王妃様のあげまん線
特徴的な手相を書き留めたあたしのノートももう8冊になった。
とはいっても、統計はデータを集めるだけじゃだめだ。そこからどんな傾向が導き出せるのか、解釈を深めて、それを占いに落とし込まなくちゃ。
日中は王都で人の手のひらを眺めまわし、知っている限りの皺の意味をアドバイスを交えながら伝えてその都度書き留め、夕方シュデックス領に帰り、夜はノートから似た手相を抽出してその人たちの人生を比較する、という生活を送っていた。
特にこの国の人々には生まれ備わった魔法特性がある。
それがどのように手相に現れているか、現れないものもあるのか、左手と右手でどう違うか、など、深堀りするとキリがない。
ティエリ侯爵に、いろいろな魔法特性の種類とできることを教えてもらい、少しずつ理解を深めていった。
その夜も同じように過ごす予定だったのに、奥様、カトリン侯爵夫人に、3日後に収穫祝賀パーティがあるから一緒に王宮に行きましょう、と言われてしまった。
「あたしなんて畏れ多いです」
と一度はお断りしても、ティエリ侯爵にのんびりした口調で、
「王様も王妃様も占って欲しいんだって」
と言われてしまい、もう反論できなかった。
陛下たちに「お城を出て下町のあたしの占い館まで来てください」、なんて言えるわけがない。
「見てみて、素敵でしょ、あなたの占いマントの色に合わせたの。王様はこっそり手相を見てほしいそうだから、ダンスをしに来たって顔をしてちょうだい」
微笑む奥様の手にはマントよりぐっと明るい緑の、新調されたドレスが掲げられていた。
そしてパーティ当日夕方、「やっぱりお世話になり過ぎだわ」と思いながらも、占いマントの下にその細身のドレスを身にまとい、髪もしっかりアップに結ってもらって、ガーネットの首飾りは豊かでもない胸元につけ、侯爵の紋章付き四輪馬車に同席させていただいて王宮に向かった。
「トリスタンが早く結婚してくれたら、マライアちゃんと一緒にドレス選んだりできるのに、ほんと、あの子ったら不器用なんだから……」
と、奥様がぼやく。
婚約者さんは「マライア」という名前らしい。
若様は、今日は彼女をお迎えに行き、カップルで王宮に来るそうだ。
礼服姿の若様はブロンドが照り映えてとても見栄えがするだろう。そして隣に立つマライア嬢も、綺麗な方に違いない。
ま、あたしには関係ない。
どんなダンスを踊るのか知らないけれど、あたしに踊れるとも思わないし、申し込まれるわけもない。
王様と王妃様の手相を見て差し上げて、後は目立たないように辺りをぶらぶらするか、壁の花になっておけばいい。
思い巡らすうちに、馬車は王都の門をくぐり、職場の占い館前を過ぎ、王宮へと。
敷地内に入ったのは初めてで、その玄関はまるでギリシャの神殿のようだった。
既にテンポのいい音楽が聞こえていて、ティエリ侯爵夫妻の陰に隠れるように中に入ると、その大広間ときたら、めくるめく煌びやかさで、高校の体育館より広かった。
目の前でペアの代わらないフォークダンスのような円舞が行われている。
何歩も進まないうちに、アッシュ公爵が飲み物を手に近づいてきた。
「いらっしゃい。国王と妃殿下が入場するまでこうやって皆気楽に踊って楽しむんだ。恵茉君はジュースでいいかな? 占いの前に酔っぱらうわけにはいかないだろ?」
と、いつもの気さくな笑顔。
トリスタン若様も、公爵くらいに笑顔が上手にならなくちゃ、だよね。まだ本人は到着してないみたいだけど。
「ルーナスが急遽戻ってきてね、あ、ジェシカの婚約者のことだけど、今二人、踊ってる」
アッシュ公爵は円舞の向こうのほうに視線を向けた。
ジェシカ様の光沢のあるブロンドは縦ロールで、音楽に合わせ、彼女の頬の横で嬉しくてたまらないと上下していた。
