第24話『正しさの不在』
資料室の白板は、もう“図”として成立していなかった。
線はある。
文字もある。
だが、それらが「意味」を持たない。
白鐘雨音は、ゆっくりと息を吐いた。
「久瀬さん……これ、読めません」
有馬がすぐに反論する。
「いや、普通に読めるだろ」
白鐘は首を振る。
「私は“事件として”読めません」
沈黙。
久瀬黎司が白板の前に立つ。
そして一言。
「正しさが消えている」
有馬が顔をしかめる。
「正しさってなんだよ」
久瀬は振り向かない。
「どれが正しいか判断する基準だ」
白鐘が小さく呟く。
「でも……さっきまでありましたよね」
久瀬は頷く。
「揺れていた」
有馬が苛立ったように言う。
「揺れてるとかじゃなくて、もう全部バラバラじゃねぇか」
白鐘は机に手を置く。
その手の感覚すら、少し遅れている気がした。
「……私、これ全部違う世界を見てる気がします」
久瀬が静かに言う。
「違う」
白鐘が顔を上げる。
久瀬は続ける。
「同じ世界だ」
「ただし“正しさが固定されていない世界”だ」
有馬が呟く。
「それもう意味ないじゃん」
久瀬は否定しない。
むしろ淡々と続ける。
「意味はある」
白鐘が息を呑む。
「あるんですか……?」
久瀬は窓を見る。
雨は変わらない。
だが、その雨の一粒一粒が“別の落ち方をしているように見える”。
久瀬は言う。
「正しさがない状態でも、結果は出る」
有馬が首を振る。
「いやそれ矛盾だろ」
久瀬は短く答える。
「矛盾ではない」
「まだ確定していないだけだ」
白鐘が震える声で言う。
「じゃあ……この事件はまだ終わってないってことですか」
久瀬は頷く。
「終わる条件がない」
その瞬間、白板の文字が一瞬だけ“全て消える”。
次の瞬間、また現れる。
だが内容が違う。
有馬が叫ぶ。
「おい!今消えたぞ!」
白鐘も頷く。
「でも今戻った内容……さっきと違います」
久瀬は静かに言う。
「正しさが消えると、比較ができなくなる」
白鐘が呟く。
「じゃあ……何が残るんですか」
久瀬は答える。
「観測だけだ」
有馬が苛立つ。
「それもう意味ないじゃん」
久瀬は初めて有馬を見る。
「意味がないのではない」
「意味が“確定できない”だけだ」
その言葉で空気が沈む。
白鐘が小さく言う。
「この事件……どこに向かってるんですか」
久瀬は少し間を置く。
そして静かに答える。
「収束だ」
有馬が即座に言う。
「どこがだよこれで」
久瀬は窓の外を見る。
雨は確かに降っている。
だがその雨は、見るたびに“別の世界の雨”に変わっている。
久瀬は確信する。
この事件はまだ壊れていない。
だがすでに――
「正しさそのものが消え、観測だけが残り始めている」
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