馬車が着いた先は
手荒い運転の馬車に揺られて、あたしは後悔の念で一杯になった。
マライアさんが出て行った瞬間に、隣のカフェのマスターに一言でも相談すべきだった。
彼は念波が使えるのだから、ティエリ様にでも王宮にでも「何かあるかもしれない」と一報してくれただろうに。
『流れ者の寄生虫』って言葉にやられてたんだ。
あたしなんて大事じゃない、いなくなっても誰も心配しない。あまりにも自分がちっぽけで、自衛する気も起こらないくらい消沈していた。
心配をかけてはいけない相手がちゃんといるというのに。
この短い期間のこの国での生活でも、あたしを気にかけてくれる人はいるんだ。
ティエリ様は領主として心配してくれる。今朝の話も冬は犯罪が起こりやすいから気をつけてって言ってくれた。
奥様だって、何くれとなく優しくしてくださって。
侯爵家で働く皆も気にかけてくれる。
アッシュ公爵たちだってきっと。
若様、トリスタン様は……、「自分のせいだ」って気に病むだろう。
申し訳ない。
強いて言えば、「助けて」って泣くよりも、「心配かけて申し訳ない」って思ってしまう所が、あたしがこの国の一員になり切っていないところだろう。
気にはかけてもらえるけれど、守ってもらえると思えない。助けてもらえる自信がない。あたしに何の権利があるのかわからない。
涙は出なかった。泣いても仕方ないってわかっているからだろうか。
それより、この馬車の手荒な運転をどうにかしてほしい。
ーーーー馬車の天井で頭ぶつけそうになるようじゃ、眠れやしないよっ!
この国に来て幸せ過ぎたんだよね。殺されもせず辱めも受けず、貴族同等扱いしてもらって。この四か月が異世界の夢だったんだろうな。
晩秋の朝、ジオラマに立っていたトリスタン様を思い出した。
「領主の息子として」、あたしを守るって言ってくれたんだったな。
でも何が起こってるのか知らなかったら守りようがないよね。
幸せになってほしい。マライア様みたいな人じゃなくて、心優しい素敵な人と結婚して。
あの時、あたしがジオラマの王宮模型に見入って進行方向に居たのだから、南、シュデックスに当たる辺りに立ってたんだね。
彼が手入れしていた盆栽はシュデックス邸の北に立ってるどんぐりの木だったのかも。
ついでに皆で歩いたジオラマ全体を思い返す。
王都のある王領の南がシュデックス、そのまた南がアンテックス。30キロ幅の王の直轄地があって、その先が海、のはず。
マライア嬢の言った通り海に流されるなら、南に南に馬車は進むはずなんだけど。
この馬車は、いつも通り、王都の南門を出てそのまま南に向かっていたんだ。その途中で御者さんが襲われ左折した。
ということは東に向かった。
シュデックス領の東はトウテクス。
その境になっているのは、アッシュ公爵が話題にした氾濫したトウ河だ。
ジオラマのトウ河は、枝分かれしたりため池をつくったりしながらうねって、海に見立てられた池に流れこんでいた。
この馬車は、最初にほとんど直角に左折してからは、道なりに、ゆったりと左右に方向を変えているように感じる。
トウ河沿いを走っているのかも。
確かに、あたしを拉致って、シュデックス家の紋章付き馬車のままで、シュデックス領やアッシュ公爵のウェセックス領なんて走れるわけがない。
目立ちすぎる。
検問や通行止めしてくれているかもしれないし。
嫌でも東回りにするだろう。
この馬車にGPSが付いてたりしないよね。
魔法で位置情報を伝えられるようになってる?
