第76話『観測者候補』
観測者候補一覧
その文字の下に浮かぶ名前。
久瀬 黎司
館内の空気が凍りつく。
有馬が真っ先に振り返った。
「は?」
白鐘も息を呑む。
若い女性参加者は意味が分からないという顔をしている。
だが。
久瀬だけは驚かなかった。
むしろ。
ようやく来たかと思った。
第1編。
犯人が変わるたびに。
久瀬だけが違和感を覚えた。
第2編。
人間が消えるたびに。
久瀬だけが記憶していた。
そして第3編。
人数が変わるたびに。
久瀬だけが修正前の世界を覚えている。
考えてみれば当然だった。
異常なのは世界ではない。
異常なのは自分かもしれない。
館内放送が流れる。
『観測者候補A』
『久瀬黎司』
『適合率87%』
有馬が叫ぶ。
「高すぎるだろ!」
白鐘も顔色を変える。
87%。
ほぼ確定に近い。
その時。
巨大水槽のガラスに。
二つ目の名前が現れた。
白鐘 雨音
沈黙。
白鐘の呼吸が止まる。
『観測者候補B』
『白鐘雨音』
『適合率58%』
有馬が振り向く。
「お前もか」
白鐘は何も言えない。
確かに。
自分も見ていた。
消失を。
修正を。
人数の揺らぎを。
普通の人間より。
はるかに。
そして。
三つ目の名前。
不明
『観測者候補C』
『識別不能』
『適合率100%』
その瞬間。
黒いコートの男が笑った。
「やっぱりな」
久瀬の視線が鋭くなる。
識別不能。
適合率100%。
明らかに異常だ。
館内放送が続く。
『観測者の選定を開始します』
沈黙。
そして。
深海水槽の奥にいた巨大な影が動く。
ゆっくり。
ゆっくりと。
こちらへ近づいてくる。
魚たちが逃げる。
水が揺れる。
照明が明滅する。
有馬が後退る。
「なんだよあれ」
誰も答えられない。
影は輪郭を持っていない。
人にも見える。
魚にも見える。
建物にも見える。
見るたびに形が変わる。
まるで。
観測されることを拒否しているように。
黒いコートの男が低く言う。
「見るな」
白鐘が振り向く。
「何ですか」
男は珍しく真剣だった。
「認識するな」
「考察するな」
「意味を与えるな」
沈黙。
だが。
その忠告は遅かった。
有馬が呟いてしまう。
「観測者って」
一瞬の沈黙。
「世界を見てるやつのことか」
館内放送。
『観測を受理』
有馬の顔色が変わる。
「しまっ――」
遅い。
巨大な影が震えた。
そして。
輪郭が一つ固定される。
人間の姿。
黒いコート。
長身。
男。
全員が息を呑む。
影が。
人間になり始めている。
白鐘が青ざめる。
「また……」
第73話。
被害者が確定した時と同じだ。
認識した。
だから。
固定された。
館内放送。
『観測者候補C』
『形状補完開始』
黒いコートの男が舌打ちする。
「最悪だ」
久瀬が問いかける。
「何が起きる」
男は答えない。
いや。
答えられない。
その表情がすべてを物語っていた。
恐れている。
本気で。
そして。
巨大水槽のガラスに。
新しい文字が浮かび上がる。
観測者とは誰か?
その問いの下に。
三つの選択肢。
A:久瀬黎司
B:白鐘雨音
C:識別不能
館内放送が静かに告げた。
『第三事件を開始します』
沈黙。
有馬が固まる。
「第三……?」
久瀬の瞳が細くなる。
被害者確定。
犯人候補選定。
そして今。
観測者確定。
つまり。
これは三層構造の事件だ。
だが。
その瞬間。
深海水槽のガラスに。
誰かが内側から触れた跡が現れる。
手形。
濡れた手形。
一つ。
二つ。
三つ。
四つ。
五つ。
無数。
全員が凍りつく。
水槽の中には。
あの影以外にも。
何かがいる。
そして。
その手形の中央に。
ゆっくり文字が浮かび上がる。
――思い出すな
久瀬の心臓が跳ねた。
その言葉。
どこかで見た。
第69話。
「数えるな」
そして今。
「思い出すな」
誰かが警告している。
この水族館のルールを知る何者かが。
だが。
警告が増えるほど。
久瀬は逆に確信していく。
そこに真相がある。
そして館内放送は。
まるでそれを遮るように。
最後の宣言を行った。
『観測者候補の確定を開始します』
巨大水槽の影が。
初めて顔を上げる。
その輪郭は。
驚くほど。
久瀬黎司に似ていた。
読んでいただきありがとうございます。
感想・評価励みになります。




