月丘智徳の運命線
倉庫の床をドスドスと鳴らして、若様が近づいてくる。
ここがわかったんだ。探してくれていた。見つけてくれた。あたしは視界が滲むのを感じた。
「バカ者!! 隣国に行くだと?! 許さん!!」
若様は相当怒っているみたい。
大丈夫だったか、酷いことをされてないか、と優しく聞いてくれるわけではなかったようだ。
初めて名前を呼んでくれた感動も消し飛んでしまった。
椅子に座らされているあたし。机越しに囲んでいる二人の誘拐犯。
若様は何をどこまでわかっているのか、机上にあったあたしが書いた手紙を横殴りに掴んでビリビリに破り捨てた。
「御者は確保済みだ。心配して来てみればうちを去る算段だと?!」
何かとっても誤解されているようだけれど、あたしは涙を止められなくて、説明もできなかった。
若様にもう一度会えた。それだけで、心がじわっと温かくなって、ひっくひっくとしゃくりあげてしまう。
「時間稼ぎに必死だったの!」と叫んで抱き着いて、背中をさすってもらえたら、どんなにか幸せだろう。
「占い師が泣いているのはお前たちのせいか?! 口では言えないようなことをしたのか?」
「滅相もございません、トリスタン様、我々は占い師様とおしゃべりしていただけで……」
「危害は加えていないな? 俺の前で嘘が吐けないのは重々承知のことだろう?」
「はい、もちろんでございます。嘘を吐こうにもすぐ暴かれてしまいますので……」
「よし。御者を殴って怪我をさせた罪はわかっているな?」
「はい」
「占い師がこの港に来たのは彼女の意志か?」
「い、いえ……」
「マライアの意志だな?」
「はい……」
「わかった。アンテックスに戻り、追って沙汰を待て。二人きりにしろ!」
バタバタと誘拐犯たちが出ていく足音がした。
若様の無骨な手がわしゃわしゃとあたしの頭を撫でていた。
「何を泣くことがある? 恐かったのか?」
あたしはコクリと頷いた。
「それにしては落ち着いてあの者たちと話していたではないか」
落ち着いてなんてない!
余裕あるように見せかけてただけ!!
「聞いてたの?」
「ああ、途中からな。隣の倉庫に馬車を見つけ、この倉庫から話し声が聞こえたから、とりあえず安心していた」
「必死……だったのに……」
「助けて!とか、トリスタン様!とか叫んでくれていたら、考える間もなく飛び込んできたんだが、3人普通に話してるみたいだし、タイミングが掴めなかったというか……」
「何よ、それ」、と恨みに思って上目遣いで見上げたら、どうしたらいいのかわからない、と困惑した若様の瞳があった。
「昨夜のほうが苦しかった。君の仕事場の前にマライアの馬車が止まっているのを見た。そういえば、収穫祭の時に、占ってあげるって恵茉が言ってたから、それで来たのかなと思って、深く考えず俺は家に帰ってしまった」
若様の手はあたしの頭の上から離れず、髪の感触を楽しんでいるみたいだった。きっと本人は何をしてるか意識してない。
「シュデックス家の御者たちは念波を使える者を採用している。意識を失っていたらしく報告は遅れたが、馬車が戻らないことで父上も俺も起きて待機していた」
髪のわしゃわしゃを伴奏にして、若様は話し続ける。
「王都に戻ってうちの馬車を追跡するより、アンテックス家に行ってマライアに事情を聴いたほうが早いと思って、自責の念一杯で、南に馬を速駆けさせた。深夜にアンテックス家で大暴れしてマライアを見つけ、それからこっちに来たってわけ」
若様も長文で話せるんだ、なんて思えたから、あたしの気持ちも少しずつ落ち着いてきたようだ。
「それにしても君は、誰とでも仲良くなるというか、敵からでも情報を掴み取って仲間にしてしまうようなところがあるね」
そう言われてハタと気が付いた。
