ファミリーリング
異世界転移から数週間後、吊っていた左肩の痛みが取れ、三角巾も不要となった。シェリル様にいただいた冷湿布も温湿布も本当に重宝した。
昼休憩に占い部屋の換気をしながら、
「シェリル様にお礼を言うチャンスでもあればいいのだけれど」
と独り言ちたら部屋の片隅に、アッシュ公爵が登場した。
「キャーー!」
あたしはまた叫んでしまって公爵は頭を掻く。
「慣れないか? 日本国には空を飛ぶヤツも瞬間移動できるヤツもいなさそうだな」
「は、はい、いません……」
公爵は口角を上げて返事に替えすぐ本題に入った。
「王都の城下町、王城のすぐ近くに空き家ができたんだが、そこはどうかな?」
「どうかなって?」
「王都での営業に、さ」
黒髪の下に青い瞳がいたずらっぽく煌めく。
シェリル様には申し訳ないけれど、彼が若かったら恋に落とされてるんじゃないかなって思うくらい魅力的な人。
これが太陽線スターの相なのかしら。
ううん、違う、ファミリーリングのほうだ。両手の親指の付け根がくっきりと鎖状になっていたのを憶えてる。結婚し子供を持って愛に満ちた家庭を築く印。
アッシュ公爵が魅力的なのは、恐らくシェリル様とジェシカ嬢が傍に居てくれるから。
「元々城の門衛夫婦が住んでいた家でね、子どもが大きくなって手狭になったんで、引っ越すことにしたそうだ。王城の門の向かいだから、治安はバツグンだ」
あたしが会話中に黙りこくってしまっても、公爵は若様みたいにご機嫌を損ねることはなく待っていてくれた。
「あ、あの、手狭になったってどのくらいの大きさですか? あたしはここくらいのスペースに、ベッドとコンロとお風呂があれば大丈夫なんですけど」
「いや、そうはいかんだろ。占い部屋自体はここみたいにこぢんまりしてたほうが雰囲気出るのかもしれんが、独立起業するって聞いたぞ? 居住スペースはしっかりあったほうがいいし、経理担当を雇うかもしれん、そしたら掃除やら食事やら住み込みで世話してくれる人も要るんじゃないか?」
「アハハハハ」
あたしは声を立てて笑ってしまう。
「掃除も洗濯も自炊も一通りなら自分でできますって。怪我も治ったし。公爵様はやっぱりお貴族ですね」
「お、俺だって最低限のことならできる。戦地でのサバイバルの一環として……」
日常生活も国防総長にとってはサバゲーなのかもしれない。いつもは多くの召使いさんたちに囲まれて何不自由なく過ごされているのだろう。
少し赤らめた顔色が引いたところでアッシュ公爵は改めて訊いてきた。
「ティエリから聞いたんだが、王都に住みたいんだよな? 占い師として本気で自立したいって」
「は、はい。肩も腕ももう大丈夫ですから、これ以上ティエリ様たちのご厚意に甘えるわけにはいかないと思って……」
青い瞳があたしの心を見透かすようにじっと離れない。
「あのな、肩の怪我、絶対トリスタンのせいじゃないからな? 君がどんな格好で倒れていたとしても、トリスタンが見つけた以上、君に危害は加えていないし、これからも安全だ。アイツは自分に厳しすぎるくらいの男で、貴族として恥ずべきことは決してしない。許嫁もいることだしな」
あたしは身体中を疑問符にして首を傾げた。
「トリスタン様?」
「ああ、恐いんだろ?」
「え、いえ、そんな……、でも、なんで?」
アッシュ様の瞳は、あたしを心から心配するような、憐憫のような色味を帯びた。
「君の発見地点から屋敷内まで両手首を縛っただけだ。それ以上でもそれ以下でもない」
「は、はい。そうだと、思います」
「なのに君の態度はアイツの前でだけとても不自然だ」
「え、そ、そうでしょうか……きっと、占いにご興味を持ってもらえないから……」
あたしは急に悲しくなって俯いてしまう。若様とは意見が合わないことばかり。占いの見料のことも、なぜあたしが怪我が治らないうちに手相を見始めたのかも。
この世界で生き抜くって覚悟で、早く独り立ちしようってチャレンジしていることなのに。
「解せんな。王都に行ったことはあるか?」
若様と違ってアッシュ公爵は、あたしなんぞに心を配ってくださり何とかあたしを知ろうとしてくれている。
「ないです。肩が治るまで馬車に揺られるのはよしたほうがいいって奥様が」
「そうだな、その通りだ。それにしても、見たことも行ったこともない王都に住みたくなるものか?」
あたしはつい沈黙してしまってやっと言葉を選んだ。
