急に出てきたストレス線
ベッドの上で二度寝してしまったらしい、いつも身支度を手伝ってくれるメイドのべスに起こされた。
「あらまあ、恵茉さま、体調でも悪いのですか、それともパーティで羽目を外しすぎたんですか?」
ぼうっと起き上がるとベスはあたしの顔を見て笑い出した。
「お酒飲んだとか? 目が腫れてますよ」
髪の毛をしてもらう間に、ベスが差し出した濡れタオルで両眼を冷やす。
「アッシュ公爵はお見えかしら?」
シェリル様が昨日、飛んでくるって仰ってたはず。
「ええ、ティールームで皆さんとお話しされてます」
「あたしも顔出さなきゃ、ダメ?」
「ダメです。奥様に呼んでくるように言われましたから」
ふう。鏡の中の自分を見ながらため息を吐く。
そして、濡れタオルを鏡台に置いて自分の右手のひらを眺めたら、水分を吸ってふやけたのか、いつもよりしわしわになっていた。
親指の付け根、「金星丘」に横皺が4、5本見える。これはストレス線。
気持ちの疲れが身体と手相に出ている印。
特にこの位置に出るストレス線は「自分の弱点を知られたくなくて、手助けが必要なのに平気な振りをしている」時に出やすいとされている。
----たった数時間で手相って変わるのね。
トリスタン様と顔を合わせなきゃならない。それがストレス。
彼はきっと、あたしがなぜ泣いたのかわかってないし、もしかしたら黙って走り去ったのを無礼な女だと思ったくらいだろう。
若様にとってあたしは通りすがりの異国の娘、眼中にない。
自分の領内に住んでいるから責任があるだけ。
王都に引っ越すとか、隣の国で暮すと決めたらそこで終わる程度の繋がり。
だから大丈夫。あたしの気持ち、気付かれたりしない。
あたしの弱点は彼への恋心。
でも隠し通して平気な振りをしていくつもり。
新しくできたストレス線を眺めながら。
「顔色よくないですけど、体調は本当に大丈夫なんですよね?」
同年代のべスは優しくあたしの目を覗き込んでから、「できました」と言って送り出してくれた。
ティールームへ行かなきゃ。
朝食も昼食も食べ逃したあたしは、確かにお腹が空いている。
いつも通りを装って、お茶とスコーンでもいただいて、アッシュ公爵たちの話を聞いておけばいい。
若様が居ようがいまいが関係ない、と自分に言い聞かせながら、ティールームの重たい扉をノックして入室した。
「やあ」と気さくなアッシュ公爵。
「目覚めたのね」とカトリン奥様。
ティエリ様は右手をひらひらさせて挨拶に代えた。
トリスタン様は一瞬心配げな視線を寄越し、ついっと横を向く。
アッシュ公爵が面白おかしく語っていたらしく、あたしのせいで中断した場はまたすぐに盛り上がった。
「もう、ほんと、可愛かったんだよ、ルーナスのやつ。
『早く帰ってこい』って煩いくらい念波送ってきて。少しの間無視してたんだが、そしたら、『ジェシカと寝るぞ!』と来やがった」
シェリル様が眉を上げて夫のほうを見た。
「そう言われたら父親として娘を助けなきゃならないからな、王宮から即飛んだ」
「そして?」
カトリン奥様が合いの手を入れる。
「ジェシカの寝室に見境なく出現したら、ルーナスとジェシカはベッドの中で」
「もしかして、もうすでに?」
シェリル様も少しは不安なようだ。
アッシュ公爵は妻に大丈夫だと目線を向けてから話を続ける。
「ジェシカがルーナスに、がっつり四つにしがみついて寝てた。ルーナスが、『遅い!』って念波で叫んで、真っ赤な顔して涙目でプルプルしてて」
「あのクールなルーナスくんが?」とカトリン奥様。
「『ジェシカ外してくれ、いろいろヤバい……』って」
「あらまあ」
シェリル様は赤面した。
「オレが『いつもそんなふうに兄として添い寝してたじゃないか』とからかったら、『あの頃とは事情が違うだろっ! 2年前と比べたって、こんなぷにぷに柔らいものついてなかったぞ?!』だってよ」
ティエリ侯爵は爆笑して、奥様も肩を揺らしている。
「『もう離れない! 私も留学先に連れてって!!』とでも言って泣きついたんでしょうね。さすがジェシカだわ」
