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第3話 (幕間)アシュベリーの悲劇

1. アシュベリー襲撃


 遡ること約半月。エグザルティア王国の王子「エリオス」が、ウィンダミアでエリーゼに「アルトリウス」と勝手に名付けられる、少し前の話である。


 エグザルティア王国の南端に位置する街アシュベリーは、かつて光の英雄たちが邪神と死闘を繰り広げた場所として知られ、人々が賑やかに暮らす活気ある地だった。しかし、その平和は唐突に、そしてあまりにも残酷に終わりを告げる。


 各地で魔物が増加しているという不穏な報告がエグザルティア城に届き、対策を協議していた矢先だった。アシュベリーが「魔物の大群に包囲された」という悲鳴のような伝令が舞い込んだのである。


 事態を重く見た暫定国王ウィルは、直ちに魔物討伐軍の派遣を決定した。その傍らには、若き王子エリオスの姿があった。


「叔父上、アシュベリーは多くの国民が生活する大切な場所です。絶対に……、絶対に何としても守らねばなりません。このエリオス、必ずや民を守り、王家の誇りを示す覚悟です」

「うむ、それでこそ王位継承者としてふさわしい。しっかりやれ。お前ならできると信じている」


 ウィルの力強い言葉に、エリオスは深く頷いた。


「兄上が生きてさえいれば…、お前の父上が生きてさえいれば、この成長をどれほど喜んだことか」


 ウィルはエリオスの肩に手を置き、甥の成長を心から喜ぶように笑みを浮かべると、優しい眼差しをエリオスに向けた。


 エリオスは数年前に不慮の事故で亡くなった先代国王の嫡男であり、半年後に成人の儀を控えていた。儀式を終えれば正式に王位を継承することになっている。それまでの間、実の叔父であるウィルが暫定国王として国を預かっていたのである。エリオスにとってウィルは、幼い頃から武術と政(まつりごと)を説いてくれた、父にも等しい信頼を寄せる人物だった。


 ウィルとエリオスが率いるエグザルティア正規軍は、その迅速な行動によりすぐさまアシュベリーに駆けつけた。


 だが、軍を率いて辿り着いたアシュベリーの光景は、彼らの想像を絶していた。


 街を囲む城壁は無残に砕かれ、家々からは黒煙が立ち上る。逃げ惑う人々の悲鳴が、魔獣の咆哮にかき消されていく。果敢に戦っている住人たちもいるが、魔獣の数はおびただしく、その抵抗も犠牲者を増やしているだけに思えた。


「一人でも多くの人々を救い出せ!ここは我々エグザルティア正規軍が食い止める!」


 エリオスは自らの剣を抜き、勇敢に最前線へと躍り出ていった。


2. 敗走


 エグザルティア正規軍は、その練度の高さから軍事国家メリディウスにすら匹敵すると恐れられる精鋭揃いである。本来ならば、並の魔物の群れに遅れを取るはずがなかった。


 しかし、戦況は芳しくない。どれほど斬り伏せても、影の中から魔物が無限に湧き出してくるのだ。


(何かがおかしい。この魔物たち……次から次と、なぜ一向に減らない……?)


 エリオス率いる正規軍の主力部隊をもってしても、次々に襲いかかる魔物の群れを食い止めるだけで精一杯であった。


「隊列を崩すな!全員その場で応戦、人々の逃げ道を確保せよ!」


 そう叫びながら逃げ惑う人々を目で追い、エリオスは自らも前線に立って魔物の群れと対峙していた。


 そうした混迷を極める戦場の中、エリオスの背後から突如としてウィルが現れた。


「エリオス!油断するな、包囲されているぞ!」

「叔父上、なぜここまで!ここは私に任せて、早く安全な場所へお戻りください!」


 エリオスは一瞬、背後のウィルを振り返って安否を確かめると、再び押し寄せる魔獣の群れへと向き直った。


 その時である。


 背後の空気が一瞬にして不快な冷気へと変貌した。


 振り向かずともわかる。エリオスの背後で放たれた気配が「漆黒」に染まる。


 ――殺気。


 とっさの身体能力が、エリオスの命を救った。彼は振り返りざまに剣を振り抜き、背後から突き出された短剣を、火花と共に弾き飛ばした。金属が激突する甲高い音が、戦場に響いた。エリオスの右腕に、痺れるような衝撃が走る。そして、そこで目にした光景は、エリオスにとって心底信じがたいものだった。


