第6話『犯人が変わり続けた事件』
資料室の空気が止まった。
久瀬黎司は、
黄ばんだ新聞記事を見つめたまま動けなかった。
十五年前の記事。
滲んだインク。
古い写真。
そして中央には、
血の気を失った子供の顔が映っている。
十一歳の久瀬黎司。
有馬が覗き込む。
「あれ、それ……久瀬さん?」
久瀬は答えない。
視線は記事本文へ釘付けだった。
『練馬区一家殺害事件』
『両親および妹の三名死亡』
『唯一の生存者である長男が犯人を目撃』
その下。
証言欄。
『犯人は、父の知人男性だった』
久瀬の呼吸が止まる。
違う。
違う。
違う。
「……そんなわけない」
掠れた声が漏れた。
白鐘雨音が顔を上げる。
「どうしたんですか」
久瀬は記事を握り締める。
脳の奥で、
嫌な記憶が軋んでいた。
十一年前。
いや、違う。
十五年前。
血の臭い。
赤い廊下。
倒れた母親。
そして。
犯人。
――女だった。
久瀬の記憶では、
犯人は若い女だった。
黒いコートを着た、
長髪の女。
それだけは鮮明に覚えている。
なのに。
記事では“父の知人男性”になっている。
有馬が言う。
「知人男性……? 強盗じゃなかったんすか?」
久瀬が顔を上げる。
「……なんだって?」
「え?」
「今、強盗って言ったか?」
有馬は困惑した。
「いや、昔ニュースで見た気がして……」
白鐘の表情が変わる。
久瀬も理解する。
食い違っている。
有馬の記憶と。
記事の内容と。
久瀬の記憶が。
全部違う。
白鐘が静かに言った。
「その事件……変わってる」
久瀬の背筋に寒気が走る。
「……どういう意味だ」
「多分」
白鐘は記事を見る。
「何回も“犯人”が変わってる」
沈黙。
雨音だけが響く。
久瀬の脳裏で、
忘れていた記憶が浮かび始める。
小学生の頃。
刑事たちに囲まれ、
何度も聞かれた。
「犯人を見たか?」
その度に、
答えが曖昧になっていった。
最初は女だった。
次は男だった気がする。
いや。
そもそも顔なんて見ていなかった?
記憶が揺れる。
頭痛。
久瀬は額を押さえた。
白鐘が一歩近づく。
「無理に思い出さない方がいい」
「……何を知ってる」
「記憶まで引っ張られることがあるんです」
白鐘の声は低かった。
「改変後の現実に」
久瀬は息を呑む。
つまり。
世界が変わり続ければ、
自分の記憶すら上書きされる可能性がある。
「じゃあ俺は……」
言葉が止まる。
もし。
自分の記憶すら信用できないなら。
何が本当なんだ。
有馬が苦笑する。
「なんか今日、二人とも怖いっすよ」
その言葉に、
久瀬はハッとする。
有馬は何も気づいていない。
新聞記事に違和感を持っていない。
つまり今の世界では、
『父の知人男性が犯人』
が正しい現実なのだ。
その時。
白鐘の視線が記事の端で止まった。
「……これ」
「?」
白鐘は記事下部を指差す。
小さな囲み記事。
そこには別件として、
短い文章が載っていた。
『事件解決に協力した高校生探偵・神崎統矢』
久瀬の目が止まる。
「……誰だ、これ」
白鐘が呟く。
「知らない……」
記事には続きがあった。
『鋭い推理によって犯人特定に貢献』
その瞬間。
久瀬の中で、
嫌な仮説が繋がった。
――探偵。
もし。
自分の家族を殺した事件で。
誰かが“推理”をしたなら。
犯人が変わった?
久瀬の背中を冷たい汗が流れる。
白鐘も同じ考えに至ったのか、
顔色を変えていた。
「……まさか」
「俺の事件も」
久瀬は記事を睨む。
「誰かが推理したせいで、犯人が変わり続けたのか?」
その時だった。
資料室の照明が、
一瞬だけ明滅した。
全員が顔を上げる。
次の瞬間。
――ガタン。
棚の奥から、
重い音が響いた。
誰も触っていない。
なのに。
古いファイル箱が床へ落ちている。
有馬が近づく。
「なんだ?」
箱が開いていた。
中には大量の古い事件資料。
その一番上。
一枚の写真が滑り落ちる。
久瀬はそれを見た瞬間、
全身が硬直した。
血まみれの廊下。
倒れた母親。
そして。
廊下の奥に立つ“犯人”。
黒いコートの、長髪の女。
久瀬の記憶にいた犯人と、
完全に一致していた。




