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第10話 コロシアムの白銀、深紅の刺客

1. 鉄壁の街、鋼の威圧


 鋼鉄の巨大な門が、まるで見上げる者を圧殺せんとする巨人のようにそびえ立っている。軍事国家メリディウスの要衝、城塞都市。その入り口に立つだけで、空気は鉄の錆びた匂いと、行き過ぎた規律がもたらす息苦しい威圧感に満ちていた。


 等間隔に配置された重装歩兵たちの槍先は、冬の陽光を反射して鈍い銀光を放っている。その一糸乱れぬ直立不動の姿勢は、まるでこの街が「巨大な監獄」であるとでも言っているかのようだった。


 検問所には厳戒態勢が敷かれ、衛兵たちの鋭い視線が往来する人々の全てを見透かすかのように突き刺さる。エリーゼは煤(すす)けた厚手のフードを深く被り、指先が白くなるほどにマントの端を握りしめていた。


(大丈夫。大丈夫よ、エリーゼ。落ち着いて。今の私は、追われる身のテロリストなんかじゃない。……そうよ、本物のテロリストは、あの『ジャガイモ』なのよ……!)


 彼女は自分に言い聞かせ、激しく脈打つ心臓の鼓動を必死に抑え込んだ。その隣には、マントを羽織って鎧に刻まれた王家の獅子意匠を隠したアルトリウスが、静かに彫像のように佇んでいる。


 ふと、エリーゼの視線が石造りの壁に貼り出された一枚の紙に止まった。


【WANTED: "POTATO OJO-SAMA"】


 そこには、悪意としか思えないバルトロの、憎たらしい「ジャガイモ」の似顔絵が描かれていた。バルトロが逃亡を助けるために手配した偽の手配書である。


 検問の衛兵は、手配書に描かれた「ジャガイモ」と、目の前に立つ、わざとらしくキラキラと瞳を輝かせる麗しい少女を、交互に何度も無遠慮に見比べた。


「……チッ、コレとこのお嬢さんが似ているはずもないか。時間の無駄だ。さっさと通れ」


 衛兵は吐き捨てるように呟き、呆気なく通行を許可した。エリーゼは屈辱のあまり顔を真っ赤に染め、唇を噛んで震えた。


(……バルトロ、今回だけはその悪趣味にも感謝してあげるわ……でも、一生許さないから……!)


 心の中で毒づくのが精一杯だった。一方、ジークはそんな彼女の様子を面白そうに眺めながら、銀貨を弄び、軽快な足取りで街の喧騒の中へと溶け込んでいった。


2. 武闘大会と「本物」の咆哮


 都市の内部は、メリディウス国王の御前で開催される大規模な武闘試合の熱狂に包まれていた。石造りのコロシアムからは地響きのような歓声が漏れ出し、熱気が街全体を覆っている。


 優勝賞品は幾ばくかの賞金。そして南への封鎖線を公式に突破できる「特級通行証」である。今の彼らにとって、それは目的地へ辿り着くために必要な、喉から手が出るほど欲しい一品である。


「いい、アルトリウス。実力は見せつけてもいいけれど、くれぐれも目立ちすぎないで頂戴。……って、言うだけ無駄ね、こりゃ」


 観客席の片隅でエリーゼが頭を抱えたのも無理はなかった。


 大会が始まると、アルトリウスの戦いぶりは初戦から圧倒的であり、「異常」だった。記憶を失い、自らの名前さえ不確かな身であっても、その四肢には王家が誇る至高の剣技が鋭く刻み込まれていたのだ。


 対峙するメリディウスの手練れたちは、巨大な戦斧や重厚な盾を構え、野獣のような咆哮と共に襲いかかる。しかし、アルトリウスは抜刀すら見せぬまま、あるいは最低限の半身の動きだけでその攻撃を見切り、隙を突いたたった一振りの打ち込みだけですべてを無力化していった。


 無駄のない一太刀。それはあまりに洗練されすぎていて、見る者に美しさよりも先に「恐怖」を抱かせる。


 猛者たちが抜刀した瞬間に戦意を喪失し、あるいはその圧倒的な覇気に打たれて膝を突く。観客は最初こそ野次を飛ばしていたが、そのあまりの「本物」ぶりに、会場は次第に静寂に包まれていった。一人の無名騎士が振るう白銀の閃光の中に、誰もが古の伝説に語られる英雄の影を見出していた。彼の背負う宿命が、王者の風格をまとい、静かにその頭角を現し始めていたのである。


3. 深紅の刺客、シルヴァ


 そして訪れた決勝戦。


 その舞台に現れたのは、これまでの対戦相手とは明らかに異質の気配をまとった者だった。銀の仮面で顔の半分を隠し、背中まで届く鮮やかな深紅の髪を風になびかせた女剣士、シルヴァ。


 彼女は周囲の熱狂を完全に遮断し、獲物の急所を定める鷹のような冷徹な眼光をアルトリウスに向けていた。


「エグザルティアのエリオス、……いや、アルトリウス、か。フフ。……あんたに個人的な恨みはないが、その首には少々、破格すぎる懸賞金がかかっていてね」


(エリオス……?)


