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お前が犯人だ、その推理で世界が変わる -変遷探偵・久瀬黎司の記録-  作者: 未確定ログ
第1部 『犯人変遷篇』第3編『零和水族館』
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第90話『君を助けた人』

午後五時。


図書館の大きな窓から差し込む夕陽が、閲覧室の床を赤く染めていた。


静寂の中に響くのはページをめくる音だけ。


久瀬黎司は古びた資料を閉じ、ゆっくりと息を吐いた。


神崎修司。


死んだはずの男。


だが死亡後の目撃情報が存在し、さらに残されたメモは黎司たちを一つの児童施設へ導いていた。


点だった情報が少しずつ線になり始めている。


だが、その線の先にある真実だけはまだ見えない。


「……眠い」


向かい側で有馬がぼやいた。


「帰れ」


「ひどくない?」


「うるさい」


「探偵ってもっと格好いい仕事じゃないのか。なんで俺は五時間も古文書を読まされてるんだ」


「助手だからだ」


「ブラック企業だな」


有馬は机に突っ伏した。


その様子に白鐘紗雪が思わず吹き出す。


小さな笑い声。


ここ数日の緊張した表情ではなく、年相応の少女らしい笑顔だった。


有馬が胸を張る。


「ほら見ろ。俺がいると場が明るくなる」


「騒音源の間違いだろ」


「久瀬、お前いつか絶対刺されるぞ」


そんなやり取りの最中だった。


白鐘の動きが止まる。


手にした資料を見つめたまま固まっていた。


笑顔が消える。


血の気が引いていく。


黎司はすぐに気づいた。


「白鐘?」


返事がない。


視線だけが紙面へ釘付けになっている。


黎司は立ち上がり、資料を覗き込んだ。


そこに記されていたのは施設名だった。


神崎修司が勤務していた記録のある施設。


その名前を見た瞬間だった。


白鐘の肩が小さく震えた。


「……どうした」


「わからない」


声が掠れていた。


「でも……この名前……」


次の瞬間。


白鐘の瞳から焦点が消えた。


身体が傾く。


黎司は反射的に肩を支えた。


「白鐘!」


耳鳴り。


遠ざかる音。


白鐘の視界が揺れる。


そして。


記憶の扉が、わずかに開いた。


――長い廊下。


――夕暮れ。


――古い木造建築。


小さな子供たちが走り回っている。


笑い声。


誰かが呼んでいる。


『紗雪!』


懐かしい声。


優しい声。


振り向こうとした瞬間。


映像は途切れた。


「っ……!」


白鐘は大きく息を吸った。


額には汗。


呼吸も荒い。


黎司は静かに椅子へ座らせる。


「見えたのか」


白鐘はゆっくり頷いた。


「少しだけ……」


有馬も表情を引き締める。


「記憶?」


「たぶん……」


白鐘は自分の胸元を握った。


怖かった。


だが同時に。


忘れていた何かへ近づいている感覚があった。


黎司は資料を見つめる。


神崎修司。


施設。


白鐘紗雪。


偶然で済ませられる段階ではない。


「有馬」


「おう」


「施設関係者を洗え」


「了解」


有馬が再び資料の山へ飛び込む。


数分後。


「見つけた!」


閲覧室中に響く声。


周囲の視線が集中する。


司書が睨む。


有馬は即座に頭を下げた。


「すみませんでした」


「反省が早いな」


「生存本能だ」


小声になった有馬が一冊の資料を差し出した。


職員名簿。


施設関係者一覧。


その中に。


神崎修司。


確かにその名前があった。


白鐘が息を呑む。


「本当に……いたんだ」


黎司はページをめくった。


さらに奥。


活動記録。


保管写真。


そして一つの封筒。


経年劣化で端が茶色く変色している。


黎司は慎重に写真を取り出した。


古い集合写真だった。


施設前に並ぶ子供たち。


数名の職員。


そして中央には若い頃の神崎修司。


有馬が呟く。


「若いな」


「お前も年を取る」


「夢のないこと言うな」


だが誰も本気では笑えなかった。


白鐘が写真を見つめていたからだ。


まるで吸い込まれるように。


写真の奥を。


遠い過去を。


探しているように。


そして。


白鐘の瞳が大きく揺れた。


「……え?」


黎司も気づく。


神崎の前。


小柄な少女。


肩まで伸びた黒髪。


どこか不安そうな表情。


有馬も息を止めた。


「これ……」


誰も続きを言わない。


必要なかった。


白鐘だった。


幼い頃の。


失われた記憶の中の白鐘。


静寂。


時計の針だけが進む。


白鐘の指先が震えていた。


写真を持つ手に力が入らない。


黎司は何も言わなかった。


急がせない。


答えを押しつけない。


真実は本人が掴むべきものだからだ。


白鐘はゆっくり目を閉じる。


写真に触れる。


その瞬間。


再び記憶が流れ込んできた。


冷たい冬の日。


施設の庭。


幼い自分が一人で泣いている。


周囲の声が怖かった。


未来が怖かった。


誰も信じられなかった。


その時だった。


一人の青年が近づいてくる。


しゃがみ込み。


目線を合わせ。


温かい缶ココアを差し出した。


『寒いだろ』


優しい声。


穏やかな笑顔。


震える小さな手を包み込む温もり。


『大丈夫』


その言葉。


その声。


白鐘の胸が強く締め付けられた。


写真の中の男。


神崎修司。


間違いない。


涙が溢れた。


止められなかった。


失われたはずの過去が。


孤独だった自分を支えてくれた誰かの記憶が。


鮮明によみがえる。


「白鐘」


黎司が静かに呼ぶ。


白鐘は写真の神崎を指差した。


涙で視界が滲む。


それでも。


今だけははっきりわかった。


神崎修司が何者だったのか。


少なくとも自分にとって。


彼は事件の容疑者ではなかった。


恐れる存在でもなかった。


白鐘は震える声で言った。


「この人……」


声が詰まる。


懐かしさと悲しさと感謝が胸を満たしていく。


「この人は――」


夕陽が差し込む。


長い影が伸びる。


神崎修司。


死んだ男。


事件の中心にいる男。


そして。


白鐘紗雪の人生を変えた男。


白鐘は涙を流しながら告げた。


「私を助けてくれた人です」


その言葉と同時に。


黎司の脳裏で一つの疑問が形になる。


もし神崎が白鐘を守っていたのなら。


なぜ彼は死ななければならなかったのか。


そして。


誰から白鐘を守ろうとしていたのか。


真実はすぐそこまで迫っていた。


読んでいただきありがとうございます。

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