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第7話 光の残響、乙女の絶叫

1. 家畜運搬船の屈辱


 メリディウス領の北に位置するフリーヘイヴンは、あらゆる人種と欲望、そして莫大な富が交差する「自由」の象徴たる街だ。朝日に輝く紺碧の海を割り、幾千の船が行き交う港に、一隻の巨大な貨物船が入港した。


 だが、その船は街の華やかさとは対照的に、鼻を突くような強烈な臭気を周囲に振りまく、家畜運搬船であった。甲板の隅、山積みにされた藁の影に、三人の男女が息を殺して身を潜めている。


 運搬船の底に響くのは、波の音よりも牛たちの低く濁った鳴き声、そして絶えず床を打つ蹄の音だ。隙間から差し込む陽光には、無数の埃と藁の粒子が舞い、呼吸をするたびに不快感に襲われる。


 一方、エリーゼはといえば、お気に入りの帽子にこびりついた乾いた泥を見つめ、今にも魔力を暴発させそうな形相で震えている……。かつては美しく輝いていた薄紫のドレスは藁屑と泥にまみれ、もはや雑巾のような惨状となったエリーゼは、顔を引きつらせて小さな拳を白くなるほど握りしめた。


「あのドブネズミ親父……!よりによって、この私……麗しき美少女エリーゼ様を、牛や豚と一緒に詰め込んで密航させるなんて……!いつか必ず、バルトロのあの高い鼻をこの拳で粉砕してやるわ。粉々にしてやるんだから!」

「まあまあ、お嬢ちゃん。自分で美少女って言うのはどうかと思うが……まあいい。ポート・アンカーの衛兵に捕まってりゃ、今頃冷たい地下牢で干からびてたところだ。こうして無事に着けただけでも感謝しな。お、見えてきたぜ」


 ジークが慣れた手つきで藁を払いながら甲板へ這い出し、眩しそうに目を細めて指を差す。そこには朝日に照らされ、無数の帆船の森と活気に溢れた巨大な港町が広がっていた。


 アルトリウスはその壮大な光景を静かに見つめながら、懐に忍ばせたオーブの感触を確かめていた。エコー・グロットの崩壊の中で感じたあの不思議な温もり――魂の内側に直接語りかけてくるような、懐かしくも切ない波動が、厚い籠手を越えて指先へと伝わってくる。


「……なあ、その光る玉。どこかで見たことがあるような気がするんだよなあ……」


 ジークが目ざとくアルトリウスの手元を覗き込み、顎を擦りながら続けた。


「この街には巨大な時計塔があるんだが……、そこに『クレイ』っていう偏屈な爺さんが住み着いててな。あいつが昔、似たような不思議な玉をいじくり回してるのを見たことがある。あそこなら、何か正体がわかるかもしれねえぜ」

「……時計塔の老人、か」


 行く当てのない彼らにとって、それは唯一の道標だった。一行は、まずその老賢者の元を目指すことに決めた。


2. バルトロの利息:地下水道の掃除


 しかし、「自由の街」は彼らを易々と受け入れてはくれなかった。港に降り立った途端、黒い旅装束に身を包んだ屈強な男たちが立ち塞がった。バルトロの手下たちだ。目つきの鋭いリーダー格の男は、冷ややかな笑みを浮かべて彼らに言い放った。


「さあ、密航代の『利息』を払ってもらおうか。ボスからの伝言だ。『最近、ここフリーヘイヴンの大事な顧客の安全を脅かしている厄介な地下のドブを掃除してこい』とよ」

「……あのドブネズミ……。利息って何よ!いったいいつまで働かせる気?!」

「元気がいいな。だが、ボスの命令は絶対だ。嫌ならこのまま船に乗ってポート・アンカーまで戻ってやっても良いんだぜ?」


 エリーゼの抗議も虚しく、彼らは華やかな目抜き通りを横目に、鼻を突く悪臭と湿気が漂う薄暗い地下水道へと力ずくで押し込められた。


「ったく、なんで私が……、こんな汚いところで魔物退治なんか……!」


 エリーゼの放つ紫電の魔力が地下水道の闇を眩く照らし出し、アルトリウスの抜いた銀閃が、闇に潜む異形の影を一瞬で切り裂く。最奥で待ち構えていたのは、かつてエコー・グロットの洞窟で見たものと同じ、禍々しい「黒い霧」をまとう巨大な泥状の魔物であった。