 聞いたことのない名…、だった。だが、その響きが耳に触れた時、脳裏の暗闇の向こう側で焼け落ちる街の煙、歪んだ教会の鐘の音、そして立ち込める血の匂いが音となって一瞬だけ脳内で吹き荒れた。


(……い、今のは?……僕は、何を……?)


 アルトリウスの動きが一瞬止まる。


 次の瞬間、シルヴァはアルトリウスの間合いに踏み込み、彼にしか聞こえないほど低く、しかし美しい声で囁いた。


「報酬の条件は『息の根を止めること』らしい。悪く思わないでくれ。ここで終わってもらうよ」


 彼女が地を蹴った瞬間、大気が鋭い音を立てて裂けた。


 次の瞬間には、シルヴァの姿が消えていた。


 シルヴァの攻撃は、これまでの猛者たちのような武門同士の競い合いではなかった。それは、一瞬の隙に命を奪うためだけに磨き抜かれた暗殺の技。


 火花が石畳の上に激しく飛び散り、重厚な金属音が連続して鼓膜を打つ。アルトリウスの白銀の鎧に、初めてシルヴァの刃が浅い、しかし確実な剣跡を刻んだ。


「……速い」

「フフフ、ここまでやるとはね。しかしまだまだ、これからだよ」


 シルヴァの連撃が加速する。彼女の振るうロングソードは、ある時は水のように流れる円を描き、次の瞬間には嵐のように荒々しく吠え、獲物を逃さない。アルトリウスの防備がわずかに遅れたその時、仮面の奥でシルヴァの瞳が妖しく、残酷に光った。それは獲物を確実に仕留めたと確信した、猛獣の視線であった。


4. 覚醒する血脈、一閃の終止符


 キィィィィン――!


 脳の奥底に直接響くような金属音。それと共に、アルトリウスの手の中で剣身が意志を持ったかのように跳ね、シルヴァの剣を弾き返した。


 それは思考よりも早く、無意識のうちに繰り出された、体の芯まで染み込んだ王家相伝の奥義。


「……体が、動く」


 アルトリウスは自らの内に眠る膨大な「力」を確信し、その流れに身を任せた。シルヴァは一瞬の驚愕に目を見開いたが、すぐさま反撃に移ろうとする。しかし、彼女が再び剣を構えるよりも早く、白銀の閃光が彼女の死角を正確に貫いた。


 激しい衝撃波が走り、光の一閃がシルヴァの銀の仮面をかすめた。その一打で均衡は完全に崩れ去る。


 最後の一撃が、シルヴァの愛剣を高く、天高くへと弾き飛ばした。


 静まり返る闘技場。砂塵が舞う中、鋭い剣の切っ先は、シルヴァの喉元で寸分の狂いもなく止まっていた。


「……フン、完敗だよ。この私が負けるとはね」


 シルヴァは不敵に笑い、負け惜しみを感じさせない潔さで仮面の奥の瞳を細めた。


「貸しにしておこう。……いいかい、アルトリウス。その命を狙う『影』は、私一人じゃない。また今度、改めて決着を付けようじゃないか。それまで、不覚を取って誰かに殺されるんじゃないよ」


 彼女はそう言い残すと、くるりと背を向け、弾き飛ばされたロングソードを軽やかに拾い上げた。


 その去り際はあまりにも美しく、凛としていた。会場全体が呆然とその背中を見送り、衛兵たちが慌てて駆け寄る中、彼女の気配は、まるで夜の帳に溶け込む煙のように雑踏の中に消え去っていた。


 一息遅れて、会場は新王者の誕生を祝う、耳を潰さんばかりの大歓声に包まれた。だが、アルトリウスの心に勝利の喜びは一欠片もなかった。


 自分を狙う、裏社会の莫大な懸賞金。そして、その背後にうごめく「闇」の正体。


 自分を裏切り、命を狙う黒幕の影が、すぐそこまで迫っていることを、彼はその研ぎ澄まされた直感で確信していた。


ご覧いただきありがとうございました!

次回の第11話は、この後【12:10】に更新予定です。

■第11話 聖都の祈りと絶望の巨塔


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