第63話『零和水族館』
零和水族館は、海沿いの崖の上に建っていた。
到着した瞬間、久瀬黎司は違和感を覚えた。
大きすぎる。
招待状に記載されていた規模より明らかに広い。
まるで建物そのものが、近づくたびに形を変えているようだった。
有馬が感心したように口笛を吹く。
「でけぇな」
白鐘雨音は無言だった。
視線だけが建物の上部を追っている。
久瀬が尋ねる。
「何か見えるか」
白鐘は小さく首を振る。
「見えるというより……」
少し迷い。
続ける。
「思い出しそうなんです」
「何を」
「分かりません」
その返答に、久瀬は何も言わなかった。
最近の異常では珍しくない。
知らないはずなのに知っている。
見たことがないのに覚えている。
そういう感覚が増えている。
入口には職員らしき男が立っていた。
黒いスーツ。
年齢は四十代前後。
無表情。
三人が近づくと男は一礼した。
「お待ちしておりました」
有馬が招待状を見せる。
「特別観察会ってやつだ」
男は頷いた。
「参加者の皆様は既に到着されています」
その言葉に久瀬の意識が反応する。
参加者。
招待状には十一名と書かれていた。
男は続ける。
「現在十名がお揃いです」
沈黙。
有馬は気にも留めない。
「じゃあ俺たちで十三人か」
男は首を傾げた。
「十三人?」
有馬も首を傾げる。
「違うか?」
男は不思議そうに答えた。
「参加者は十名です」
空気が止まる。
白鐘が反射的に招待状を取り出した。
そこを見る。
参加者十名。
そう書かれている。
白鐘の顔色が変わる。
「違う……」
有馬が覗き込む。
「何がだよ」
白鐘の声が震える。
「昨日は十一名でした」
有馬は笑った。
「見間違いだろ」
しかし久瀬は笑わない。
自分も見た。
確かに十一名だった。
男が再び頭を下げる。
「どうぞこちらへ」
案内されながら久瀬は招待状を見つめる。
文字に修正跡はない。
書き換えられた形跡もない。
最初から十名と印刷されていたようにしか見えない。
それでも。
昨日は十一名だった。
館内へ足を踏み入れる。
巨大な水槽が並んでいる。
青い光。
魚の群れ。
ゆったりと泳ぐエイ。
静かな音楽。
普通なら幻想的な光景。
だが久瀬には違って見えた。
水槽の魚が。
こちらを見ている。
有馬が感心する。
「すげぇな」
その時。
館内放送が流れた。
『参加者の皆様へ』
女性の声だった。
柔らかい声。
だが妙に感情がない。
『観察会を開始します』
『現在の参加者は十名です』
白鐘が立ち止まる。
久瀬も足を止める。
放送は続く。
『人数を正しく認識してください』
『認識の誤差は事故の原因になります』
有馬が笑う。
「なんだそれ」
だが久瀬は笑えなかった。
人数を正しく認識してください。
その言葉は警告だ。
そして。
認識できなかった場合。
何かが起きる。
放送が終わる。
館内は再び静寂に包まれた。
その時だった。
奥の通路から一人の女性が現れる。
参加者の一人だろう。
二十代後半。
ロングコート。
少し不安そうな表情。
彼女は久瀬たちを見ると安心したように微笑んだ。
「よかった」
「私以外にも来てたんですね」
有馬が手を振る。
「どうも」
女性は言う。
「これで十一人ですね」
沈黙。
久瀬の視線が止まる。
白鐘の顔から血の気が引く。
女性は不思議そうに首を傾げる。
「どうしました?」
有馬が答えようとして。
止まる。
「……あれ?」
久瀬は理解する。
今。
有馬も違和感に触れた。
女性は続ける。
「招待状にもそう書いてありましたし」
そう言って、自分の招待状を見せる。
そこには確かに書かれていた。
――参加者11名
白鐘が息を呑む。
久瀬は女性の招待状を見る。
そして。
次の瞬間。
数字が揺れた。
11。
10。
11。
10。
まるで確定できないように。
女性は気づいていない。
有馬もまだ理解していない。
だが久瀬と白鐘だけは見てしまった。
数字そのものが不安定になっている。
その時。
館内放送が再び流れる。
『訂正します』
女性の声。
静かな声。
『現在の参加者は十名です』
その瞬間。
女性の笑顔が固まった。
久瀬は見た。
彼女の輪郭が。
ほんのわずかに薄くなったことを。
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