(三)-2
先生をアパートまで送った帰り、早く家に帰って宿題をしなきゃな~、なんて考えながら両脇を田んぼに挟まれた道を走っていると道の真ん中に人影を見つけた。歩道はないけど車がすれ違えるほどの広さがある道だからよける必要もなく自転車を進めたんだけど、その人影は俺の進路に足を踏み入れて、俺は小さい舌打ちを打ってコースを変える。が、人影は明らかに俺の行く手を遮る意思を感じさせながらまたもや俺の進路へ立ちふさがった。距離はどんどんと縮まって俺はしぶしぶ自転車のブレーキをかける。
人影はどうやら男のようだ。しかしその姿は異質だった。カエルがゲコゲコ鳴き散らかす田んぼ道でその男はシルクハットを目深にかぶり、黒いスーツに黒いシャツ、黒いネクタイに黒い腕時計。皮膚だけは灰色だ。
「あの」
相手から何の反応もないのでこちらから声をかけると男は「お前は何者だ?」と訊き返してきた。低く響く声。顔は帽子に隠れて見えない。
「何者って、ただの高校生ですけど」
「臭いがする」
「に、臭います? ヤダなぁ」と脇の臭いを嗅ごうと右肩を上げると左頬に強い衝撃を受けてガードレールに飛ばされて背中を打ちつけた。どうやら殴られたらしい、と思うと同時に今度は胸を蹴られて、ガードレールを千切り破って田んぼに突っ込む。
「いってぇぇえぇっ!」
歯を食いしばり、顔を上げて顔に着いた泥を拭う。稲の間から電柱の下に男が立っているのが見えた。
「お前は何者だ?」
「いきなり何すんだよ、てめぇ」
「お前は何者だ?」
「ただの高校生だって言ってんだろうが!」
男は宙を滑るように飛んできて手を伸ばし、万力のような力で俺の頭を掴むと空高く放り投げる。空中で手足をバタつかせていると背中に刺す痛みがいくつか走った! 下にいる男の方を向くと何かが物凄い早さでいくつも飛んできて、両手を前に出すと手の平にブスブスと突き刺さる。中には手の甲を突き抜けた物も。……これ、黒い鳥の羽根? カラスか? それよりも何よりも、この男、人間じゃない!
おそらく鳥の羽が刺さっているであろう背中から派手に田んぼに落ちると、男の気配が近づいてくるのを察知して魔力を解放した。目の上がぼんやりと明るくなる。額に契約の証、アシュタロス家の紋章が輝いているんだろう。
「お前は何者だ?」
「うっせぇなぁ。ただの高校生だって何べん言わせんだよ!」
「お前からはビヒモスを止めた魔力と同じ臭いがする」
「だったら何だっつーんだ!」
恐怖に焦りながら怒鳴ると男が初めて顔を見せた。灰色の肌の男は両目が真っ黒でまん丸。恐竜……いや鳥の眼。
「ビヒモスが止められたせいで我が契約は破棄された。それはつまり私の刑期が伸びたと言う事。全ては我が考えの未熟さゆえの失敗であるのだが、それでも我が苦しみを引き延ばした者にはきっちりと礼をしておかねばならぬと、この街を探して回っていたのだ」
「へぇ、礼ってどんな礼? ケーキでも用意してんのか?」
減らず口を叩くも内心は礼の内容を感じ取っていてドッキドキなわけで……。
「我が用意し礼は、永久の安息」
男が右手の平をこちらへ向けると暗闇の中、風きり音が聞こえて、手で庇うもまた体にいくつも鳥の羽根が刺さった。魔力のせいか痛みはあまり感じないが、殺意を向けられると高宮に刺されたことを思い出して体がぶるぶると震える。
「串刺しになって死ね」
男が両手を出してきて今以上の攻撃が来るのを感じた俺は瞬時に思い切り田んぼの底を殴りつけていた。ドンと地面が響いて、目の前に高い水しぶきと稲の生えた泥の壁が出来上がる。その一瞬の間を利用して今度はぬかるむ地面を蹴って後ろに飛んだ。そしてまた田んぼを蹴るように飛んで道に出ると、もう後ろを振り返らずに、全魔力を解放しながら道を走って住宅地へ入り、家々の屋根を飛びながら逃げに逃げた。




