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お前が犯人だ、その推理で世界が変わる -変遷探偵・久瀬黎司の記録-  作者: 未確定ログ
第1部 『犯人変遷篇』第3編『零和水族館』
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第80話『観測されない名前』

 管理室の空気は、凍りついていた。


「その人……昨日、亡くなっています」


 責任者の震える声が、静まり返った部屋に落ちる。


 誰も言葉を返せなかった。


 俺は手元の名簿へ視線を落とした。


 そこには確かに名前がある。


 住所もある。


 年齢もある。


 入館記録も残っている。


 だが、その人物は昨日死亡している。


 あり得ない。


 そんな結論だけが先に浮かぶ。


「確認ミスじゃないのか?」


 最初に口を開いたのは有馬だった。


 いつもの軽い調子ではない。


 責任者は首を横に振る。


「警察発表も確認しました。ご遺族にも問い合わせています」


「……本人で間違いない?」


「はい」


 沈黙。


 窓の外では水槽の青い光が揺れている。


 その穏やかな光景が、今だけは妙に不気味だった。


「黎司くん」


 白鐘が小さく俺を呼ぶ。


 振り返ると、彼女は名簿を見つめていた。


「どうした?」


「この名前……」


 白鐘の指先が止まる。


「私、見た気がするんです」


「見た?」


「でも思い出せない」


 苦しそうに眉を寄せる。


「知っているはずなのに、思い出そうとすると霧がかかるみたいで……」


 その言葉に、俺の胸の奥がざわついた。


 白鐘は今までにも何度か説明できない違和感を感じ取っていた。


 そして、その違和感は一度も外れていない。


「無理に思い出さなくていい」


 俺が言うと、彼女は少しだけ安心したように頷いた。


 だが、その表情には不安が残っていた。


「……いるんです」


「何がだ?」


「誰かが」


 管理室の空気がまた重くなる。


 有馬がため息を吐いた。


「幽霊とか言うなよ」


「言ってません」


「言いかけてただろ」


「言ってません」


「今の間は怪しい」


「有馬さん失礼です」


「お前も結構失礼だぞ」


 少しだけ笑いが生まれる。


 張り詰めていた空気が緩んだ。


 だが次の瞬間。


 監視担当の職員が声を上げた。


「あっ!」


 全員が振り返る。


 大型モニター。


 監視映像。


 水槽前を映した画面だった。


「今、映った!」


 職員が慌てて巻き戻す。


 再生。


 青い照明の中。


 家族連れが歩いている。


 カップルが立ち止まる。


 子供が走る。


 そして――


 一瞬だけ。


 誰かがいた。


 確かに。


 そこに。


 人影が映っていた。


「止めろ!」


 俺が叫ぶ。


 映像が停止する。


 全員が画面を見つめる。


 輪郭は曖昧だった。


 男か女かも分からない。


 だが確実に誰かがいる。


「拡大できますか」


「やってみます」


 職員が操作する。


 画面が拡大される。


 ノイズが走る。


 そして。


 人影が消えた。


「は?」


 有馬が素っ頓狂な声を上げた。


 再生。


 もう一度。


 最初から。


 しかし今度は何も映っていない。


 誰もいない。


 ただの通路だけだった。


「おい……」


 有馬の顔から血の気が引いていく。


「今の見ただろ」


「見ました」


 白鐘も頷く。


 俺も見た。


 確かに見た。


 なのに映像には残っていない。


 論理が追いつかない。


 そんな感覚は初めてだった。


 管理室の時計が音を立てる。


 カチ。


 カチ。


 カチ。


 その音だけが妙に大きく聞こえた。


 俺は再び名簿へ目を落とす。


 死亡した人物。


 存在する記録。


 存在しない記憶。


 映ったはずの人影。


 消えた映像。


 バラバラの情報。


 だが一つだけ共通点がある。


「観測された瞬間だけ存在する……?」


 無意識に呟いていた。


「黎司?」


 白鐘がこちらを見る。


 俺は首を振った。


「まだ分からない」


 本当に分からない。


 だが。


 これは単なる人数ズレじゃない。


 もっと根本的な何かだ。


 存在そのものに関わる異常。


 そんな予感がしていた。


 その時だった。


 責任者が震える声で言う。


「もう一つ、報告があります」


 全員の視線が集まる。


「その亡くなった方ですが……」


 責任者は唾を飲み込んだ。


「死亡前日に残した日記が見つかりました」


「日記?」


「最後のページに一文だけ書かれていたそうです」


 嫌な予感がした。


 責任者は青ざめたまま読み上げる。


『明日、また水族館へ行く』


 沈黙。


 誰も言葉を発しない。


 俺は名簿を握り締めた。


 そして確信する。


 この事件は始まったばかりだと。


 ――死者は、本当に来場したのか。


 それとも。


 誰かが、死者を観測したのか。


読んでいただきありがとうございます。

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