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第11話 聖都の祈りと絶望の巨塔

1. 折れた短剣、冷たき月夜の独白


 メリディウスの御前試合が残した狂熱と熱狂は、嘘のように消えていた。街を包むのは冷たい静寂。


 宿の屋上、剥き出しの無機質な石造りの床に腰を下ろしたジークは、夜風に吹かれながら一本の「折れた短剣」を月光に透かしていた。銀色の刀身は至る所が刃こぼれし、中央から無惨にへし折れている。しかし、柄の近くに刻まれた精緻な紋様だけは、月の光を浴びて怪しい輝きを放っている。それを見つめるジークの瞳は、すべてを諦めたような目と、逃げられぬ運命を直視する狂気が入り混じったような、ある意味とても穏やかなものだった。


「……逃げられない宿命ってやつは、誰にでもあるんだな。……なあ、そう思わないか、騎士様」


 背後から近づく微かな足音。鎧の擦れる音に気づいていたのか、ジークは振り向きもせずに問いかけた。そこには、同じく夜の静寂に耐えかねたアルトリウスが立っていた。


「眠れなかったのか、アルトリウス」

「……ああ。昼間の試合の感触が、まだ掌に残っていてね。ジーク、その短剣……独特な文様だな。どこの国の工芸品でもないようだが、家紋か何かか?」


 アルトリウスの静かな問いに、ジークはわずかに口角を上げた。その横顔には、昼間の陽気な彼からは想像もつかないほど深い影が落ちている。


「ソラスさ。聖都ソラスの、古き血筋に伝わる『守護の文様』だ。……俺は、かつてあの土地に住んでいたのさ。だが、すべてが不浄な灰に変わり、空が死の色に染まっちまったんだよ」

「……ジーク、君は」

「ははは、すまねえな、忘れてくれ。ソラスはいい街さ」


 ジークはアルトリウスの憐憫を遮るように、指先で器用に短剣を回し、懐へと叩き込むようにしまい込んだ。


 ジークの独白を聞きながら、アルトリウスは胸の奥が冷たくなるのを感じていた。


(エグザルティアのエリオス……)


 その名が自分を指しているのだと突きつけられた瞬間、彼を襲ったのは、安堵ではなく恐怖だった。燃え広がる炎と崩れ落ちる尖塔。取り戻すべき過去が、まるで深い絶望のように彼を包み込んでいる気がした。


「俺がこのなまくらを見つけ、捨てられずに持って旅をしているのも、結局は運命ってやつが、全てを放り出して放浪してた俺に何かを言いたいのかもしれねえ。……ま、俺みたいな詐欺師の端くれには、これっぽっちも似合わねえ話だがな」

「そんなことはないさ」


 アルトリウスはそう言うと、ジークの言う「運命」という言葉に、今の自分自身の状況を重ね合わせていた。


(運命か……。であれば、記憶をなくしたことも、運命なのだろうか)


 エリオスではなく、アルトリウスである意味。それはいったい何であろうか。その答えのない問いに、アルトリウスは静かに目を閉じた。


 ジークは立ち上がり、はるか東の地平線を見据えた。連なる山脈の向こうに漆黒の夜空を不気味に貫くような、巨大な塔「アストラル・ピラー」がそびえ立っているのが見えた。その頂からは、天を汚すような不浄な黒い光の柱が立ち昇り、周囲の美しい星々を飲み込んでいた。


「……あれは、いったい?」


 アルトリウスはジークの視線の先を見据えると、その禍々しい巨大な塔を指さして聞いた。


「ああ、あれか。ありゃあ、呪いそのものだな。近寄るだけで魂が腐りそうだ。だが、あそこに触れねえ限り、俺の時間はあの日のまま……止まったままだ」


 ジークはそう答えると、頭を掻きながら苦笑した。アルトリウスもそれ以上、聞くことはしなかった。


「さあ、戻ろうぜ。明日は朝から出発だ」


2. 星の羅針盤と、絶望の塔の麓


 翌朝、一行は朝霧が立ち込める中、早々に宿を発った。手に入れた「特級通行証」を掲げると、威圧的だったメリディウスの南門は、重々しい金属音を立てて開かれた。


 一行は荒野を抜け、リアルドを目指す。エリーゼはガレットから託された古文書を広げ、古めかしい「星の羅針盤」を眺めていた。羅針盤の針は、時折何かに怯えるように不自然な震えを見せ、遠くのアストラル・ピラーを指しては、慌てて逃げ出すように南の方角へと戻る。


