第8話 嘘と愛情と星の羅針盤
1. ガレットの手紙と遺された真実
その夜。フリーヘイヴンの宿屋の一室で、エリーゼは一人、ランプの火を見つめていた。窓の外からは時折、港町の喧騒や船の汽笛が遠く聞こえてくる。この街に着いて、いや、ウィンダミアの街を出てから色々なことがあった。洞窟を崩壊させ、関所を爆破するという騒ぎを起こし、牢獄へと連れて行かれた。今思い出しても冷や汗が止まらない。そして、ジーク、バルトロとの出会い。これまでの経緯全てが、今の彼女には別世界の出来事のように感じられた。
灯された明かりの中、彼女はリュックの奥に大切に仕舞い込んでいたガレットからの包みを取り出した。古びた布に包まれたそれは、今の彼女にとって唯一の道標であり、同時に開けるのが少し怖くもあった。
「これ……」
何度か包みを開けようとして、手が止まる。何気なく受け取ったこの包みの中に、何か重要な意味が隠されているのではないか。そんな気がした。
「……おじいちゃん。開けるわよ」
意を決して封を解くと、中から古びた一通の手紙と、吸い込まれるような青い光を湛えた「星の羅針盤」が現れた。羅針盤の針は、磁石に引かれるようにではなく、何らかの意志を持っているかのように、特定の方向を指して細かく震えている。
震える手で広げた手紙には、エリーゼがずっと「病死」だと聞かされていた両親の、本当の最期が記されていた。
『エリーゼ。お前の父と母は、流行病などで倒れたのではない。……かつてこの世界を闇に染めようとした「邪神の影」が村を襲った時、彼らは「英雄の末裔」として、お前と村の未来を守るために盾となって散ったのじゃ』
(え……?)
呼吸が止まり、心臓の鼓動だけが耳の奥で激しく打ち鳴らされる。エリーゼの大きな瞳から、大粒の涙が零れ落ち、手紙の古いインクを滲ませていく。
エリーゼは手紙を持ち直し、一度深く深呼吸してから、もう一度読み返した。
手紙によれば、ガレットがかつてエグザルティアの魔導師長を引退し、安住の地として選んだのが聖地リアルドだった。数年は平穏な日々が続いたが、世界に魔物が蔓延り始めた頃、突如として禍々しい影が村を襲った。それは自然発生した魔物ではなく、明確な意志を持った「襲撃」だった。
『魔物たちの狙いは、他でもない「英雄の末裔」、お前の両親だった。彼らも必死に抗ったが、邪悪な数の暴力には勝てなかった。……エリーゼ、お前が今生きているのは偶然ではない。お前の両親は危険が迫っていることを感じ取り、地下の遊び場にお前を隠し、存在を悟られぬよう、ありったけの魔力を注いで魔法の防壁を張り巡らせていたのじゃ』
初めて知る、両親の愛と壮絶な最期。
いつも強気で、実績や金に執着することで自分の居場所を証明しようとしていたエリーゼ。魔法さえも、生きていくための単なる手段だと思い込んできた。その魔法も、いつから使えたのか定かではない。気づいた時にはすでに使えていたのだ。だが、その指先から放たれる紫電の魔法は、ガレットに言われていた「生まれつきの特技」などという単純なものではなかった。それは、愛する娘を絶望から救い出すために、両親が命を懸けて繋いだ、高潔な血の証だったのだ。
2. ウィンダミアへ、愛情と嘘
手紙には、ガレットが住み慣れたリアルドを離れた本当の理由も、苦渋に満ちた言葉で綴られていた。
『両親を失った後、一人になったお前を放ってはおけなかった。しかし、お前をリアルドで育て続けることは、私にとってあまりにも酷な選択だった。邪神の残党は、英雄の血を引くお前の存在をいつか必ず嗅ぎつけるだろう。私は、お前を「英雄の娘」という重い呪縛の中に置きたくはなかった。ただの「エリーゼ」として、陽の当たる場所で、自分の好きなように健やかに育ってほしかったのだ』
ガレットは、かつての魔導師長としての輝かしい地位も名誉も、そして愛着のあるリアルドの土地もすべて捨てた。追っ手の目を晦ませるために、魔法の痕跡を一つ一つ消しながら、辺境の地ウィンダミアへと移り住んだのだ。