「……叔父上、何を!?」


 エリオスの瞳が驚愕に揺れる。そこにいたのは、自分を慈しんでくれた叔父ではなかった。表情は凍りつき、瞳の奥には底知れぬ闇が渦巻いている。周囲には漆黒の霧がまとわりつき、目には殺意がみなぎっていた。そして、その全ての行動に迷いはなかった。


「うぐ……その身のこなし、さすがはエグザルティア随一と言われるだけある。だが、それもここまでだ。お前の血が絶えれば、この国は完成するのだよ」


 ウィルの声は、まるで地底から響く呪いのように低かった。彼が手をかざすと、影からさらに巨大な魔獣が這い出し、エリオスへと牙を剥く。


 信じていた者の裏切り。戦場の阿鼻叫喚。エリオスの思考は白く染まりかけるが、必死に剣を振りさばき、襲いくる魔獣を退ける。


「叔父上……ウィル叔父上!!」


 叫びが届かぬ絶望の中、エリオスが握る剣が、突如として蒼白き輝きを放った。


3. 聖剣の光


 一瞬、戦場のすべてが静止したかのような錯覚。時が止まり、チリ一つ動いていないかのような静寂。周囲にいた魔物たちは一瞬にして灰となって消えていった。そして、輝く聖剣の光の中、ウィルが叫んだ。


「な、何を……その光は……!?」


 ウィルが初めて顔を歪め、その輝きに怯んだ。同時に、彼の体を覆っていた黒い霧が、陽光に焼かれるように霧散していく。ウィルはその激しい苦痛に呻き、両手で顔を覆い隠していたが、すぐに我に返るとエリオスに視線を向けた。


「エ、エリオス……?なぜ、私は……それに、この惨状は……」


 ウィルの表情が、瞬く間に元に戻った。彼は自分の手を見つめ、瞬時に何が起きたのかを悟ったように顔を青ざめさせていた。


「叔父上!」


 駆け寄ろうとするエリオスを、ウィルは必死の形相で制した。


「来るな!逃げるのだ、エリオス!早く……私の意識が、また……飲み込まれる前に……!」


 ウィルは苦しそうに頭を押さえ、エリオスの後方を指差した。ウィルの背後では、再び影がうごめき始めている。


「行け! 逃げて、生き延びるのだ! エグザルティアの、……光を絶やしてはならない……!」


 ウィルは最後、突き放すように叫んだ。


 エリオスは必死の思いでウィルを見つめ、悔しさに唇を噛み締めながら、身を翻した。何が起きたのか、到底理解が追いつかなかった。しかし、ウィルの「逃げろ」という言葉だけが繰り返し頭の中で鳴り響いた。その言葉に従うしかなかった。


 陥落寸前のアシュベリー。王宮を襲う影。そして、呪縛に抗うウィル。


 彼は叔父が指し示した方角、アゼルロードとの国境にそびえる険しい山脈へと向かって走り出した。背後で何かが崩壊する轟音を聞きながら、彼はもう振り返らなかった。


 焼け落ちる街並み。逃げ惑う民の悲鳴に混じり、かつての平和の象徴だった教会の鐘が、歪んだ音を立てて崩れ落ちる。焼けた石と鉄の匂いが鼻に突き刺さる。そして、それを守ることもできず走り去る自分。全てが悪夢だった。何もできずに走る自分に対し、エリオスの心の中では全てを破壊するような大きな騒音と、何かが弾け飛ぶような壊れた響きだけが渦巻いていた。


 険しい山道を、幾夜も不眠不休で越えた。魔物との戦闘で負った傷が痛み、意識が混濁していく。


(死ぬわけには……いかない。私は……)


 国境を越え、豊かな緑が広がるウィンダミアの森に入った時、ついに彼の限界が訪れた。考える間もなくその場所に倒れ込む。激しい狂騒も、灼けつく痛みも、すべてが深い海の底へと沈んでいく。意識は一瞬で遠のいた。


 それから数日後。


 泥にまみれ、自らの名すら忘れた彼が、一人の不機嫌な少女に「アルトリウス」という名を与えられることになる。


 そしてその少女が、彼を更なる騒動へと巻き込んでいくことなど、この時のエリオスには知る由もなかった。



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