第23話 (幕間)決戦の輝光、偽りの王
1. 永すぎた数カ月の果てに
王都エグザルティアを覆う朝焼けの光は、この数カ月で一段と、粘りつくような色濃さを増したように感じられた。
あの日、南端の街アシュベリーが業火に包まれ、エグザルティアの至宝であったエリオス王子が「戦死」したという絶望的な報がもたらされてから、季節は確実に移ろっていた。広場では今も、最愛の甥を失った悲劇を乗り越え、不眠不休で国を統治するウィル国王を「不屈の希望」として崇める民衆の声が絶えない。
だが、その平穏は、今にも割れそうな薄氷の上に成り立つ危うい虚構に過ぎなかった。その体も精神も、すでに限界を超えていた。
ウィルは執務室の椅子に腰掛け、深い溜息をつく。そして、その窓越しに平和で穏やかな街並みを見下ろしていた。明るい朝の太陽に照らされながら、活気に包まれた街で人々の一日が始まろうとしている。その様子は、ウィルにとって何ものにも代え難い、あるべき王国の姿であった。
街が目を覚まし、人々の声が聞こえ始める中、ウィルは一度窓から目を外し、漆黒の気配に包まれた執務室を見てから、一人目を閉じた。
ここ数年、特にエリオスを失ってからの日々は、彼は己の魂を蝕む邪神の呪縛と、一分一秒を争う凄惨な内戦を繰り広げてきた。表舞台では毅然とした「賢君」として振る舞い、民の心を繋ぎ止めてきたが、鏡に映る自分自身の顔は、もはや生者とは言い難いほどに削げ落ちている。肌は死人のように青白く痩せ細り、瞳の奥では、自分のものではない黒い光が不気味に揺れていた。
ウィルはゆっくりと目を開くと、静かに立ち上がった。
「……陛下、お加減が優れないようですが。今夜の戦勝祈念祭の演説は、中止になさいますか?」
側近が執務室のドアを開けると、ウィルの顔を見て心底心配そうに問いかける。ウィルの震える背中が、あまりに小さく、脆く見えたからだ。
「……いや、構わん。民を不安にさせてはならん……。この国の輝きを……絶やすわけには、いかないのだ。私が……踏み止まらねばならない」
ウィルの声は掠れていたが、その言葉に含まれた「偽りのない献身」に、側近たちは再び感涙し、深々と頭を下げてその場を後にした。
2. 崩壊する自我と、邪神の嘲笑
重い扉が閉まり、静寂が戻ると同時に、ウィルは激しく吐血した。
その血はもはや鮮血の色を失い、どす黒い粘着質な闇を帯びている。床に落ちた飛沫は、生き物のようにのた打ち回りながら、主を嘲笑うように彼の影へと吸い込まれていった。
(もう、限界か……。これ以上は……抑え込め……な……。エリオス……)
ウィルの精神世界は、今や邪神ルミナリス・シャドウの黒い触手によって九割以上が塗り潰されていた。アシュベリーの惨劇で甥を突き放し、裏切り者の汚名を背負ってから辿ってきた数カ月間は、永劫とも思える拷問の日々であった。
邪神は、ウィルの「人間としての高潔な心」を肥沃な苗床にして育っていた。彼がエリオスの無事を祈り、国民の安寧を願えば願うほど、その強固な感情が邪神のエネルギーへと変換され、皮肉にも彼自身の肉体を内側から破壊し、完全復活への糧となっていく。
(無駄な抵抗はやめろ、ウィル。お前の身体は既に我が手中……。命懸けで逃がしたあの「光」が戻ったところで何も変わらぬ。その手を使って自らを討たせる。それがどれほど残酷なものか……、分からぬわけではあるまい。お前の浅はかな慈悲など、何の役にも立たなかったのだよ)
邪神の不浄な嘲笑が、頭の内側を直接爪で掻きむしるように不快に響く。
(……いや……あの子は必ずそれを果たす……。あの清廉な光は、お前如きに敗れはせぬ……。私は信じているのだ……!)
ウィルは、欠け落ちゆく最後の理性を振り絞って抗う。あの日、アシュベリーの絶望の中で放たれた「蒼白き輝き」の残像。あれこそが、この闇に覆われた世界に残された唯一の救済であると、彼は一度も疑うことはなかった。
3. 伝説の帰還、断罪の咆哮
その時であった。
王都を包んでいた不気味な静寂を、物理的な衝撃を伴う波動が突き抜けた。
王城を護る幾重もの魔導結界が、外部からの強烈な、しかし清浄なエネルギー干渉を受けて激しく軋みを上げる。王宮中に侵入を告げる警告の鐘が、悲鳴のように乱打され始めた。
ウィルはガクガクと震える膝を叩いて強引に立ち上がり、バルコニーへと身を乗り出した。
雲海のはるか彼方。朝日の燃えるような輝光を背負い、虹色の航跡を描いて飛来する一筋の眩い閃光。
三百年前に失われたはずの古代の翼、そして、それを駆って現れた「真の守護者」の気配。
(……ああ……ああ、エリオス……!よくぞ……よくぞ戻ってくれた……!)
ウィルの土気色の頬を、熱い涙が伝い落ちた。
数年に及ぶ地獄の孤独。いつ終わるとも知れない精神の死闘。それらすべてが、今、天空を切り裂いて現れた「虹色の輝き」によって報われようとしていた。
王の体内に潜む邪神の影が、飛空艇の放つ神聖な魔力に激しく拒絶反応を起こし、狂ったように暴れ出す。影は王の肉体を無理やり人形のように操り、腰の剣を抜かせた。
「不敬なる侵入者め……。我が威光を侵す不届き者は、誰であろうと塵にせよ」
ウィルの唇から、邪神の凍てつくような冷酷な言葉が放たれる。城壁に設置された数多の魔導砲が、一斉に天空の飛空艇へと砲門を向け、漆黒の雷撃を不気味に充填し始めた。
だが、その冷徹な殺意の裏側で、ウィルの魂は狂喜に震え、叫び続けていた。
(来い、エリオス!お前なら……、今の私なら、殺せるはずだ!この腐り果てた私ごと、この忌々しい邪悪を討ち果たすのだ……!聖剣を振るえ、エグザルティアの正当なる、唯一の、光の継承者よ……!)
虹色の飛空艇が、朝日に照らされた王都の空へと颯爽と躍り出る。
アシュベリーの悲劇から始まった数カ月。
多くの仲間との出会い、数多の戦い、そして手に入れた「伝説の翼」と「覚醒した聖剣」。
今、すべての因縁を断ち切り、世界の夜を明けさせるための、最終決戦の時が迫っていた。
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次回の第24話は、この後【18:40】に更新予定です。
■第24話 血塗られた抱擁、光と影の円舞曲
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