あたしの好きな人は
二人きりの馬車の中で、若様が呟く。
「領主の息子として、心の弱った領内の未婚女性に手を出すなんて許されないことなんだ。だから、こうやって二人きりでいるのは、ちょっと、辛い……」
あ、あたしも一応は女だと認めてくれてるんだ。でも一緒にいるのは辛いって。
「も、もう大丈夫です。馬で先に帰っていただいて構いません」
「さっきは一緒がいいと言ったじゃないか。恵茉も……、二人っきりは辛いのか?」
「辛いけど、辛くないです……。助けに来てくださってありがとうございました。もう、大丈夫です」
「恵茉?」
さっきから恵茉、恵茉って急に名前呼び始めて、若様どうしちゃったんだろう。自分の責任だと思って心配しすぎたのかな。
「俺にも手相が読めたら、君の気持ちがわかるのか?」
若様はあたしの右手をつっと取って、開いて眺めた。
「このくらい許せ」
そう囁くと大きな左手であたしの右手を包み込んだ。手を、繋がれてる。あたしの脈拍が跳ね上がった。
「マライアが君に悪事を働こうとしたのは、俺のせいだ。君は巻き込まれただけ。本当に悪かった」
そう、巻き込まれた。二人の婚約破棄にあたしは関係ない。マライアさんが嫉妬したのはただの勘違い。
「領主の息子として……、君に邪な想いを抱くなんて、あってはならないことだ……」
「ヒッ!」
あたしは自分の右手を引っ込めて、馬車の片隅に小さくなった。毛布の中に隠れる。
『邪な想い』って、領主が女中をムリヤリものにするようなこと……。
「すまない、恐がらせたか。ほんと、いったい、どうしたものかな。君と仲良くなれる気がしない……」
「ごめん……なさい」
きっと普段のあたしならこんな反応しない。それも大好きな若様相手なら。
でも今はまだ、恐かった経験が尾を引いてる。
何もされてなくても、どんなに強がっても、死ぬかも、襲われるかもと覚悟した時間は確かにあったのだから。
「会話が足りないのか。俺は得意じゃないが、おしゃべりをすればいいのか。そうだな、君はどんな男が好みなんだ? ルーナスか、アッシュ叔父とか?」
「アッシュ公爵は……、とても魅力的な方です。ルーナスさんは、翳があって、カッコいいけど、よくわかりません」
「そうだな、ルーナスは中身を見せないからな。アイツを理解できるのはジェシカだけなんだろう」
恋バナをするより、他の話題で会話を続けたいと思ったあたしは、ルーナスさんの爪のことを思い出した。
「あ、あの、突然で失礼なこと聞くんですけど、ルーナスさんって、黒魔女と関係あったりします?」
「そんなこと、誰に聞いたんだ?」
若様が急に気色ばむ。触れてはならない話題だったみたい。
王様に聞いたとも言えないから誤魔化した。
「いえ、黒魔女は爪の形が違うって占いのお客さんから聞いたことがあって、ルーナスさんの小指の爪が珍しい形だったので……」
若様は小首を傾げて、話していいか一瞬悩んでから口を開いた。
「国の上層部は皆知ってるからいいんだけどな、アイツもやっと、この国に骨を埋める決心がついたみたいだし」
「骨を埋める?」
「ああ。ヤツは黒魔女とうちの王家のハーフなんだ。それで、帰属意識というのか、どっちの国に自分が属すのか決めろとアッシュ叔父がね。隣国に留学したのは黒魔女の情報を集めるためで、母親を突き止めたとも聞いたな。今回、『魔導部隊総指揮』を拝命する気になったんだから、母親を敵に回してもいいと決心がついたんだろう」
「お母さんと……、戦う?」
「そう。生半可な決心じゃないと思う」
「そうですね……」
「君だって、故郷に帰るのかこの国で一生過ごすのか、決められないんだろう?」
「あたしの場合は選択肢がない。もうたぶん、帰れない」
「どうすればエクストルで一生幸せに暮らせるって思えるんだ?」
早口で小声になる若様は珍しかった。
「恋をして好きな人がお嫁さんにしてくれたら、じゃないでしょうか?」
若様は、ベンチ型になっている座席の隅にまだ縮こまっているあたしから、心なしか身体を遠ざけた。一人分以上の間が空いてしまう。
「そ、そうか。それは俺にとっても試練だな」
「???」
さっきから、若様の言動が見えない。あたしを傍に置きたいって聞こえる。
でもそれは「邪な想い」で、「領主の息子として恥ずべき事だ」と言ってたような。
側室みたいなこと?