『しかし、運命とは非情なものだ。お前が道端で拾ってきたあの騎士――。彼は、私が引退した後に生まれた、エグザルティアの王子に間違いない。あの獅子の鎧と聖剣は、光の英雄の象徴。お前と彼が出会った瞬間、凍りついていた宿命の歯車は再び回り始めてしまった。それは逃れられぬ運命なのだ。だがエリーゼ、恐れるでない。お前ならきっと、その運命の先へ自分の道を切り開けるはずだ』
「おじいちゃん……。そんなこと、何も言ってくれなかったじゃない……」
エリーゼは窓の外に広がるフリーヘイヴンの夜景を見つめた。涙で滲む街の灯りは、まるで両親が空から自分を見守ってくれている光のように優しく、そして切なく揺れていた。ベッドの上には手紙と一緒に取り出した「星の羅針盤」が置かれている。それは、彼女の決意に呼応するように、静かに南の空、失われた故郷リアルドの方角を指し示し、確かな光を放ち始めた。
3. エリーゼの決意
「お父さん、お母さん。私、ちっとも知らなかったわ」
エリーゼは手紙から顔を上げ、まっすぐ前を見て言った。
「……でも、もう迷わない」
そして、溢れる涙を手の甲で強く拭うと、静かにランプの火を吹き消した。
一瞬で暗闇に包まれる。室内で羅針盤の青白い光だけが彼女の横顔を凛と照らし出していた。その瞳には、今までの我儘な少女のそれではなく、自らの宿命を見据えた一人の女性としての輝きが宿っていた。
ガレットが優しい嘘で守ってくれたこれまでの十数年。その時間を無駄にしないためにも、今度は自分の足で、失われた真実と向き合う時が来たのだ。それが痛いほど分かった。
「私……その運命とやらに打ち勝ってみせるわ。誰に何と言われようと、私の道は私が決める」
翌朝、空は晴やかに澄み渡り、エリーゼの心はその空の続く先、リアルドに向かっていた。
宿のロビーに現れたエリーゼの目は少し赤く腫れていたが、その表情には今までにない「芯」が通っていた。アルトリウスは、彼女が部屋から降りてきた瞬間、その雰囲気の変化を敏感に察知した。
「……アルトリウス、ジーク。目的地が決まったわ」
彼女は迷いのない手つきで、羅針盤をテーブルの中央に置く。針は微かに揺れながら、まっすぐ南の方角を指している。その針が指し示すのは、軍事国家メリディウスからはるか南にある彼女の真の故郷、リアルド。
「私のルーツ、そしてアルトリウスの記憶。全部あっちにある気がするの。……ジーク、あんたも付いてくるんでしょ?」
ジークは折れた短剣を懐にしまい、いつもの皮肉げな笑みを浮かべて肩をすくめた。
「まあな。お嬢ちゃんの『爆破テロ』に付き合うのも、案外悪くない。退屈だけはしなさそうだ。それに、俺のこのガラクタの出処も、そのリアルドって場所に繋がってる気がしてならねえのさ」
アルトリウスは、静かに頷いた。彼にとっても、時計塔のクレイが放った言葉、そして「音の核」が見せたあの温かな光の意味を知る必要がある。
「行こう、エリーゼ。君が道を示すなら、私は君の盾となろう。……今度は、泣かずにね」
「……って、その設定、まだ引きずってるの!? 薄々そうじゃないってあんたも気づいてるんでしょ! さあ、行くわよ!」
エリーゼは照れ隠しに、これまでの旅で一番の声量で叫ぶと、羅針盤を胸に抱いて宿を飛び出した。アルトリウスとジークは顔を見合わせ、思わず苦笑した。そして、いつものように彼女の後を追った。
自由の街を後にし、一行は南の故郷リアルドへと続く、険しくも輝かしい一歩を踏み出した。
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次回の第9話は、この後【18:40】に更新予定です。
■第9話 (幕間)琥珀色の古酒
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