頂天者会議です」
「……はい?」
「月に一度、王宮で開かれるんです。頂天者が集まって、国のことをいろいろ話し合う会議で……賢者の相方は、同席できる決まりになってて……」
頂天者会議。剣聖、賢者、博識王――この国の頂点に立つ人たちが、一つの卓を囲む場所。新聞でその名前を見たことはあっても、中で何が話されているのかは、誰も知らない。
「わ、わたしなんかが行っていいんですか!?」
「ニーアちゃんだから行ってほしいんですっ!」
レイラさんは両手でわたしの手を握って、ぶんぶんと上下に振った。断れる雰囲気では、まったくなかった。
◇
王宮の回廊は、どこまでも白かった。
レイラさんに借りた正装のローブの裾を踏まないように気をつけながら、わたしは衛兵に案内されて控えの間に通された。レイラさんは「先に陛下にご挨拶してきますねっ」と言って、奥の扉に消えてしまった。
一人きりの控えの間。高い天井。壁にかかった歴代国王の肖像画。わたしは長椅子の端に、ちょこんと腰かけた。手のひらに汗がにじむ。
吸って、吐いて。焦るな。
そのとき、反対側の扉が開いた。
「――失礼いたします。こちらで待つようにと……」
入ってきたのは、淡い蒼のドレスに身を包んだ女の子だった。透き通るような蒼い髪。胸元には、ライトブルーのペンダント。
目が合った。
時間が止まった。
「……フィアット、さん?」
「……ニーア?」
二人同時に、立ち上がった。二人同時に、相手を指さした。
「「なんでここに!?」」
声が、控えの間の高い天井に反響した。
「わ、わたしは、レイラさんの相方で……! 賢者の相方は同席できるって……!」
「け、賢者の相方……もう会議に連れてくるの!? レイラさん、何も言ってなかったのに……!」
「フィアットさんこそ、どうして!?」
「私は……その……」
フィアットさんの指が、胸元のペンダントをぎゅっと握った。目が泳いでいる。こんなに動揺しているフィアットさんを、わたしは初めて見た。
「ある方の……パートナー、で……」
「ある方?」
わたしが首を傾げた、そのときだった。
奥の扉が、内側から開いた。
顔を覗かせたのは、眼鏡をかけた青年だった。片手に王都新聞を広げ、もう片手にティーカップ。湯気の立つ紅茶は、見事なまでに透き通った琥珀色だった。
「騒がしいな。会議前に何を――」
青年の視線が、わたしに向いた。それから、フィアットさんに向いた。もう一度、わたしに。もう一度、フィアットさんに。
眼鏡が、鼻の上をずるりと滑り落ちた。
「…………っ」
青年の肩が、震え始めた。
「ぶっ……」
新聞が床に落ちた。
「ぶはははははははははっ!!!」
青年は、わたしたちを交互に指さして笑い出した。腹を抱えて、扉の枠にしがみついて、それでも指だけはこちらに向けたまま。ティーカップの紅茶が一滴もこぼれていないのが、逆に怖かった。
「は、博識王様……!?」
フィアットさんが青ざめた声を上げる。博識王。エトワール・グリース様。新聞で何度も見た名前だ。この国で一番賢い人。その人が今、わたしたちを指さして涙を流しながら笑っている。
「け、賢者が仕込んだ見守り役と! 見守られてた本人が! 控えの間で! 鉢合わせ! はははははっ!」
「ちょっ……!?」
「作戦立案を生業とする者として言わせてもらうがな、これは最悪の配置だ! 最悪すぎて芸術的だ! 誰だこの席順を組んだのは! あ、レイラか! レイラだな! はははは!」
「あ、あのあの、エトワールさんっ!! しーっ!! しーーーっ!!」
奥からレイラさんが血相を変えて飛び出してきて、エトワール様の口を両手でふさごうとした。届かなかった。身長差がありすぎた。
その瞬間だった。
エトワール様の背後に、いつの間にか一人の女の人が立っていた。短く切り揃えた髪に、引き締まった身体つき。正装の上から、従者の腕章を巻いている。
足音はしなかった。気配もなかった。最初からそこにいたはずなのに、今の今まで見えていなかった。そんな立ち方だった。
