第29話『起点の記憶』
黒い紙片は、もうただの“物”ではなかった。
机の上に置かれているのに、そこにある感じがしない。
白鐘雨音はそれを見つめたまま呟く。
「これ……さっきより“薄く”なってます」
有馬が眉をひそめる。
「消えてんのか?」
白鐘は首を振る。
「違います。私たちのほうが“合わせられていってる”んです」
沈黙。
久瀬黎司が紙片に触れる。
その瞬間、視界が一段深く沈んだ。
――暗い部屋。
――机。
――少年の声。
そして、自分の声。
『じゃあ、決めようか』
久瀬の呼吸が一瞬止まる。
有馬が叫ぶ。
「また何か見えたのかよ!」
白鐘は久瀬の表情を見て、確信する。
「久瀬さん……これ、あなたの記憶です」
久瀬は否定しない。
ただ静かに言う。
「違う」
「“最初の久瀬”の記憶だ」
空気が止まる。
有馬が呆然とする。
「最初の久瀬って何だよ」
久瀬は紙片を見つめたまま続ける。
「この事件の起点で、最初に推理をした人物」
白鐘が小さく言う。
「それが……久瀬さん?」
久瀬は一瞬だけ黙る。
そして言う。
「違う可能性がある」
その一言で空気が変わる。
有馬が声を荒げる。
「はっきりしろよ!」
久瀬は静かに答える。
「はっきりしないのが、この事件だ」
沈黙。
紙片が一瞬だけ揺れる。
そこに、また文字が浮かぶ。
――黎司
白鐘が息を呑む。
「これ……名前」
だがすぐに消える。
有馬が呟く。
「今の……お前の名前だったよな」
久瀬は答えない。
ただ紙片を見つめ続ける。
そして確信する。
これは“記録”ではない。
「始まりそのものだ」
白鐘が問う。
「じゃあ……起点って何なんですか」
久瀬は少し間を置く。
そして静かに言う。
「推理が、世界を上書きした瞬間だ」
その瞬間、記録室の壁に一瞬だけ“線”が走る。
まるで世界の境界が割れたように。
有馬が後ずさる。
「おい……今のやばいって」
久瀬は静かに言う。
「終わりに近い」
白鐘が震える声で言う。
「何の終わりですか」
久瀬は答える。
「第一の推理の終わりだ」
雨音が遠くで強くなる。
だがそれは現実の音ではない。
“記録される直前の音”だった。
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