第70話『数えるな』
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その数字は。
ゆっくりと崩れた。
液体のように。
ノイズのように。
そして。
?
へ変わる。
沈黙。
誰も声を出さない。
有馬ですら。
白鐘ですら。
巨大水槽の前に立ち尽くしている。
館内放送が流れる。
『人数確認を開始します』
いつもの声。
感情のない女性の声。
だが今は違う。
どこか期待しているように聞こえた。
『現在の参加者数を認識してください』
沈黙。
『認識してください』
誰も答えない。
久瀬黎司は巨大水槽を見ていた。
さっきの文字。
――数えるな
あれは間違いなく警告だった。
そして。
この事件で唯一明確なメッセージでもある。
白鐘が小さく言う。
「久瀬さん」
久瀬は頷く。
「分かってる」
有馬が二人を見る。
「何がだよ」
久瀬は静かに答えた。
「数えるな」
沈黙。
有馬が眉をひそめる。
「は?」
白鐘が続ける。
「人数を確認するたびに減っている」
有馬が言い返そうとする。
だが。
途中で止まる。
思い返せばその通りだった。
十一人。
十人。
九人。
八人。
七人。
確認するたびに。
減っている。
偶然とは思えない。
久瀬は言う。
「この事件のトリガーは観測だ」
「数えることで確定する」
白鐘も理解する。
第1編では推理が現実を変えた。
第2編では役割が人間を消した。
そして第3編。
人数認識そのものが世界を書き換えている。
有馬が低く呟く。
「じゃあ数えなきゃいい」
久瀬は頷く。
「そうだ」
沈黙。
その瞬間。
館内放送が流れる。
『回答を確認できません』
声が少しだけ変わる。
初めて苛立ちのようなものが混じった。
『参加者数を認識してください』
誰も答えない。
『認識してください』
沈黙。
有馬が口を閉じる。
白鐘も何も言わない。
参加者たちも異変を察したのか黙っている。
すると。
館内全体がわずかに揺れた。
ゴゴ……。
低い振動。
水槽の水面が波立つ。
老夫婦の妻が震える。
「怒ってる……?」
誰も否定できない。
放送は続く。
『認識を拒否しています』
『観測エラー』
『観測エラー』
『観測エラー』
機械音声が乱れ始める。
そして。
巨大水槽のガラスに。
再び文字が浮かぶ。
今度は全員に見えた。
――そのまま数えるな
白鐘が息を呑む。
有馬も見ている。
若い女性も。
全員が見ている。
初めて。
異常が共有された。
その瞬間だった。
館内の奥から声が聞こえた。
「やっと気づいたか」
全員が振り向く。
誰かが立っている。
深海展示へ続く通路。
青い光の中。
黒いコートを着た男。
見覚えはない。
だが。
久瀬だけは背筋が凍った。
知っている。
この感覚を。
第1編。
第2編。
何度も見た。
存在してはいけないはずの人物。
男は静かに笑う。
「人数を数える限り、お前たちは減り続ける」
沈黙。
有馬が叫ぶ。
「お前誰だ!」
男は答えない。
代わりに。
久瀬を見る。
真っ直ぐに。
そして言う。
「久瀬黎司」
その名前を呼ばれた瞬間。
頭の奥が痛む。
男は続ける。
「お前はまだ勘違いしている」
白鐘が警戒する。
「何者ですか」
男は笑う。
「観測者だ」
その言葉に。
久瀬の表情が変わる。
観測者。
第2編で何度も出てきた単語。
男はゆっくり歩き出す。
「人数は人間の数じゃない」
沈黙。
「世界の整合性だ」
有馬が理解できず眉をひそめる。
だが。
久瀬には分かった。
男はさらに言う。
「そしてこの水族館には」
そこで一度止まる。
巨大水槽を見る。
その視線の先。
深海の闇の中で。
無数の人影が揺れている。
まるで。
最初からそこにいたように。
男は静かに告げた。
「最初から十一人もいない」
沈黙。
白鐘の顔色が変わる。
有馬も息を呑む。
男は最後に言う。
「お前たちは今、“足りない人数”を探させられている」
その瞬間。
館内放送が絶叫した。
『異常発言を確認』
『観測妨害を確認』
『対象を排除します』
男が笑う。
そして。
照明が落ちた。
完全な暗闇。
その中で。
久瀬は確かに聞いた。
男の最後の声を。
次の瞬間。
館内に悲鳴が響いた。
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