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お前が犯人だ、その推理で世界が変わる -変遷探偵・久瀬黎司の記録-  作者: 未確定ログ
第1部 『犯人変遷篇』第3編『零和水族館』
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第79話 『存在確率』

「――白鐘!」


影が消えた瞬間。


白鐘雨音の身体が力を失ったように傾いた。


久瀬黎司は反射的にその肩を抱き留める。


細い肩だった。


思っていたよりもずっと軽い。


「おい、しっかりしろ」


「だ、大丈夫です……」


言葉とは裏腹に声は震えていた。


白鐘の額にはうっすら汗が浮かんでいる。


有馬も駆け寄った。


「全然大丈夫そうじゃねぇぞ!」


「本当に平気です」


「その顔で言われても説得力ゼロだからな!?」


白鐘は数秒だけ目を閉じた。


呼吸を整える。


そしてゆっくりと顔を上げた。


「……消えました」


「何がだ」


「影です」


静寂。


休憩スペースに流れる水音だけが耳に残る。


巨大水槽の向こうではエイが悠々と泳いでいた。


だが誰も見ていなかった。


さっきまでそこにいた。


あの黒い影。


そして。


そいつは確かに白鐘の名前を呼んだ。


有馬が恐る恐る口を開く。


「なあ」


「何ですか」


「俺だけじゃないよな?」


「何がです?」


「名前呼ばれたの」


白鐘は即答した。


「呼ばれました」


「だよな!?」


有馬は頭を抱えた。


「終わった。俺の常識が死んだ」


「元々生きてたか?」


「久瀬、お前最近俺に厳しくない?」


「気のせいだ」


「気のせいじゃねぇ!」


ほんの少しだけ空気が緩む。


だが久瀬は笑わなかった。


白鐘の様子が気になっていた。


彼女はまだ指先を震わせている。


恐怖だけじゃない。


もっと別の。


言葉にできない何か。


「白鐘」


「はい」


「何か思い出したか」


その瞬間だった。


白鐘の表情が変わる。


まるで引き出しの奥にしまわれていた記憶を見つけたように。


「……あります」


「何だ」


「昨日の人です」


久瀬が眉をひそめた。


「昨日?」


「はい」


白鐘は静かに頷く。


「思い出しました」


「誰を」


「消えた人を」


空気が凍った。


有馬が乾いた笑いを漏らす。


「いや待て」


「はい」


「消えた人って何」


「消えた人です」


「怖ぇよ!」


白鐘は本気で不思議そうだった。


「でもいたんです」


「だからその言い方が怖い!」


久瀬は椅子を引いた。


「座れ」


白鐘も向かいへ座る。


有馬も恐る恐る腰を下ろした。


「話してくれ」


白鐘は小さく息を吸った。


「男性です」


「年齢は」


「三十代後半」


「特徴は」


「黒縁眼鏡」


即答だった。


「身長百七十五センチ前後」


「痩せ型」


「右手首に傷」


「左利き」


有馬が固まる。


「待て待て待て」


「何ですか」


「なんでそんな細かく覚えてんだ」


「見たからです」


「俺も見てたはずなんだけど!?」


「いたんです」


「だから怖いって!」


久瀬は黙ってメモを取る。


「名前は」


「覚えてません」


「顔は」


「覚えてます」


「描けるか」


「描けます」


有馬が吹き出した。


「マジかよ」


「普通では?」


「普通じゃない」


十分後。


テーブルには三枚の紙が並んでいた。


一枚目。


白鐘。


二枚目。


久瀬。


三枚目。


有馬。


結果は惨憺たるものだった。


「……魚だな」


久瀬が言う。


「人だ!」


「ヒレがあります」


白鐘が追撃した。


「髪だよ!」


「目が死んでます」


「お前らひどくない!?」


久瀬は有馬の紙を裏返した。


そして白鐘の紙を見る。


沈黙。


有馬も黙った。


上手い。


異常なほど上手かった。


写真をそのまま写したような完成度。


「すげぇ……」


有馬が呟く。


「写真じゃん」


「そうですか?」


「そうだよ」


白鐘は首を傾げる。