なってたら、マライア様が対策しないわけがないか。
ティエリ様の空から地上を見る力は「鳥瞰力」で、夜は鳥目で使えないって言ってたし。
若様が子どもの頃に「海水浴したい」って言ったらしいから、海自体は投げ込まれてすぐ死ぬようなところではないのだろう。
「硫酸の海」とかじゃなさそうだ。
それだけはラッキーかもしれない。
それにしても、どうすれば助かるのか、思いつかない。
馬車はどんどん、自分の知らない土地を進んでいく。
助けを求める相手を想定できない自分が一番悲しい。
「アッシュ公爵助けて!」とも「トリスタン様気が付いて!」とも、念じる権利がない気がする。
いや、開き直ろう。
暗闇の中を疾走する馬車の中で騒ぎ立てても無意味。
それより馬車が止まるまで、体力を温存したほうが良いはず。
あたしの両手の神秘十字も、何の直感も与えてくれない。
自分が助かろうと必死でないと、守りようがないんじゃないかな。
「危機に瀕してなぜか助かる」と言われても、既に諦め気分でいっぱいなのだから。
マライア様は若様からの慰謝料でデザイナーブランドを立ち上げたらいいのに。
この国のファッションがドレスばかりでなく、女騎士服とか水着とか増えたら楽しいよね。
アンテックス家、海外貿易してるそうじゃん。ジーンズとかダウンが欲しいんですけど。
ああ、ダウン恋しい。
肌寒いんだ、と思って向かいの席の羊毛クッションと毛布をかき集めて包まったら、深い睡魔に襲われた。
この上下する馬車の中で、座席の縁に掴まって、必死に座っていようとすること自体に無理がある。
少々服が汚れようが構わない。3人が座れるベンチのような、向き合った座席の間の床に座り込むことにした。
逃げる算段は、馬車が止まってから考えよう。
馬車ごと海に突っ込まれたらどうしようもないけれど、それならそれで、きっと楽に死ねる。
そしてあたしはそのまま寝そべって眠りこけてしまったらしい。
「おやおや、本当に眠っているとは相当図太い神経をお持ちだ」
粗野な風体の男2人が馬車の扉を開けた。
冬の優しい、朝の光が照らし出す。
あたしは引きずり出されて両手を縛られた。
抵抗してはみたけれど逃げ出せそうもないから、とりあえず言われるままに自分の足で歩くことにした。
潮の香りがする。王都よりもシュデックスよりも太陽が温かい気がした。
コンクリ詰めで東京湾か大阪湾に投げ込まれるようなイメージでいたから、タンカーが接岸するような大きな港を思い描いていたのに拍子抜けだった。
そこは、瀬戸内海の漁村のような、船外機をつけたボートが沿岸で漁をするみたいな小さな波止場。
背中を押され、漁業組合の倉庫のような建物に入る。
誘拐犯たちは下卑に見えても、アンテックス家ゆかりの者なのだろう、何気に紳士的で、手首の縄を解き、お手洗いに行かせてくれて、ジュースとパンをくれ、ポツンと置かれた机の前に座らされた。
机の上には筆記用具と紙が置いてある。
「占い師なら自分の運命がわかるんだろ? どんな死にざまになるのか」
と主犯格がにやにや笑う。
「それがね、あんまり死にそうにないの。生き意地が張っているっていうか、あたしの生命線、大きく三つに分かれていて、旅先やら知らない土地で成功するらしくて」
男2人は声を上げて笑った。
「小さなボートにエンジンかけて、海を走らせるんだぜ? 旅先に辿り着く前に溺れ死ぬさ」
「あら、海に投げ込むんじゃないのね?」
「殺人に手を染める気はねぇーな」と主犯格。
続いて手下が言った。
「アンタはアンタの意志で、この国を去るんだよ。その途中で舟が転覆しようが流されようが、俺らには関係ねぇ」
「そうなのね。どうやってあたしの意志だって証明するの?」
「書くんだよ、今から、手紙を」
「誰に?」
「自分で決めろよ、それくらい。『お世話になりました。次の国に行きます。探さないでください』てな感じだ」
「でも、御者さんは? あなたたちが襲ったのバレてるでしょ? もしかして殺したの?」
「バカ、だから殺人はしねぇって。少々怪我したから別の馬車で転地療養に行ってもらったさ」
マライア様の馬車が襲撃現場に居て、御者さんはそっちに乗せられたってことかな。
あたしも御者さんも馬車も帰ってきてないこと、シュデックス家は既に気付いているだろうけれど、捜索と言っても手掛かりはないか。
馬車の轍から襲われたとか東に行ったとかわかったりするもの?