「さあ、大人しくしてちょうだい!」


 エリーゼがそう叫ぶと、右拳から紫電の雷撃が放たれる。ジークが使い慣れた短剣で地面から引き剥がすと、アルトリウスがそのまま一閃した。


 三人の息の合った連携によって魔物を霧散させた後、ジークが足元のガラクタの中から一本の「折れた短剣」を拾い上げた。錆びついたその刀身には、かつて栄華を極めた聖都ソラスの紋様が刻まれている。ジークの瞳に一瞬だけ宿った、形容しがたい沈痛な色を、アルトリウスは見逃さなかった。


「……ジーク、その短剣は?」

「……いや、なんでもねえ。ま、少しは金になりそうだってだけさ。さあ、さっさとこんな辛気臭い場所からおさらばしようぜ」


3. 時計台の賢者クレイ


 地上に戻り、一行は街の中心にそびえ立つ、空を突くような巨大な時計塔を目指した。無数の巨大な歯車が噛み合い、複雑な機械音を鳴り響かせる塔の一室に、風変わりな老人「クレイ」はいた。彼はアルトリウスの持つ輝くオーブを一目見るなり、驚きに目を見開いた。


「ほう……その玉からは、おぬしの剣の鋭さと、仲間を想う熱い鼓動が聞こえるぞ」


 クレイはアルトリウスからオーブを受け取ると、吸い込まれるようにそれを見つめ、声を震わせた。


「なんと純粋な調べじゃ……。このように透き通った『音の核』を目にするのは、生涯で二度目じゃ。素晴らしい、実に素晴らしい……!」


 クレイはそれを『音の核』と呼ぶと、不思議な仕掛けの施された魔導具「響きの玉」へと組み込んだ。その瞬間、作業場全体が眩い黄金の光に包まれた。オーブはアルトリウス自身の魂を映し出したかのような、どこまでも澄み渡る至高の音色を奏で始めたのだ。


「これが、おぬしという人間の調べじゃ。おぬしは常に光に守られておる。その調べを決して忘れるでないぞ」


 光に守られている。それは、アルトリウスが失った記憶の彼方で、誰かに言われていた言葉だった。どうしてもその顔は思い出せないが、胸の奥が締め付けられるように熱くなるのを感じた。


「こんなにもいい音を聴かせてもらったのは何年ぶりか。……そうだな、もう一ついいものをやろう。これを持っていけ。おぬしたちの力になるじゃろう」


 クレイから渡された別の輝く魔導具。それは、琥珀でコーティングされた不思議な輝きを放つ魔導具、「残響の琥珀」であった。それは彼らの歩んだ道の記憶を定着させ、瞬時に空間を跳躍させる、古代の叡智の結晶であった。


4. 衝撃のジャガイモお嬢様


「ふん、まあ便利そうなものを手に入れたわね。……それにしても、さっきから街の様子が変じゃない?」


 活気溢れる市場を歩きながら、エリーゼが首を傾げた。自分たちは国家を揺るがす指名手配犯のはずだ。だが街の人々は誰一人として自分たちを恐れる様子もなく、それどころか目も合わせようとしない。


「確かに。メリディウス領内であれば、既に手配書が行き渡り、衛兵が飛んでくる……はずだが?」


 アルトリウスも周囲を見回す。


「はっはっは!バルトロのおっさんが『粋な計らい』をしてくれたってことさ。アレを見てみろよ」


 ジークが市場の掲示板を指差す。そこには真新しいインクの香りが残る手配書が、何枚も重ねて貼られていた。


【WANTED: BOMBING TERRORIST "POTATO OJO-SAMA"】


 そこに描かれていたのは、人間の顔ではなく、野菜だった。紛れもない『ただのジャガイモ』に、妙にリアルで無表情な顔が描かれた、なんともシュールな代物。そして、こう書いてあった。


「指名手配犯:ジャガイモお嬢様。特徴:性格が極めて凶暴。気に入らないことがあると岩山を爆破する。見かけても目を合わせないこと」


 エリーゼの顔がみるみる紅潮する。


「…………これ、だれ?」


 エリーゼの声が地を這うように震え、周囲の気温が数度下がった。横で覗き込んだアルトリウスは、極めて真面目な顔で手配書とエリーゼを交互に見比べ、努めて静かに口を開いた。


「安心しろ、エリーゼ。……全く、似ていない」

「当たり前でしょおおお!!!これは野菜よ!あのクソ親父、絶対に許さないんだからあああ!!!」


 フリーヘイヴンの茜空に、エリーゼの絶叫とジークの爆笑が響き渡った。バルトロの「粋な配慮」によって彼女たちは完璧な自由を手に入れた。しかしその代償は、エリーゼの乙女心にとってあまりにも残酷で、あまりにも高い「利息」であった。


ご覧いただきありがとうございました!

次回の第8話は、この後【12:10】に更新予定です。

■第8話 嘘と愛情と星の羅針盤


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