本気で分かっていないらしい。


久瀬は似顔絵を見つめた。


見覚えがある。


どこかで見た。


確実に。


だが思い出せない。


「他に覚えてることは」


「会話です」


「会話?」


「はい」


白鐘は目を閉じた。


そして。


録音機の再生ボタンを押したように語り始める。


「――人数が減った」


久瀬が顔を上げた。


「続けろ」


「――また消えた」


声色まで変わる。


男の口調そのものだった。


「――次は私かもしれない」


有馬の表情が強張る。


「おいおい……」


白鐘は続けた。


「――誰も覚えていない」


「――だが私は覚えている」


「――観測者が来る前に」


久瀬の指が止まる。


観測者。


またその単語だ。


何度目だ。


偶然ではない。


「他は」


「最後です」


白鐘は静かに言った。


「――私は明日死ぬ」


沈黙。


有馬が勢いよく立ち上がった。


「無理無理無理無理!」


「落ち着け」


「落ち着けるか!」


白鐘は真顔だった。


冗談を言っている顔ではない。


創作でもない。


本当に覚えている。


だからこそ恐ろしい。


「久瀬さん」


白鐘が小さく呼ぶ。


「何だ」


「私……」


少し迷う。


そして視線を落とした。


「久瀬さんにだけ話しました」


「……」


「他の人には話したくなかったので」


有馬が机を叩いた。


「いるんだよ俺!」


「いましたっけ」


「ひどくない!?」


思わず白鐘が笑う。


小さな笑みだった。


だがその笑顔を見て。


久瀬は理解した。


彼女は平気なのではない。


怖いのだ。


ただ。


耐えているだけだ。


一人で。


ずっと。


「ありがとう」


久瀬は言った。


白鐘が目を丸くする。


「え」


「助かった」


「……はい」


白鐘の頬が少し赤くなった。


有馬がニヤニヤし始める。


「おい」


「何だ」


「お前ら」


嫌な予感がした。


「付き合ってる?」


「違う」


「違います」


完全に同時だった。


有馬が爆笑する。


「怪しい!」


「怪しくない」


「息ぴったりじゃねぇか!」


白鐘は少しだけ視線を逸らした。


そして。


なぜか久瀬の隣へ椅子を寄せる。


肩が触れた。


だが離れない。


有馬の笑みが深くなる。


「ほらな」


「黙れ」


「はいはい」


その時だった。


久瀬の視線が壁へ向く。


古い展示写真。


開館記念イベント。


何気なく見た。


そして。


動きが止まる。


「……白鐘」


「はい」


「この写真」


白鐘が立ち上がる。


有馬も覗き込む。


十人ほどのスタッフが写っていた。


そして。


端に一人。


黒縁眼鏡の男。


白鐘の顔色が変わる。


震える指が伸びた。


「この人です」


心臓が跳ねた。


久瀬は写真を凝視する。


間違いない。


見覚えがある。


どころではない。


知っている。


昨日。


確かに会った。


言葉を交わした。


顔も声も覚えている。


なのに。


写真の下の説明文には。


たった一行。


『故人』


と書かれていた。


「……嘘だろ」


喉が乾く。


白鐘が見上げる。


「知ってるんですか」


久瀬は答えられなかった。


視線が説明文の続きを追う。


そこには小さく日付が記されていた。


死亡日。


三年前。


あり得ない。


三年前に死んだ人間と。


昨日話した?


そんなはずがない。


だが。


久瀬は確信していた。


間違いなくこの男だ。


そして。


写真の右下。


誰も気づいていなかった小さな文字を見つける。


掠れて消えかけたメモ。


まるで誰かが後から書き残したような文字。


『観測者へ』


その下には。


たった一文。


『次は君だ』


久瀬の背筋を冷たいものが走った。


白鐘が息を呑む。


有馬の顔から血の気が引く。


そして久瀬は。


震える声で呟いた。


「この人は――昨日、俺と話している」

読んでいただきありがとうございます。

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