生命線の長さは寿命、じゃない
初日、ティエリ侯爵の執務室で倒れてから、翌朝気持ちのいい寝室ですっきりと目を覚ましたんだよね、それからもう何日たったんだっけという長い回想を終え、侯爵夫人と若様が設えてくださった占い部屋の調度を見回した。
こんなによくしてもらえるなんて、思ってもいなかった。
日本も地図に載っていない、恐らく異世界の魔法の国で。
夕食は家族3人顔を合わせて食べるのがルールらしく、あたしもその一員にしてくださった。
そう言えば、普段関わらないトリスタン若様が初めの頃投げかけて来た質問に、「日本国に貴族はいるのか?」というのがあった。
あたしが「昔はいましたが今は皆平等です」と言ったら、短く「やはりな」と答えた。
何が「やはり」なのかはよくわからなかったけど、「爵位制度自体が無いなら客人を流れ者扱いはできない」と顔を強張らせていた。
この待遇は若様のご判断で、自分たち貴族と同等の扱いを続けてくれているのかもしれない。
侯爵家全体であたしのことを大切にしてくれているのはわかる。でも、どうしても、若様が近くにいると居心地が悪い。
幸いなことに、この占い部屋ができてからは、トリスタン様とは夕食時にしか顔を合わさない。
彼は国防軍の少佐だそうで、領内か国内のことでいつも出かけているし、あたしはあたしで占い部屋が盛況になったから。
毎朝、東の塔の前に行列ができている。
皆の都合のいい時間を聞いて予約制にし、日時を書き込んだ整理券を渡して一度は解散してもらう、という状態。
スマホもインターネットも電話もなくて心細いし不便だけれど仕方ない。占いに来てくれる人たちは不便さなぞ気にならないようだ。
領内のおばさまたちに混ざって、近隣の令嬢たちや商家の女の子たちもいて、魔法学園でジェシカ様から口コミで広まったとのこと。
占い自体のほうは、まだまだ慣れず、たどたどしいけれど、だいたい喜んでもらえているのかな。
この国にはアッシュ公爵に代表されるように、あっけらかんとした人が多いみたい。
みんな自分の見立てを真面目に聞いてくれるし、アドバイスを付け足すと、「頑張ってみます」と笑顔になってくれる。
占いってきっと、誰かに話を聞いてほしい人やちょっと応援が必要な人たちのためにある。
そして、自分にとっては、この「手相占い師」という役割を続けることだけが、この魔法の世界で生きていく方法だと思う。
目の前の占いに必死になっていないと、「自分はどうなってしまったのか」「これからどうなるのか」なんて疑問がどんどん湧いてきて、気が狂ってしまいそうだから。
ため息を吐きながら、若様から借りている重たいガーネットの首飾りを頭上から外し、宝石箱に入れて鍵をかけた。
占い服一式はハンガーにかけ普段着に戻ると、部屋の灯を消し、見た手相の特徴をその都度書き留めているノートを小脇に抱えて表に出た。
今日のお夕飯何かしら、なんて考えながら。
でも、ドアに施錠して振り返ると、左肩がズキリと痛むほど驚いてしまった。
少し離れた薄暗がりの中に、若様のシルエットが浮かび上がっている。
トリスタン様は不機嫌そうに、つかつかと近づいてきた。
「領民から金を取っているそうだな?」
「は、はい、銅貨一枚ですが……」
声が震えてしまう。
「無料にしろ。占いなぞ報酬をもらうに値しない」
「……見料をいただくことにしないと、特に悩みのない人々も仕事を投げ出して行列してしまうかもしれませんから」
あたしは深呼吸をしてから、やんわりと冗談交じりに返してみた。
最低限のお金を取ることにしたのは、冷やかしを減らすため、そして、見るこちら側も真剣だという証。
「怪我も治らぬうちから商売を始めるとは強欲に過ぎる」
トリスタン様はあたしのやることなすことお気に召さない、きっとあたしの存在自体が目障りなのだろう。
「お代は全額、侯爵様にお渡ししています」
若様は優雅な顔を、一瞬苦虫を嚙み潰したように強張らせてから詰った。
「領民にはすでに小作料などの名目で税を払ってもらっている。それ以上搾取する必要はない」
「あたしがお世話になっている分、お返ししたいだけです」
「小娘一人増えたくらいで傾く身代でもない。金を取るのは王都に店を出してからにしろ」
「もちろん、王都のお客様の見料はもう少し値上げさせていただきます」
「なんだ、やはり私腹を肥やしたいのか?」
「いえ、本気だからです」
若様は首を傾げた。
「代金によってお前の占いの精度は変わるのか?」
あたしは頭を抱えたくなった。秋夜のとばりの落ちる夕食前の時間、闇は濃くなり冷気が若様との間に渦巻いている。
どこから説明したらいいのだろう?
あたしには断然経験が足りない。
美愛からもらった薄っぺらな冊子「手相の観方・ベーシック」はベーシックなのに、あたしにはまだ見たことない手相がたくさんある。
そして、日本人の手相の診断がここ、異世界の人々に当てはまるのかどうかもあやしい。
じっくり時間をかけて手相を観察し、相手の悩みや生活態度、人間関係などまでも聞きながら、判例を積み上げていくしかないのだ。
そう、何だった?
美愛が言っていたこと。
「占いってね、結局は統計なのよ。データ。牡羊座と獅子座の人集めると、なんかみんな行動力あるよね、みたいな」
「え、そうなの?」
あたしが牡羊座で美愛が獅子座、お互い火のエレメントだねってよく話したっけ。
美愛はほんと、みんなを引っ張っていくリーダータイプだけど、あたしの火は静かに燃えてじっくりと、新たな挑戦をこなしていく。
美愛の言葉に何度も頷いた日本に居た頃の自分。
ならここで、この世界で、新しい挑戦に火を燃やすのがあたし、牡羊座の恵茉が目指すこと。
データを集める。
昔々の中国やら日本の人が、死んだ人の手相を見て、生命線の長さと寿命の関係性を割り出そうとしたのかどうか、それは知らない。
でも、生命線が濃くてはっきりした人はバイタリティに溢れていて、長生きしやすいってのはわかりやすい。
手相自体を信じ切れていない自分にでも納得できる。そして占いが当たるかどうかよりもカウンセリングの真似事のような、人の心を軽くできるような立ち位置でいたい。
今は身元の不確かな人は入ってこれない侯爵領での開業だからこそ、少しでも多くの練習をこなさせてほしい。
王都に行けば流れ者もいるだろう、その中で、一人で衣食住、お金のこともお客さんとの揉め事も解決せねばならないのだから。
「黙りこくって、やはり俺とは話したくないのだな」
若様が呟いた。闇の中でもう顔色は見えない。
「そ、そんなことは……。ただ、王都で開業したら一人暮らしで生活費を稼がなきゃなりませんから、収入が必要で……」
「え?」
若様は訝し気に見下ろしてきたけれど、それがどういう意味かあたしにはわからなかった。
ささっと踵を返してしまったトリスタン様は、夕食の席の灯の下では通常運転、あたしのことはスルーでご両親や給仕係さんと歓談していた。




