第5話『世界は犯人を固定する』
「戻せないって、どういう意味だ」
久瀬黎司は低く問う。
資料室のテレビでは、
まだ事件速報が流れている。
『被害者は以前から女性問題を抱えており――』
『容疑者女性は精神的に追い詰められていた可能性が――』
さっきまで存在しなかった情報が、
“常識”として全国へ拡散されていく。
白鐘雨音は画面を見つめたまま言った。
「観測されるほど、現実が固定されるんです」
「……観測」
「人が認識する数」
白鐘は静かに続ける。
「ニュース。SNS。記事。噂。そういう“共有された認識”が増えるほど、改変後の現実は強くなる」
久瀬は眉をひそめる。
「なんでそんなことが分かる」
「経験したからです」
白鐘の目は、
どこか遠くを見ていた。
「弟の事件の時、最初は小さなローカルニュースだった。でもネットで拡散されて、“放火犯の弟”が全国に広まった瞬間……完全に定着した」
定着。
その単語が妙に耳に残る。
久瀬はテレビへ視線を戻した。
今この瞬間も、
この事件は広がっている。
無数の人間が、
“女が犯人だった世界”を認識している。
「……だから戻せないのか」
白鐘は頷いた。
「多分、もう誰が調べても同じ結果しか出ません」
有馬が困惑した顔で二人を見る。
「さっきから何の話してるんです?」
久瀬は答えない。
答えられない。
もし本当にこの現象が存在するなら、
今の段階では説明そのものが危険な気がした。
その時。
資料室の扉が開く。
鑑識官が慌てた様子で入ってきた。
「有馬さん!」
「はい?」
「新しい指紋出ました!」
久瀬の胸が嫌な音を立てる。
鑑識官は続ける。
「凶器の金属バットから、容疑者女性の指紋が追加で検出されました!」
追加で。
その言葉に、
久瀬と白鐘が同時に反応する。
「……追加?」
久瀬が聞き返す。
鑑識官は頷いた。
「最初の検査じゃ不鮮明だったんですけど、再解析したら綺麗に出ました」
有馬が安堵したように息を吐く。
「これで完全にクロですね……」
完全。
まただ。
世界が、
“犯人だった証拠”を補強している。
しかも自然に。
誰も違和感を覚えていない。
白鐘が小さく呟く。
「早すぎる……」
久瀬は彼女を見る。
「何がだ」
「補完速度です」
白鐘の声は硬い。
「普通、ここまで一気に変わらない」
「……普通?」
白鐘は一瞬、口を閉ざす。
だがやがて諦めたように言った。
「この現象、前にも起きてます」
久瀬の視線が鋭くなる。
「お前、本当に何を知ってる」
白鐘は周囲を確認した。
誰も聞いていないことを確かめるように。
「ここじゃ話せません」
「……」
「でも一つだけ」
白鐘は久瀬を真っ直ぐ見た。
「あなた、多分“引き金”です」
その瞬間。
久瀬の脳裏に、
取調室の光景が蘇る。
論理が完成した瞬間。
女の表情が変わった。
記憶が流れ込むみたいに。
「……俺が推理したから、変わったって言いたいのか」
白鐘は否定しなかった。
「断定はできません。でも」
一拍。
「あなたが“犯人”を確信した直後に変化が起きてる」
久瀬は無意識に拳を握る。
もし本当にそうなら。
今までの事件も。
自分が解決した全ての事件も。
有馬のスマホが鳴った。
「はい、有馬です」
電話口で何かを聞き、
有馬の顔色が変わる。
「……は?」
嫌な予感。
有馬がゆっくり顔を上げる。
「監察から連絡です」
「何だ」
「容疑者女性の件なんですが……」
有馬は困惑したように言った。
「“三年前にも傷害事件を起こしてた”記録が出てきたらしくて」
久瀬の呼吸が止まる。
白鐘も絶句していた。
まだ増えるのか。
人格そのものが、
“犯人として自然な人間”へ変わっていく。
過去まで遡って。
世界全体で。
テレビのニュース音声が流れる。
『近隣住民によると、容疑者女性は以前から精神的に不安定な面が――』
久瀬はふらつくように後退した。
世界が完成させている。
“犯人”を。
その時だった。
資料室の隅。
古い事件ファイル棚から。
――バサッ。
何かが落ちた。
全員の視線が向く。
床に落ちていたのは、
黄ばんだ古い新聞記事。
久瀬はゆっくり拾い上げる。
そこに載っていた見出しを見た瞬間。
背筋が凍った。
『一家殺害事件、生存者の少年が証言』
記事の日付は、
十五年前。
そして。
生存者欄には。
『久瀬黎司(11)』
と書かれていた。
読んでいただきありがとうございます。
感想・評価励みになります。