「……きっと街に活気があって、たくさんの人がいるんですよね? そしたら占いの需要も大きいと思ったから……」
「儲けたいということか?」
「生活できるだけの収入が得られれば……」
「ここに居れば生活費はほとんどかからない。それでも王都がいいというなら、それほどこの侯爵邸が嫌いなんだろう」
「そんな、滅相もない! こんなによくしていただいてるのに」
ぶんぶんと首を横に振ったあたしにアッシュ様はうっすらと笑みを浮かべた。
「王都まで馬車で何分だ?」
「30分程度と聞きました」
「だからティエリは領内の子どもの通学のために朝夕無料送迎馬車を何便も出している。それに乗って君も通えばいい」
「そ、そんな、だから、これ以上ご厚意に甘えられないって……」
「う……ん」
公爵は低く唸った。
「それだ。その『ご厚意に甘える』って表現がわからない。日本国との文化の違いがあるような気がする」
「ぶ、文化の違い……あ、あたしの言葉、通じてないときがあるんですか?」
「あるかもしれない。ある気がしてきた。慣習の違いかもしれんが」
「ご説明いただけますか?」
今まで、自分の言葉が通じていること自体に驚いていたけれど、細かな食い違いはたくさんやらかしてきたのかも。
アッシュ様は顎をさすって少し考えてから顔を上げた。
「う……ん、そうだな。例えば、だ。ある日俺の畑で勝手に生えてる大根見つけて、それを引っこ抜いたら俺のもんだな?」
「はい」
「鷲が川で鮭を捕まえて、俺の領地上空でその鮭を取り落とした。それ、もらっちゃってもいい?」
「いいと思います」
この話はどっちに進んでいくんだろうか疑問だったけれど、頭の回転の速い人だとわかっているから、話の腰を折らずに返事に徹した。
「俺の領地に女の子が落ちてた。俺のものにしてい?」
「!」
自分の頬が赤くなるのが感じられた。意識すると一層熱くなる。
「アハハハハ」
今度は公爵が声を立てて笑った。
「うちの国では、領地に落ちてた物、現れ出でた物なんかは基本、その領主のものになるわけだ」
「あ、あたしはティエリ様のもの?」
一瞬、奴隷とか奴婢とか下女とかはしため、という言葉が頭を巡った。
「まあ落ち着けって。ものっていうか、領主の管轄内ってことだな。人には人の意志ってもんがあるから物扱いはできない。出ていきたいなら行けばいい。でもね、君は『ご厚意に甘えず早く居なくなろう』としてる。俺たちの感覚で行くと、『拾ってやったんだからここの一員、これから腰を据えて恩返しをしてくれてもいいのに』って思ってしまう」
「恩返し! 恩返しの方向性が違う……」
「恐らくね。君は出て行ったほうが『恩返し』になると思ってるみたいだけれど、居座って日々続ける恩返しの方法もあるってこと。特にここ、ティエリ・シュデックス侯爵家なんてどでかい領地なら、女の子一人増えようが痛くも痒くもない」
あ、若様も似たようなことを言ってた、小娘一人の増加で傾く身代でもないって。
「あ、あの、トリスタン様とアッシュ様はツーカーの仲ですか?」
「ツーカーってこっちじゃあんまり使わない言葉だけど、情報共有の程度のことだよな? トリスタンが父親に話すことは全て俺にも聞こえる、と思っていてくれ。ティエリが知らないことはオレにもわからない」
「そ、そうですか。王都の物件探しとかにご足労かけてしまってごめんなさい。もう少し考えてみます」
「ああ、そうしてくれ。トリスタンを嫌ってるわけじゃないなら叔父としてとても嬉しいよ」
「き、嫌うほど存じ上げてません……」
「そう? 邪魔したね。また」
公爵はにっこりと笑ってチェシャ猫のように消えていった。
居候したままでの恩返し、という考えには驚いた。領地の一員としてもう属しているということらしい。
あの夜若様が「え?」と訝しがったのは、あたしが恩返しもせずに早く王都に出たがってると思ったから。
毎日王都に通って小銭を稼ぎ、ここシュデックス領に持ち帰ってティエリ様に納めるのが、この国らしい恩返しの方法かもしれない。
気持ちのいいベッド、ふんだんな食事、貰ってしまったドレスや靴。
心苦しい限りだけれど、敢えてこの国風に考えれば自分のしようとしていたことは、「ご厚意を踏み台にして自分一人儲かろうという態度」に見えてくる。
不思議なものだ、視点とか、文化って。
この時はまだ、自分の心の奥にチクンと刺さった棘に気が付かなかった。
――トリスタン様には許嫁がいる。




