第3話『変わった後を覚えている者』
雨音が、やけに遠く聞こえた。
コンビニの白い灯り。
濡れた道路。
街灯の下に立つ女だけが、
現実から切り離されて見える。
「……今、なんて言った?」
久瀬黎司は低く問う。
女は白い傘を少し傾けた。
「“変わった後”を覚えてる、って言ったんです」
落ち着いた声だった。
妙に静かで、
感情の起伏が薄い。
だがその言葉だけで、
久瀬の背筋は凍りついていた。
「……お前、誰だ」
「白鐘雨音」
女は答える。
「新聞記者です」
記者。
久瀬は警戒を強める。
こんな時間。
こんな場所。
偶然とは思えない。
雨音が二人の間を埋める。
白鐘雨音は久瀬を見たまま、
ぽつりと言った。
「取調室の女の人、最初は否認してましたよね」
久瀬の瞳が揺れる。
「でも途中から、自分が犯人だったみたいに変わった」
「……」
「防犯カメラも変わった」
久瀬は息を呑む。
知っている。
この女は知っている。
白鐘は続ける。
「脅迫メッセージも、最初は存在してなかった」
「……お前」
「やっぱり」
白鐘は少しだけ目を細めた。
「あなたも覚えてるんですね」
沈黙。
雨だけが降っている。
久瀬は女を観察した。
嘘をついている顔じゃない。
だが。
ありえない。
これまで誰一人、
異変に気づいていなかった。
刑事も。
犯人も。
鑑識も。
全員、
“最初からそうだった”
と思い込んでいた。
なのに。
この女だけは違う。
「……どうして覚えてる」
白鐘はすぐには答えなかった。
コンビニのガラスへ視線を向ける。
そこに映る自分を、
確認するみたいに。
「三年前です」
「?」
「私は、一度“弟を失ってる”んです」
久瀬の眉が動く。
白鐘は淡々と続けた。
「正確には、“存在しなくなった”」
その言葉に、
久瀬の心臓が嫌な脈を打つ。
「最初は事故でした」
白鐘は語る。
「ビル火災。死者二人」
雨音に混じる声は、
不思議と聞き取りやすかった。
「でもある探偵が推理した。“放火犯がいる”って」
久瀬は黙って聞く。
「そのあと世界が変わった」
白鐘の目が、
まっすぐ久瀬を見る。
「弟は共犯者になってました」
コンビニの自動ドアが開く。
客が一人出ていく。
だが二人は動かない。
「意味が分からない、って顔してますね」
「……当たり前だ」
「私も最初はそうでした」
白鐘は苦笑した。
「でも、みんな覚えてなかった」
弟は最初から放火犯だった。
学校でもそう。
近所でもそう。
アルバムでも。
卒業文集でも。
全部そうなっていた。
「でも私は覚えてた」
白鐘は言う。
「弟は放火なんてしない」
久瀬の喉が乾く。
記憶改変。
存在改変。
もし本当に起きているなら、
今目の前にあるのは、
ただの怪異じゃない。
世界法則そのものだ。
「……なんで俺に話す」
「あなたが初めてだったから」
「?」
「変化に気づいた人」
白鐘は少しだけ笑った。
その笑みは、
安堵に近かった。
「ずっと探してたんです。同じ側の人を」
同じ側。
久瀬は言葉を飲み込む。
白鐘が近づく。
白い傘の先から、
雨粒が滴る。
「久瀬黎司」
名前を呼ばれた瞬間、
久瀬は目を細めた。
「なんで俺の名前を」
「元警視庁分析官。検挙率異常。二年前に突然退職」
白鐘は言う。
「あと」
一拍。
「あなたが関わった事件、犯人変わりすぎです」
久瀬の呼吸が止まる。
白鐘はスマホを取り出した。
画面を見せる。
そこには、
複数の事件記事が並んでいる。
『西荻母子殺害事件』
『青葉区通り魔事件』
『未解決だった雨宮夫妻毒殺事件』
全部。
久瀬が関わった事件。
「共通点があるんです」
白鐘が画面をスクロールする。
「あなたが推理したあと、証拠が増える」
久瀬の背中に冷たい汗が流れる。
「しかも」
白鐘は言った。
「犯人の人物像まで変わる」
風が吹く。
コンビニのビニール旗が揺れた。
久瀬は初めて、
自分以外にもこの異常を認識している人間がいると理解した。
そして同時に。
もっと恐ろしい可能性に気づく。
もし。
本当に。
自分の推理で世界が変わっているなら。
今まで捕まえた犯人たちは――
本当に、
最初から犯人だったのか?
その時だった。
白鐘のスマホが震える。
彼女は画面を見て、
表情を変えた。
「……え?」
「どうした」
白鐘は顔を上げる。
さっきまでの冷静さが消えていた。
「取調室の女の人……」
嫌な予感が走る。
白鐘が震える声で言う。
「今、“自殺した”って速報が出ました」
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