第74話『確定する死』
死体が目を開いた。
誰も動けなかった。
悲鳴すら出ない。
ただ。
全員が凍りつく。
仰向けだった男の瞳がゆっくりと動く。
焦点の合わない目。
生者の目ではない。
だが。
確かにこちらを見ている。
白鐘雨音が一歩後退った。
「ありえない……」
有馬も言葉を失う。
久瀬黎司だけが男を見つめていた。
男の唇が動く。
掠れた声。
水の中から聞こえるような声だった。
「……まだ」
沈黙。
「決まってない」
館内の空気が重くなる。
男は続ける。
「俺が誰なのか」
誰も返事をしない。
できない。
男は死んでいる。
それは間違いない。
脈もない。
呼吸もない。
それなのに。
喋っている。
館内放送が流れる。
『確定処理中』
『被害者候補A』
『被害者候補B』
『被害者候補C』
沈黙。
男が苦しそうに顔を歪める。
まるで複数の何かがぶつかっているようだった。
「違う」
男が呟く。
「違う」
そして。
突然叫んだ。
「俺は館員じゃない!」
全員が息を呑む。
その瞬間。
職員証が完全に消える。
床に落ちていた鍵束も消失する。
館内放送が反応した。
『候補A棄却』
空気が震える。
白鐘が顔を上げる。
現実が修正された。
今。
目の前で。
男は苦しそうに続ける。
「招待客でもない」
有馬が叫ぶ。
「じゃあ誰なんだよ!」
男は答えられない。
苦しんでいる。
まるで。
存在そのものが引き裂かれているように。
館内放送。
『候補B棄却』
沈黙。
男のスーツが濡れ始める。
いや。
濡れた状態に変わる。
髪から水が滴る。
肌が青白くなる。
老夫婦の夫が震える。
「やっぱりだ……」
誰も見ていないはずの光景を。
彼だけは見ていた。
男はゆっくり顔を上げる。
そして。
初めて久瀬を見る。
真っ直ぐに。
「お前は覚えている」
久瀬の瞳が細くなる。
男は笑った。
悲しい笑みだった。
「またか」
沈黙。
「また、お前だけ残るのか」
白鐘が振り向く。
「久瀬さん?」
だが。
久瀬は答えない。
男の言葉は。
第2編を知っている者のものだった。
男は続ける。
「俺は被害者じゃない」
「被害者になるために作られた」
館内放送が流れる。
『候補C優勢』
『確定率72%』
有馬が顔をしかめる。
「率って何だよ」
その時。
男の身体が透け始める。
白鐘が息を呑む。
「消える」
男は首を振る。
「違う」
そして静かに言った。
「確定する」
沈黙。
その言葉の意味を。
久瀬だけが理解する。
消えるのではない。
存在が選ばれるのだ。
無数の可能性の中から。
一つだけ。
男は最後に呟く。
「深海水槽」
久瀬が反応する。
男の目が動く。
深海展示の方を見る。
「そこに」
言葉が途切れる。
館内放送。
『被害者確定』
その瞬間。
男の身体が完全に固定された。
濡れたスーツ。
青白い肌。
水に浸かったような髪。
そして。
胸元に新しいプレートが現れる。
そこには一行だけ記されていた。
「発見場所:深海水槽」
沈黙。
全員が凍りつく。
有馬が呟く。
「発見場所……?」
白鐘の顔色が変わる。
久瀬は立ち上がった。
今。
被害者が確定した。
ということは。
次に来るのは一つしかない。
館内放送が静かに告げる。
『被害者確定』
『次段階へ移行します』
沈黙。
そして。
全員が最も聞きたくなかった言葉が続く。
『犯人候補を選定してください』
巨大水槽のガラスに。
ゆっくり文字が浮かび上がる。
犯人候補A:参加者
犯人候補B:館員
犯人候補C:観測者
久瀬の背筋に冷たいものが走る。
三つ目だけ。
意味が違う。
観測者。
それは。
今までずっと現れていた言葉だった。
そして。
黒いコートの男が立っている場所でもあった。
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