今まで腑に落ちていなかった自分の手相「月丘智徳の運命線」。
あたしの右手で神秘十字を形作っている運命線は、「月丘」と呼ばれる手首上の小指側の膨らみから、斜めに立ち上がっている。
人のご縁に恵まれ他者からの知恵や情報を得、いつも周囲に味方がいる印。
ついでにご先祖様や天の神様も見守ってくださるという運命。
生まれ持った左手側は「自力で運命を切り拓く」形になっている分、どうして右は違うのか、ずうっと気になっていた。
生まれてこの方、コミュ力を磨いて、周囲の人に助けてもらいながらここまで生きて来れたんだ。
「立てるかい?」
若様の声音はいつになく優しい。
「すまなかった。俺とマライアのゴタゴタに君を巻き込んだ。隣国に行きたいなんて噓だろう?」
「ムリヤリ……書かされた」
「うん、ならいい。俺が馬車を御すから、ゆっくり帰ろう」
「だ、誰か、御者さん、を雇えませんか? 隣に、居て、ほしい……」
「馬車に、一緒に?」
あたしはまた頷いた。
今日だけは、今だけは、若様を独り占めしたかった。
「恵茉の、初めてのわがままだな。わかった、善処しよう」
若様はあたしを乗せて、とりあえず馬車を走らせた。
しばらくして止まったかと思ったら、厩のような駅のようなところだった。
あたしは洗面所で身づくろいを整える時間が持てて、鏡の前で、こんなひどい顔を若様に見せてしまったのかと赤くもなったが、髪も梳くことができて人心地がついた。
先に馬車に戻っていると、扉が開いて若様が乗り込んできた。
「昨夜はたった一人で、知らない道を知らない男たちに御されて、恐かったんだな」
「はい、扉が開かなくて」
「ああ、外からぐるぐるに紐をかけて固定してあった。もう心配ない。安心して外の景色でも楽しんだらいい」
「ええ。エクストルは美しい国です」
「なんか、元気ないな。本当に危害は加えられてないのだろう?」
「両手を繋がれただけ……」
「それなら俺だってしたじゃないか」
そう言われてやっとクスッと笑うことができた。
「笑えたな、よかった」
あたしの元気がないのは、誘拐されたせいじゃない。
胸がドキドキしてるから。片想いだから。
好きになってもどうしようもない相手を好きになって、今その人が隣にいるから。
『流れ者の寄生虫』はこれからどうしたらいいのか、どうしたいのか、よくわからない。
若様が誰かに恋をして結婚して、それを祝福しなくちゃならないなら、隣国に行ったほうがよかったのかもしれない。
ルーナスさんの留学も成果をあげているようだし、お隣も素敵な国かも。
それとも、シュデックスのお屋敷を出て、領内に独立させてもらったほうがいいかな。
一般の領民だったら、一晩家に帰って来なくても、領主の息子が行方を探して馬を速駆けさせることなんてないよね。
あ、でも、それなら、マライアさんに恨まれることもなかったかな。
じゃ、若様のせい、でいいのか。
「疲れてるなら眠ったらいい。腹が空いているならどこかで停めて食事をしよう。どうしたいか、言ってくれた方が助かる」
若様にはこの沈黙が重いのかな。
一緒に居られるだけでいいって思ってしまうのは自分だけ。
そう思ったらまた涙が出てきた。
「泣くのか。相当、情緒不安定なんだな」
若様は自分の髪を掻きむしる。
「言ってくれ、俺にどうしてほしい? 泣き顔は見ないほうがいいのか、見ていいのか。肩に手を回していいのか、距離を保ってほしいのか……」
頼んだら、抱きしめてくれるの?
この国に来て、誰にもハグされてない、奥様にもシェリル様にも。
誰かに抱き着いて心に溜まった恐れや不安を全部涙にして出してしまう、なんてことができたら、楽だろうに。
あたしは独り。助けに来てもらえても、どれだけ優しくしてもらっても、所詮は独り。