「……おじいちゃんの手紙によると、あの塔には古代の『空飛ぶ乗り物』を目覚めさせるための紋章が隠されているらしいわ。でも、見て……この羅針盤の反応を。あそこには黒くて深い闇のような、強力な負の力が働いている」


 エリーゼが指差す先、アストラル・ピラーの麓は、視界を完全に遮るほどのどす黒い霧に覆われていた。それは自然の気象現象などではなく、明確な意思を持って侵入を阻止しようとする漆黒の結界であった。霧の奥からは、時折、この世のものとは思えない低いうなり声が響いてくる。


「あぁ、あれな。ただの結界じゃねえよ。触れた瞬間に肉も魂も粉々にされるのが関の山だぜ。今の俺たちじゃ、入り口の掃除すらさせてもらえねえだろうな」


 その言葉は氷のように冷ややかだったが、残酷なまでに真実だった。かつての光の英雄たちが残した偉大な遺産に辿り着くには、今の自分たちはあまりに無知で、あまりに脆弱だ。


 ジークは振り返ると、それには触れたくないといった面持ちで足早に歩き出した。


 エリーゼは悔しげに唇を噛み、古文書の羊皮紙を破れんばかりに強く握りしめる。


「……そうね、今はまだ…、入れそうにない。この星の羅針盤の動きを見てもわかるわ。でも私たちの……いいえ、この世界の運命があそこにあるなら、いつか必ず霧が晴れる時が来る。おじいちゃんが私にこの羅針盤を託したのは、この霧を払うための『真実』が、私たちの旅の先にあると信じているからよ」


 彼女は自分に言い聞かせるように、震える声で呟いた。紋章を手に入れ、再び伝説の翼が空へと広がる日は来るのだろうか。人知れず世界が闇にのまれていく中、空に輝く太陽はいつものように明るく、そして大地は依然として雄大に広がっている。


 周囲に広がる荒涼とした景色を眺めながら、彼女はまだ見ぬ希望の断片を必死に探していた。塔から伸びる巨大な黒い影が、彼らの行く先を冷たく、不気味に横切っていった。


3. 潮騒の予感、故郷リアルドへ


 やがて一行はメリディウスの荒野を抜け、険しい関所を越えて、聖都ソラスの領土へと足を踏み入れた。その瞬間、視界が一気に開ける。


 眼下には、陽光を浴びて宝石のようにキラキラと輝く紺碧の海と、その海岸線に沿って整然と広がる聖都ソラスの美しい城下町が見え始めた。かつて、若き日のジークが走り回ったであろう、潮風の香る美しい故郷。


 ジークは一瞬だけ、焼き付くような険しい眼差しでその美しい景色を睨みつけた。だが、次の瞬間には自分の顔を両手で叩いていつもの不敵な表情に戻り、アルトリウスとエリーゼに声をかけた。


「おいおい、のんびり観光してる時間はなさそうだぜ!追っ手の目もあるしな。メリディウスの兵士より、ソラスの聖騎士の方がよっぽど執念深いぜ?さあ、気合入れな!」


 目指すは、ソラスのさらに南。エリーゼの故郷であり、彼女の両親が命を賭して最期まで守り抜いたという「伝説の盾」が眠る聖地、リアルド。


 聖都ソラスへと続く一本道を通り抜け、清涼な潮風がエリーゼの髪を激しくなびかせる。彼女は手にした羅針盤を、自らの心臓の鼓動を確かめるかのように強く握りしめた。


(待ってて、お父さん、お母さん。……私、強くなるわ。自分の運命を、この目でちゃんと見届ける)


 三人の旅路は、穏やかに日が沈んでいく方角へと向かいながら、真実が眠る故郷に向かって加速していった。


 潮の香りが強くなるにつれ、エリーゼの胸の鼓動も、痛みを感じるほどに激しさを増していく。かつて自分を戦火から逃がしてくれた両親の無償の愛が、今は指先の震えを止める確かな、そして温かな勇気へと変わっていた。


 だが、その背後――。


 見捨てられたアストラル・ピラーの頂からは、依然として黒い光の柱が彼らを見下ろしていた。まるであらゆる希望の道が、最後にはあの絶望へと収束すると予言するかのように、空を侵食し、不浄な輝きを放ち続けていたのである。


ご覧いただきありがとうございました!

次回の第12話は、この後【18:40】に更新予定です。

■第12話 (幕間)月影のセレーネ


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