「エトワール様」
「はははっ……ん? アイシャ、今いいところ――」
ごっ。
鈍い音がした。
女の人の右拳が、エトワール様の頬にめり込んでいた。エトワール様の身体が真横に吹き飛び、控えの間を一直線に横切って、反対側の柱に背中から叩きつけられる。肖像画の額縁がかたん、と揺れた。床に落ちていた新聞が、風圧でひらひらと舞い上がる。
エトワール様は柱にもたれたまま、ずるずると床に崩れ落ちた。
手に持ったティーカップの紅茶は、なぜか一滴もこぼれていなかった。
「主が大変失礼いたしました」
女の人は拳をほどくと、わたしたちに向かって完璧な角度で頭を下げた。
「博識王エトワール・グリースの従者、アイシャ・リズベットと申します。以後お見知りおきを」
「は、はい……」
「よろしく、お願いします……」
わたしとフィアットさんは、揃って同じ角度で頭を下げ返した。それ以外にどうしていいかわからなかった。
アイシャさんはくるりと振り返り、床に座り込んだ主人を見下ろした。
「会議前の控えの間で、機密を大声で叫ぶ参謀がどこにいますか」
「……ここにいる」
「もう一発、要りますか」
「要らない」
エトワール様は赤く腫れた頬を押さえながら、それでも紅茶を一口すすった。
見守り役。
仕込んだ。
言葉が、ゆっくりと頭の中に沈んでいく。
わたしは、フィアットさんを見た。
フィアットさんは、唇を噛んで俯いていた。ペンダントを握る指が、白くなっていた。
「……ごめんなさい、ニーア」
小さな声だった。
「最初は、頼まれたの。レイラさんに。あなたが自分の力でアルス先生にたどり着けるように、陰から見ていてほしいって。手合わせを申し込んだのも、そのためで……転入の理由も、半分は嘘で……」
胸の奥が、すうっと冷えた。
初日の教室。困ったように笑ったフィアットさん。いじめられて学校に通えなかったと打ち明けてくれたフィアットさん。守ってあげなきゃと、わたしが勝手に思ったフィアットさん。
でも。
わたしは思い出していた。試験の朝。ダンジョンの入口で、わたしのお守りを両手で受け取ったときの、あの少しだけ震えていた声を。
「……じゃあ、あの日、わたしのお守りを受け取ってくれたのも、頼まれたからですか?」
フィアットさんが、顔を上げた。
「違う」
即答だった。
「あれは……あれだけは、違う。頼まれたからじゃない。私が、嬉しかったから」
フィアットさんの目は、まっすぐだった。ダンジョンで、わたしの死角を黙って埋めてくれたときと、同じ目だった。
おぬしの友を、おぬしの目で見よ。
大師匠の声が、聞こえた気がした。
「……なら、いいです」
「え……」
「わたしの目で見たフィアットさんは、ずっとそういう人でしたから」
フィアットさんの目が、大きく見開かれた。それから、くしゃりと顔が歪んで、慌てて俯いた。
わたしは少しだけ迷ってから、口を開いた。
「それに……わたしも、隠し事してました」
「……え?」
「試験前に一日だけ学校を休んだ日、ありましたよね。あれ、本当は一週間だったんです。迷いの森の奥で、大師匠……サリナさんのところで、ずっと修行してて」
フィアットさんが、固まった。
「……サリナさん?」
「はい。時空魔術で、外では一日しか経ってないことにしてもらって……」
「サリナさん!? あの、森のお屋敷の!? お菓子の!?」
「お菓子の!? フィアットさんも作らされたんですか!?」
「泣きながら卵割ったわよ!!」
「わたしも割りました!!」
「……だから、たった一日で……あんなに……!」
フィアットさんが頭を抱えた。一か月ずっと引っかかっていた謎が、今ようやく解けたという顔だった。
「ぶっ……くくくっ……」
扉のほうから、再び笑い声が聞こえた。
エトワール様が、扉の枠にもたれたまま、肩を震わせていた。
「お、お互いに隠し事……一か月、隣の席で……二人とも同じロリババアに卵を割らされて……っ、はははははははっ!! だめだ、腹筋が……っ!」
