第15話 (幕間)亡国の叔父と血塗られた祈り
1. 虚飾の白亜と静寂の玉座
王都エグザルティアは、今日も美しく白く輝いていた。行き交う国民たちの表情には、相次ぐ不幸に見舞われながらも国を支え続ける「良き王」ウィルへの、揺るぎない信頼が溢れている。
教会では連日、王のために祈る人々が集まり、美しい賛美歌が奏でられていた。城の衛兵たちもウィル王を称賛している。また、街の広場は子供たちの笑い声で溢れ、露店からは活気ある声が毎日のように響く。彼らにとってウィルは、兄王を亡くし、甥を失った悲劇を乗り越え、自分たちの生活を守ってくれる慈悲深い統治者であった。
だが、その清潔な街並みとは裏腹に、王宮の最深部にある玉座の間は邪悪な魔力に支配されていた。
玉座に深く腰を下ろしているウィルの顔には、表舞台で見せる慈悲深い微笑みはない。彼の肉体は既に邪神ルミナリス・シャドウの依代となり、その鼓動が王国を静かに壊していく。彼は決して、自らの意志でこの王座を望んだわけではなかった。ただ、邪神の目的を果たすための「器」として、この王国の解体を進めているに過ぎない。
膝の上に置かれた漆黒の魔剣からは低い呻き声が漏れ出し、どす黒く光るその魔剣は自らの意思を持つかのように脈打っている。だが、その剣をなぞる彼の手は、時折、彼自身の意志とは無関係に微かな震えを見せていた。
2. 絶望と祈り
ウィルは目を閉じ、静かに、ここ王都で起きた惨劇、そして、あのアシュベリーの夜に起きた出来事を思い出していた。
どこからともなく現れ、その甘美な囁きに一瞬の隙を突かれた夜。そのまま闇の流れに身を任せ、兄オーレリアスを葬った惨劇。そして、最愛の甥であるエリオスをもその手で葬り去ろうとした狂気。しかし、邪神の意志に完全に乗っ取られようとしていたその極限の瞬間、彼の中に残っていた「ウィル」という名の人間が、一度だけ猛然と立ち塞がった。
邪神の操る魔物の群れに死を覚悟したエリオスが、その手に握りしめていた聖剣。代々エグザルティア王家に伝わる邪神封じの武具。それが一瞬、闇を切り裂くように眩く光り輝いた。その聖なる剣の輝きが、ほんの一瞬だけ、支配を押し止めたのだ。
(逃げろ、エリオス……!)
あの時、必死の思いで叫んだ祈り。手が震え、急速に意識を取り戻したあの時。目の前に現れたのは、目を覆うばかりの惨状だった。そして、ウィルの前で聖剣を手に立ち尽くすエリオスに向かって、絶望的な祈りを込めて叫んだ「逃げろ」という言葉。薄れゆく意識の中、エリオスの姿が見えなくなると同時にまた記憶が完全に途絶えた。しかし、間違いなく生きている。エリオスが生き延びていることは、邪神にとっては忌々しい計算違いだろうが、ウィル個人にとっては、己がかつて人間であった証そのものだった。あの日以来、甥の最期を看取った者は一人として存在しない。
ウィルは確信していた。あの光と血脈が、そう容易く消えるはずがないのだと。その確信だけが、まだ人間としてのウィルをこの世に繋ぎ留めていた。
3. 邪神の囁きと仮面の王
「……感じたぞ。三百年前の遺物が、再びこの世界の海に産声を上げたのをな」
ウィルが呟くと、玉座の背後の闇から、いくつもの節足を持つ異形の影が這い出してきた。壁にはいくつもの目のような模様が浮かび上がり、その声は幾重にも重なって鳴り響く。それは邪神の分身であり、彼の耳元で、甘く、そしておぞましい声で囁きかける。
「……光の英雄の末裔が、力を取り戻しつつある……。このままでは、我々が創るべき『美しき無の世界』が脅かされる……」
ウィルの意志ではない。彼の肉体はただ邪神の意志のままに動かされているにすぎない。だが、彼はさもそれこそが自らの目的であるかのような面持ちで答える。
「案ずるな」
ウィルは冷徹な「賢王」の声を使い、背後から忍び寄る異形を退けた。
「所詮は過去の遺物……。光の精霊ルミナリスの残した紋章を集め終える前に、あの者たちを海の藻屑にしてやれば済む話だ。誰に知られることもない。未だ彼らの存在を知るものは、ほとんどいないのだ」
彼は手元にある魔剣を持ち上げた。そして、その魔剣を通じて、大陸を囲む広大な海へと指示を出す。魔剣の持つ黒い波動が、闇の内側を流れるように伝わっていく。その意志は誰に気づかれるともなく静かに、そして確かに広がっていった。異形の影はその振る舞いに満足したのか、音もなく消え去った。
呼びかけに応じるように、エグザルティア周辺の深い海域で、巨大な影がうごめき始めた。あるものは海の底から這い出し、あるものは岩陰から姿を現す。周囲の海は荒れ、空では雷鳴が轟いていた。三百年前、光の英雄によって封じられたはずの古代海獣たちが、邪神の魔力を受けて次々と目を覚ましていく。波の下でうごめくその影は、海に新たな災いをもたらそうとしていた。
4. 王家の断罪と密かな期待
異形の影が消えた後、ウィルは玉座の間に控えていた影の騎士たちに冷徹な命令を下した。
「行け。紋章を集めきる前に、あいつらを仕留めるのだ。光の英雄は過去の話だ。美しき無の世界とその静寂こそが、我々が果たすべき使命だ」
その言葉を聞くと、影の騎士たちは次々と闇へと消えていった。全ての騎士たちが出払うと、あたりは静寂に包まれた。ウィルは独り、美しき王都の夕景を窓越しに見つめた。そこに映る姿は、疲労と闇の力によって賢王の面影すら残っていない。
邪神に蝕まれたその意志は、ありとあらゆる手段を使って光の英雄の再来を阻止しようとしている。そして、かつて叔父としてエリオスの頭を撫でたその手で、今度は彼の喉笛を掻き切る。その残酷な運命こそが、邪神へ捧げる最高の供物になる。
だが、その冷徹な決断の裏側で、彼の魂の一部は狂おしいほどに願っていた。邪神の傀儡としてエリオスを葬り去るのか、それとも、あの日逃がした甥が、この醜悪な叔父を討ち果たしに来るのか。
「来い、エリオス。お前が真実を知った時、その瞳は私の絶望と重なるだろう」
口から漏れるのは、邪神の代弁者としての呪いの言葉。だが、その心の奥底に沈んでいるのは、自らが「人間」として死ぬための、あまりにも血塗られた期待であった。もしエリオスが自分を倒すなら、それこそが王家に残された最後の光となるはずだ。
彼は沈みゆく太陽を背に、静かに瞳を閉じた。
ご覧いただきありがとうございました!
次回の第16話は、明日【6:40】に更新予定です。
■第16話 空駆ける翼の予感と、賢者の導き
面白いと思ってくださったら、ぜひ【ブックマーク登録】や評価の【★】で応援をよろしくお願いいたします!