それともあたしを取り戻した成果として身体が興奮しちゃってる、みたいな?
ーーーー乙女のあたしに男性の都合なんてわからないんですけどっ!
そっと窺うように聞いてみた。
「領主の息子が領民に恋をしてはいけないのですか?」
「いや、正式に交際を申し込んでご両親の賛同を得れば別に……」
あたしの両親に挨拶はできないから、力ずくでしてしまえとか、そういうこと?
でもそれだったら、あたしを誘拐した人たちより恥ずべき事じゃない?
馬車がアンテックス領からシュデックスに入った途端、若様は御者に休憩を告げた。
車内は居たたまれない雰囲気になっていたから助かった、気もする。
馬の交換が主目的らしい。
昨夜酷いスピードで走らせて、倉庫に閉じ込められて、馬たちも可哀想な目に遭っている。
御者さんを雇った所で飼い葉や水をもらったらしいけど、その後、アンテックス領では一度も馬を止めようとしなかった。
自分の領内でなら侯爵家の馬は、ゆっくり休ませた後で、頼まなくても邸に届けてくれる。
ここからはシュデックス領の御者さんがついてくれるそうで、ここまでの御者さんは、自宅のある王家直轄領に帰るそうだ。
お疲れ様、ありがとう、と心の中で唱えた。
冬のお昼の光が差し込む明るい食堂で、あたしは若様と軽食を口にした。
温かいスープが身体に沁み込んでいく。パンと美味しいハムと、ポテトサラダをいただいた。
公共の場でならさほどドキドキせずに若様と居られて、やはり「馬車に一緒に乗って」と言った自分が悪かった気がしてくる。
「もうシュデックス領内ですから、若様は先に帰って皆さんにあたしの無事を伝えてくださったら……」
と、言ってみたが、若様は黙って首を横に振るだけだった。
馬車に乗り込むと、彼も入ってきて、今度は向かいに座った。
「この旅籠は無線局の代わりもしていて、念波が飛ばせるヤツが常駐してる。父上に君の安全とアフタヌーンティには到着する旨、伝えてもらった」
「そうですか……」
寒くはなかったけれど、二人きりに戻ると急に羞恥心が湧き上がって、毛布に顔を半分隠して若様を見つめていた。
あたしはこの人が好き。それはちゃんと自覚できる。
頑固で融通が利かないけど、本当は優しくて、人の気持ちに敏感。
考えて行動しようとすると言葉も動きも固まりがち。
でも無意識の言動は視線も仕草も、笑顔もとっても優しい。
シェリル様が『真白魔法のシュッド』だって言ってたっけ。
「こうあるべき」に沿って行動するよう仕向けられてるみたいで、考えれば考えるほど言葉足らずになって、誤解されやすいし、生きづらいんだろうなあってこっちが同情してしまう。
あるべき自分の姿と現在の自分をコンスタントに比較してしまって、自己肯定感が低い。
「俺はこれでいいんだ、こういう男なんだ」と言い切ってしまえばすむことなのに。
周囲の皆は既に、若様は凄いって認めているのだから。
あたしがどれだけ若様を好きでも、若様があたしを求めても、身体だけの関係には絶対なってやらない。
でもでも、もし目の前の、乗馬服に隠した胸のどこかに、あたしを好きだって気持ちがあるのなら、そして一言、「好きだ」と言ってくれるなら、あたしの初めてを全部あげる。
あたしなんかを助けに来てくれたお礼になるなら、あげる。
あたしの気持ちが若様の自信に繋がるなら、こんなに嬉しいことはない。
「ど、どうしてそんなに、見つめるんだ?」
若様は眉間に皺を寄せて怖い顔をしながら、どこかしら落ち着かず、座席に座り直す。
ーーーーもしかして、あたふたしてる? そこはかとなく可愛い。
あたしはふっと笑って、窓の外に視線を移した。