「エトワール、笑いすぎだって……ぶふっ」
エトワール様の後ろから、背の高い金髪の男の人が顔を出した。腰に剣を下げている。とんでもなく整った顔立ちなのに、口元を押さえて肩を震わせているせいで、全部台無しになっている。剣聖シュベルト・ロード様だ、と気づくのに三秒かかった。
「ちなみにレイラさん、今日でお茶会三百五十八日目だね」
「い、今それ言います!?」
その奥からは、ジャージ姿の若い男の人が「ゲラゲラゲラ」と遠慮のない笑い声を上げていた。……ジャージ。王宮で、ジャージ。まさかとは思うけれど、あの人は、まさか。
ぽき、と。
アイシャさんが、指の関節を鳴らした。
エトワール様の笑い声が、ぴたりと止んだ。シュベルト様も止んだ。ジャージの人だけは、まだ笑っていた。
ばぁん、と。今度は廊下側の扉が、勢いよく開け放たれた。
「おーほっほっほ! なにやら楽しそうですわね! ワタクシも混ぜてくださいまし!」
入ってきたのは、背中に自分の背丈ほどもある大弓を背負った女の人だった。長く尖った耳。エルフだ。まっすぐな長い髪をなびかせて、何が面白いのかもわからないまま、とりあえず高笑いしている。
「弓王エレナ・ヴァイス様……」
フィアットさんが小声で教えてくれた。新聞で「無能弓姫」と書かれていたのを見たことがある。大会で的を狙えば外し、適当に放てば全部真ん中に当たる、という嘘みたいな記事だった。
「エレナ、何がおかしいのかわかって笑ってる?」
「存じ上げませんわ! でも皆さまが笑っていらっしゃるなら、きっと楽しいことですもの! おーほっほ!」
ぽき。
「おーほっ……ほ……」
アイシャさんの指が鳴った瞬間、エレナ様の高笑いが尻すぼみに消えていった。
続いて扉をくぐってきたのは、色黒の大柄な青年だった。腕まくりしたシャツから覗く腕に、細かな火傷の痕がいくつも走っている。炉の火の痕だ。整った顔立ちを、人懐こい笑みが台無しにしていた。
「ちーっす。……なぁ、親父もう来てる?」
「親父?」
思わず聞き返すと、青年はわたしに気づいて、にかっと白い歯を見せた。
「おう、新顔か。オレはラーク・ドルク。錬成帝ってやつをやってる。親父ってのは……まぁ、オレが一生ついてくって決めた人だな!」
隣で、フィアットさんがこめかみを押さえていた。
最後に、廊下の向こうから重たい足音と、金属ががちゃがちゃ鳴る音が近づいてきた。
「ハス坊はーっ!? ハス坊はもう来てるかーっ!?」
飛び込んできたのは、肩に機関銃を担いだ女の人だった。豪快に結い上げた髪に、軍服の上着を袖を通さずに羽織っている。銃王クレハ様。王都新聞の一面で、何度も見た顔だった。
フィアットさんが、ひっと短く息を呑んで、わたしの背中に半分隠れた。
「おっ、そこにいるのはハス坊んとこの――」
「クレハ。彼ならもう奥の間にいる」
床に座り込んだままのエトワール様が、絶妙なタイミングで口を挟んだ。
「ほんとか!? ハス坊ーっ!!」
クレハ様は嵐のように奥の扉へ消えていった。数秒後、奥から何かが潰れるような、くぐもった声が聞こえた気がした。
はっす〜。親父。ハス坊。
呼び名ばかりが増えていく。いったい、誰のことなんだろう。
考えるのをやめた。
「……と、とにかく!」
わたしはフィアットさんの手を取った。
「おあいこ、ですね」
フィアットさんは、目の端を指で拭って、それから笑った。いつもの、少し大人びた、でも今日はちょっとだけ子どもっぽい笑顔で。
「……ええ。おあいこね」
◇
会議の間に通されると、そこには大きな円卓があった。
円卓の席は、いくつか空いていた。格闘王様と槍聖様は遠征中で今日は欠席なのだと、レイラさんが小声で教えてくれた。
ぐるりと円卓を見回す。剣聖シュベルト様。博識王エトワール様と、その後ろに控えるアイシャさん。弓王エレナ様。錬成帝ラーク様。銃王クレハ様は、なぜか頬をぱんぱんに膨らませて座っている。そして一番奥の上座には、さっきのジャージの人が、ジャージのまま座っていた。
