第65話『人数の揺らぎ』
『現在の参加者は十名です』
館内放送の声が消える。
だが、その言葉だけが耳の奥に残り続けていた。
人数に誤認はありません。
人数に誤認はありません。
人数に誤認はありません。
まるで現実そのものに言い聞かせるように。
有馬は黙っていた。
先ほどまでの軽口はない。
額に薄く汗が浮いている。
「……今、いたよな」
誰に向けた言葉でもなかった。
白鐘が答える。
「いました」
有馬が振り返る。
「だよな」
だが白鐘は続けた。
「でも、もう証明できません」
沈黙。
有馬は反論しようとして。
止まる。
証明できない。
本当にできないのだ。
顔を思い出せない。
名前も分からない。
年齢も。
服装も。
声さえ曖昧だ。
なのに。
「いた」という確信だけが残っている。
久瀬は周囲の参加者を見る。
中年男性。
老夫婦。
大学生らしい男女。
スーツ姿の男。
若い女性。
そして自分たち三人。
全部で十人。
確かに十人だ。
だが。
「おかしい」
白鐘が呟く。
久瀬は頷く。
「数えてみろ」
白鐘は人数を確認する。
一人。
二人。
三人。
四人。
五人。
六人。
七人。
八人。
九人。
十人。
そこで終わる。
十人。
間違いない。
だが。
白鐘の顔色が変わる。
「一人足りません」
有馬が苛立つ。
「だから十人なんだろ」
白鐘は首を振る。
「違うんです」
「十一人になる場所がある」
沈黙。
有馬が意味を理解できずにいる。
白鐘は説明する。
「人を数えると十人です」
「でも空間の配置が十一人用なんです」
その言葉に。
久瀬は初めて笑みを消した。
気づいた。
確かにそうだ。
ベンチ。
パンフレット。
参加者用バッジ。
配布された飲料。
すべてが十一人分ある。
十人ではない。
十一人だ。
だが。
人間だけが十人。
有馬もようやく気づく。
「……あ」
背筋に冷たいものが走る。
人数が違うのではない。
空間の方が。
十一人を前提に作られている。
その時だった。
館内奥の巨大水槽で何かが動いた。
魚ではない。
もっと大きい。
参加者たちも振り向く。
老夫婦の夫が言う。
「何だあれ」
誰も答えられない。
水槽の奥。
青黒い闇の中に。
人影のようなものが見えた。
一瞬だけ。
誰かが立っている。
そう見えた。
だが次の瞬間には消える。
有馬が目を細める。
「見たか?」
白鐘も頷く。
「見ました」
中年男性が笑う。
「何もいませんよ」
大学生の一人も言う。
「魚しかいません」
反応が割れている。
久瀬は理解した。
もう始まっている。
観測の分岐だ。
見える者。
見えない者。
認識できる者。
できない者。
世界が均一ではなくなっている。
その時。
館内放送が再び流れる。
『参加者の皆様へ』
全員が顔を上げる。
『観察を継続してください』
『人数確認を行います』
沈黙。
白鐘が息を呑む。
嫌な予感。
有馬も同じだった。
放送は続く。
『参加者は何名ですか』
静寂。
誰も答えない。
だが次の瞬間。
参加者たちが口々に言い始めた。
「十人」
「十一人」
「十人だろ」
「いや十一人だ」
「十人です」
「十一人いる」
館内がざわつく。
意見が割れる。
完全に。
そして。
その瞬間。
照明が一度だけ明滅した。
パチッ。
全員が反射的に目を閉じる。
わずか一秒。
それだけだった。
照明が戻る。
誰もいない。
違う。
誰かがいない。
参加者全員が固まる。
中年男性が呟く。
「……一人減ってないか?」
沈黙。
誰も答えられない。
誰がいなくなったのか。
思い出せない。
だが。
確実に。
今。
人数が変わった。
久瀬は静かに理解する。
この事件の殺人は。
ナイフでも毒でもない。
推理でもない。
人数そのものが削られていく。
そして削られた人間は。
最初から存在しなかったことになる。
久瀬は巨大水槽を見る。
青い闇の奥で。
誰かがこちらを見ていた。
まるで。
人数を数えているように。
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