その彼女の手を取っているのは、黒い長上着を着た、眼光鋭めな若者だった。後ろ髪を一本三つ編みにし、前髪は立てた精悍な容姿。薄黄色のウェストコートが良く似合っている。
「ジェシカに捕まったら絶対ルーナスの手相を見ろって騒ぎ出すから、悪いけど今のうちに控えの間で国王夫妻の占いをお願いできるかな?」
アッシュ公爵は王弟殿下のはずだけれど、全く威張らずに、この祝賀パーティ全体の運営を任されているようだ。
「はい、もちろんです」
自分は手相を見るために来たのだから、その部屋に閉じ籠りたいくらいです、と口にするのは止めた。
「両陛下はこのドアの向こうだ。君の占いが終わってから正式な式典を始めるから」
あたしはこくんと頷くだけにして、控えの間に入った。
目が慣れないせいか、部屋は大広間に比べてぐっと暗かった。
妃殿下がすっと立ち上がって声をかけてくださる。
「あら、ほんとに可愛らしい占い師さん。占い師さんには見えないわ」
「お初にお目にかかります。侯爵邸でこんなドレスまで作っていただいてしまいました」
「よくお似合いよ。カトリンも娘ができたみたいで嬉しいのね。緊張しなくていいのよ? アッシュから、結構ズバズバ物を言う方だと聞いています、いつもの調子でお願い」
あたしはどっと赤面した。アッシュ公爵に「無礼なヤツ」って思われてたのかも。
王妃様は40代後半の少し身体の弱そうな方。
でも、「さ、私の手を見てちょうだい」と両手を差し出し、少女のように頬に色が射すのが見えた。
「では、失礼して拝見します」
まず、生まれ持った気質を見せる左手。
ああ、やっぱり、「慈愛感情線」。
王妃様の感情線はくっきりとしなやかに、小指の下から人差し指と中指の間に向かって弧を描き、人差し指の付け根に届いている。
「陛下は周囲の方に惜しみない愛情を注がれる慈愛に満ちた女神様です」
王妃様は空いていた右手を口もとに当てて「あら、それは言い過ぎよ」と笑った。
「でも、王妃様になるべくしてなられた、と手相に出ています」
とあたしが言うと、「それは私を選んでくださった国王の慧眼かしらね」と言ってさらにうふふと笑ってくれた。
「可愛らしい王妃様でよかったー」とあたしも少しリラックスして右手を見せてもらったところ。
「キャッ」
つい声をたててしまった。
「え、何か悪いこと? 息子の将来に関わったり、夫に災禍がふりかかったりするの? 私が身を引いたほうがいいなら今すぐにでも退位を……」
早口に囁く王妃様を慌てて止めた。
「だ、だめです、絶対退位しないでください。何が何でも、絶対です。常に王様の隣にいてください」
「王の身に何か起こるの?」
「ち、違うんです、悪いことじゃなくて。えっと、こ、この言葉、口にするの恥ずかしいんですが、王妃様の感情線、左手は一本くっきりと人差し指の付け根に届いていますが、右手は……」
「右手は?」
「現在と未来を見せる右手の感情線は、先が三叉に分かれているんです。ほらここです」
王妃様は自分の両手ののひらを見比べて、「あ、そうね、右と左手違うのね」と目を丸くしている。
「あ、あげまん、線って言います」
「アアゲマンセン?」
自分が真っ赤になっているのがわかる。彼氏いない歴イコール年齢のオクテ16歳に、こんな単語言わせるなって。
「陛下が愛する人々は運気が上昇して夢が叶ったりする『幸運の女神』の相です……」
「吉相なのね? よかった、てっきり悪いことだと……」
「ごめんなさい、あたしが驚いてしまったばっかりに。こんなにはっきりと出た好運の女神線、初めてだったので」
そうだそうだ、これからは、『幸運の女神線』って呼ぼう。あの言葉は言わなくてもいい。