やっぱり、そういうことらしい。
レイラさんの後ろの席に、わたしは腰を下ろす。円卓の向こう側、ちょうど正面の席の後ろに、フィアットさんが座った。
その「正面の席」には、フードを目深にかぶった誰かが、椅子の背にもたれて眠っていた。顔は見えない。ローブに何か魔術がかかっているのか、じっと見ようとしても、視線がつるりと滑ってしまう。
「はっす〜、起きろって。会議始まんぞ」
シュベルト様が、その肩を揺すった。
「……あと五分……」
「さっきも五分って言ってたろ」
「……エトワールがうるせぇから寝れなかったんだよ……」
「はっすー……?」
わたしが小さく繰り返すと、フィアットさんの肩がびくっと跳ねた。
「き、気にしなくていいの! あれは気にしなくていいから!」
頭の中で、何かがかちりと噛み合いかけた。
レイラさんが話してくれた『覇王』。現役の高校生。わたしと同い年くらい。アルス先生の相棒。そして、「ある方のパートナー」だと言ったフィアットさん。
「……まさか、フィアットさんのパートナーって――」
「おっと」
円卓の向こうから、エトワール様の声が飛んできた。
さっきまで涙を流して笑っていた人と、同じ人とは思えなかった。頬にはまだアイシャさんの拳の跡が赤く残っているのに、眼鏡の奥の目がすうっと冷えている。本物の眼鏡だ。伊達じゃない。その奥にあるのは、盤面のすべてを見通す人の目だった。
「そこから先は、国家最重要機密だ。フォルト嬢」
背筋が、ぴんと伸びた。
「――いいよ、エトワール」
眠たげな声がした。
正面の席。フードの人物が、椅子の背からのそりと身体を起こした。
「こいつは賢者の相方だろ。この卓に座る以上、知る権利はある」
フードがほんの少しだけ傾いて、自分の後ろの席に座るフィアットさんのほうを振り返った気がした。
「……それに、隣の席のやつにずっと隠し事してんの、しんどいだろ」
「ハスト……」
フィアットさんが、小さくその名前を呼んだ。
フードの人物が、フードの縁に指をかけた。そして、そのまま止まった。指先が縁をつまんだまま、迷うように動かない。
「はっす〜、がんばれ〜」
「うるせぇ」
シュベルト様の茶化す声に悪態をつきながら、その人はようやくフードを下ろした。
その瞬間、つるりと滑っていた視線が、ぴたりと焦点を結んだ。ローブの認識阻害が解けたのだ。
そこにいたのは、わたしと同じくらいの年の男の子だった。眠たげに半分閉じた目。寝癖のついた髪。どこの教室にでも一人はいそうな、目立たない顔。
ただ、その瞳の奥で、碧い光がかすかに揺れていた。
フィアットさんのペンダントと、同じ色だった。
男の子は、わたしと目を合わせなかった。少しだけ横を向いたまま、ぼそりと言った。
「……ハスト・アーネット。二代目『覇王』」
それから、ほんの少し間を置いて。
「あと、アルスの相棒」
頭の中で、いくつもの声が重なった。
『まあ、自由なやつだ。俺がもう勝てないくらい強い』
迷いの森で、懐かしそうにそう言った師匠の声。七歳でギルドに入ったという、師匠より強い子ども。師匠と誓いを立てた、裏側からこの国を変えると言った少年。
そして――アーネット。
「……大師匠の」
「ん?」
「大師匠の……バカ息子さん……!」
ハストさんが、むせた。
「げほっ……あのロリババア、何吹き込んでんだ……」
「ぶっ」
エトワール様が吹き出した。ぽき、とアイシャさんの指が鳴った。エトワール様は真顔に戻った。
ハストさんは頭をがしがしと掻いてから、ちらりとわたしを見た。ほんの一瞬だけ。
「……お前のことは、アルスから聞いてる。書き置きを契約にした弟子だろ」
その口の端が、ほんの少しだけ上がった。
「あれは、面白かった」
「っ……は、はいっ! ニーア・フォルトです! 師匠には、いつもお世話になってます!」
わたしは椅子から立ち上がって、深々と頭を下げた。