「ああ、ルーナスをもってしても、宥めるのは大変だったらしい。アイツも苦労するよな、ジェシカが結婚できる年齢になるのはまだ2年も先だ」
ジェシカ様の両親は、目に入れても痛くない自分たちの娘と息子として育てた男子の心中を思いやっている。
そこに不機嫌そうな声がした。
「笑いものにするなんて、アッシュ叔父も人が悪い」
若様だった。
「自分たちだって通ってきた道だろうに」
「そうだな、オレたちだって『白い結婚』なんてしたしな。男としてはトリスタンの言う通りではあるんだが、ルーナスを笑いものにしたかったんじゃないんだ。オレが言いたかったのは、久々に頼られて嬉しかった、ってことだ」
アッシュ公爵は満面の笑みで説明した。
「クールで取り付く島もない男に成長したと思ってたが、念波やら視線やらでオレに助けを求めるルーナスは、子どもの頃と全く変わってなくてな……」
ニマニマするアッシュ公爵に若様は追い打ちをかけた。
「同い年の男として言わせてもらうと、そういう親ぶった目線って一番鬱陶しいんですが?」
アッシュ公爵はそれを聞いて「だよな」とふっと笑ってから、
「トリスタン、ここで話題を変えたら次のターゲットはお前になるとわかっていての発言かい?」
とやり返した。
若様は肩を竦めて、「その話しに来たんでしょ、覚悟はできてますよ。どっちからですか、任官拒否? 婚約破棄?」
「いやあ、任官はしてしまってるよ、拝礼したんだから。マライア嬢のほう、どうする気なの?」
ティエリ侯爵は週末の予定を聞くようなこだわりのなさ。
「明日にでも正式にご挨拶に伺います」
マライア嬢のことになると、トリスタン様は敬語になるみたい。
「破談、受けてもらえそう?」
「受けていただきます。最悪の場合は慰謝料を払うか俺が結婚したらもらうことになってた領地の一部を割譲してでも」
「アンテックス家はカトリン義姉さんの親戚筋だよね。どうもあの娘はトリスタンの地位や肩書きが好きだったみたいだ。残念な話だよ」
アッシュ公爵も別にこの話にはこだわってないようだ。
「じゃ、叔父上も婚約破棄には賛同してくれるのですね?」
「ああ、そっちは異論はない」
トリスタン若様の顔に安堵の色が見えた。
国防軍参謀長への任命を辞退するほうが大問題よね。
「だがな、一年に一度のめでたいパーティ時の中央官職任命式で、叔父で王弟で司会で上司のオレに恥をかかせるとはどういう了見なんだ?」
「恥だろうが何だろうが、叔父上の抜擢が間違っていると思ったのだから仕方ないでしょ?」
「トリスタンってほんと、死んだ親父に輪をかけて頑固な真白魔法持ちだよね」
ティエリ様がぼやいた。
「ううん、父様に頑固さは似てるけど、最近ちょっと心の鏡がくもってるんじゃないか、心配よ? 『こうあるべき』って選ぶ答えを自分で信じ切れてないというか、悩んでるみたいで」
同じ魔法特性のシェリル様がトリスタン様を思いやる。
「そうだよな。オレはトリスタンには既に参謀長のスキル充分に備わっていると思っていて、本人はそう感じていない。いつも正しい道が見える筈の真白魔法らしくない」
トリスタン様はティールームで皆につるし上げを喰らうのかと顔を強張らせた。
「じゃあ、オレがトリスタンを推薦した根拠である、トリスタンの持つスキルを証明できればいいんだろう? ジオラマ見に行こうぜ」
「今からですか?」
若様は乗り気じゃない。
「気持ちのいい午後じゃないか。そんなに寒くないだろう? 女性陣も皆で一緒に庭を歩こう」
アッシュ公爵の言葉に声をあげてしまったのはあたしだった。
「庭! ジオラマ! ジオラマって博物館とかに展示してある模型のことだと思ってました」
今朝あたしが泣いたあの庭が、ここエクストル国のジオラマになっているんだ。もしかしたら国全体そっくりそのままを縮小して再現してある。
「あんなものを造れるのはこのトリスタンしかいないんだよ」とアッシュ公爵。
あたしは今朝を思い出して散歩は辞退させてと願い出たのだけれど、「来ないと後悔するよ」となぜかティエリ侯爵に促されてしまい、同道した。




