第38話『存在の証明不能』
資料室の机の上に、古い写真が一枚だけ置かれていた。
白鐘雨音はそれを見て、息を止める。
「これ……昨日の現場写真です」
有馬が横から覗く。
「ただの集合写真だろ」
白鐘は首を振る。
「違います」
「“昨日の捜査メンバー全員が写っているはずの写真”です」
沈黙。
久瀬黎司が写真を見る。
そこには確かに数人の人物が写っている。
だが――一部の顔が“曖昧”だ。
ピントが合っていないのではない。
顔という概念だけが抜け落ちている。
有馬が眉をひそめる。
「なんだこれ、加工ミスか?」
白鐘は即座に否定する。
「違います」
「さっきまで“この人がいた”って分かってました」
白鐘は指を写真の端に向ける。
そこには“人の形だった余白”がある。
だが今はただの背景だ。
久瀬は静かに言う。
「証明できない状態だな」
白鐘が顔を上げる。
「証明……できない?」
久瀬は頷く。
「存在は残っている」
「だが証拠が消える」
有馬が苛立つ。
「それもう詰んでるだろ」
久瀬は否定しない。
だが続ける。
「詰んでいるのは“証明の構造”だ」
沈黙。
白鐘が写真を見つめる。
「じゃあ……この人は本当にいたんですか?」
久瀬は少し間を置く。
そして言う。
「いた」
有馬がすぐに言う。
「証拠ねぇじゃん」
久瀬は写真を机に戻す。
「証拠が消えるのは、この事件の仕様だ」
白鐘が震える声で言う。
「じゃあどうやって……真実を決めるんですか」
久瀬は一言だけ答える。
「決められない」
沈黙。
その瞬間、写真の中の“空白部分”がさらに広がる。
有馬が声を荒げる。
「今、また消えただろ!」
白鐘も頷く。
「顔の形が……崩れました」
久瀬は目を細める。
「証拠が成立しない」
白鐘が呟く。
「じゃあ……何が残るんですか」
久瀬は静かに言う。
「観測だけだ」
有馬が呆れる。
「またそれかよ」
久瀬は窓を見る。
雨は変わらない。
だがその雨粒は、写真の“空白”と同じ形で落ちているように見える。
久瀬は確信する。
この事件はまだ壊れていない。
だがすでに――
「存在の証明という概念そのものが、成立しなくなり始めている」
読んでいただきありがとうございます。
感想・評価励みになります。