ハストさんは、びくっと肩を跳ねさせた。それから、下ろしたばかりのフードを半分だけかぶり直した。
「……そういうの、いいから」
「人見知りなのよ、こいつ」
「うるせぇ」
フィアットさんの言葉に、ハストさんは小さく舌打ちした。フィアットさんは、ペンダントを握ったまま笑っていた。
――腐れ縁からの押しつけよ。
ダンジョンで、フィアットさんはそう言った。同じ色の碧を胸に下げて、少しだけ頬を赤くして。
なるほど、と思った。いろいろと、なるほど、と思った。
「ハス坊が、自分から顔出したーっ!!」
がたん、とクレハ様が椅子を蹴って立ち上がった。
「待っ――」
ハストさんが言い終わる前に、クレハ様の両腕がハストさんの頭を抱え込んでいた。ぎゅうううう、と音が聞こえてきそうなほど、思いきり。
「アタシのハス坊が! 人前で自分から名乗れるようになって……! 成長したなぁ〜っ!」
「し……ぬ゛……」
「親父ィ!! かっけぇっす!!」
ラーク様が拳を天井に突き上げた。
「おーほっほ! 感動的な場面ですわね!」
エレナ様が目元を拭いながら拍手している。何に感動しているのかは、たぶん本人もわかっていない。
「クレハさん! 落ちてます! ハストが落ちてます!!」
フィアットさんが立ち上がってクレハ様の腕をぺしぺし叩き、ようやく解放されたハストさんは、そのまま円卓に突っ伏して動かなくなった。
覇王。この国の、すべての頂点に立つ人。……の、はず、なのだけれど。
「そこの新入りさん」
ふいに、エレナ様がわたしのほうを向いた。反射で私の目の前の小袋から角砂糖をひとつつまむと、こちらを見たまま、後ろ手にひょいと放り投げる。
角砂糖は円卓の上をきれいな弧を描いて飛んでいき、エトワール様のティーカップのど真ん中に、ぽちゃんと落ちた。
「おい!! ストレート以外は邪道だと何度言えば――」
「あら、狙ってはおりませんわよ? おーほっほ!」
「……狙うと外れるんです、あの方は」
アイシャさんが、わたしにだけ聞こえる声でそっと教えてくれた。
エレナ様は、エトワール様の抗議などまるで聞こえていないかのように、わたしに向かってにっこりと微笑んだ。
「緊張なさらなくてよろしくてよ。この卓に座った以上、あなたもワタクシたちのお仲間。お仲間に何かあったら、ワタクシの矢はどこへでも飛んでいきますわ。……狙わずに、ですけれど!」
「……はいっ」
ふざけた言い方なのに、その目だけは少しもふざけていなかった。胸の奥が、ほんのりと温かくなった。
「……まったく」
エトワール様が、砂糖の溶けた紅茶を恨めしそうに見下ろしながら、眼鏡を指で押し上げた。
「覇王本人が許可したなら、俺から言うことはない。ただし、フォルト嬢。この卓で見聞きしたことは――」
「口外しません」
わたしは鞄から、緑の革のノートを取り出した。まっさらな頁を一枚開いて、ペンを走らせる。フォルトの紋と、短い誓いの文言。
『この卓で知ったことを、わたしは誰にも明かさない』
吸って、描く。吐いて、流す。最初の一押しだけ。
紋が淡く光り、頁の上にしっかりと刻まれた。わたしは頁を破り取って、円卓の上にそっと置いた。
「契約魔術の家の者として、世界に誓います」
会議の間が、しんと静まり返った。
エトワール様は、置かれた頁をじっと見つめていた。それから、ゆっくりと口角を上げた。
「……合格だ。賢者殿、いい相方を拾ったな」
「で、ですよねっ!? わたしの目に狂いはないんですっ!」
レイラさんが、なぜか一番胸を張っていた。
「で、では! 頂天者会議を始めますっ!」
レイラさんの、少し裏返った声が会議の間に響いた。
円卓の向こうで、フィアットさんと目が合った。フィアットさんは、唇に人差し指を当てて、小さくウインクした。
わたしも、同じ仕草を返した。
たぶん、この国で一番秘密の多い友達で――その秘密を、今日ひとつだけ、わたしも一緒に持つことになったけれど。




