自分の心配なんてしたくない
いろいろあり過ぎた夜、考えることはたくさんあるはずなのに、あたしは慣れたベッドでぐっすりと眠ってしまった。
翌朝、「占い館休みにしといてよかったぁ」とベッドの上で伸びをして、洗顔 を終えると庭でも散歩しようと思い立った。
久しぶりに、あたしの服、ジーンズとパーカーを引っぱり出して着こむ。
髪の毛を梳かしただけで結びもせずに裏庭に飛び出した。
ジョギングだってラジオ体操だってしたくなっちゃうような解放感。
この国のレディースファッションはドレスばかり。コルセットはしないから苦しくはないけど、エクササイズには向かないもの。
シュデックス邸のお庭は有名なんだそうだ。
ティエリ侯爵のお母さまは、植物の声が聞こえたらしい。その娘のシェリル様も似たような特技があって、花を育てるのが大好きだって。
白い花ばかり集めたホワイトガーデンや、薬草園、薔薇園、切り花園などが屋敷の周りを彩っていて、今は紅葉の美しい森林園が見ごろ。
あたしは当初占い部屋を開いていた東の塔近くのキッチンガーデンの野菜を眺めた後、本宅の南側の、まだ行ったことのない方面に足を進めた。
ぽつぽつと植えられた樹々の間を抜け現れた生け垣に沿って歩いていくと、胸の高さの木戸が見つかり、一押しするとぎぃーと音をたてて開いた。
中は、ミニチュアガーデン。
まるで実際の風景を縮小して、山や丘や川を作ったかのよう。
樹々はちょうど盆栽のような大きさで、山地部分に植えられていたり、模型の町の街路樹になっていたり。
そして、さらに中へ進んでいくと、見慣れた建物のミニチュアがあった。
昨夜パーティが催された王宮。ギリシャ風の玄関は見間違えるはずがない。
そして思い思いの姿をした親指くらいの人型も配置されている。
え、もしかして、これ、この国の、エクストルの立体模型になっていたりする?
「すごい、すごい」と俯いて眺めながら歩いていると、少し離れたところから声をかけられた。
「おはよう」
「あ、え、若様? ごめんなさい、勝手に入ってきてしまって……」
ラフな、庭師のような服を着たトリスタン様だった。
「別に、ここは誰が入っても構わない。砦などの軍の施設は見せていないから」
ふっと笑ってしまった。
安全保障の問題が心配だったんじゃない。若様が一人になりたくてここにいるのなら邪魔だろうと思って。
「それから……、昨日はありがとう。無様なところを見せてしまったな」
若様は、相当落ち込んでいるんだろう。
あたしに「おはよう」とか「ありがとう」とか言っちゃって、秋の朝の光を浴びて緑の中に立っている。
「気持ちのいい朝ですね。この国の冬は寒いのですか? 雪が降ったりしますか?」
「そうか……、君には初めての冬か。この国も生活も、全て初めてなのに、君はしっかりしているな」
「皆さんが優しくしてくださるからです」
若様は淋しそうに微笑んだ。
「その格好、やはり国に帰りたいのだろう?」
「いえ、帰り方がわからないのです。なぜこの国に来たのかも思い出せませんし」
「俺たちに、できることがあったら何でも言ってくれ」
日本に帰るために?
それともこの国での生活を続けるため?
「今のところ、不便はないか?」
「はい、大丈夫です、ありがとうございます」
若様は手持ち無沙汰なのか、剪定ばさみを取り出して、盆栽もどきの刈り込みを始めた。
「あ、あの、ここは若様が作ったお庭ですか?」
ここでなら、会話が続くかも。あたしの質問にも答えてくれる気がした。
「そうだね。地形の詳細は父上の助言を得ている」
「ティエリ様の?」
「ああ、父上は、身体は地上にいながら、空から地上がどう見えるかわかるんだ」
「うそ」
「うそじゃない。うそを言う理由がない」
若様は自嘲気味に肩を竦めた。
「だからあんなのんびり屋なのに『参謀長』が務まったんだ。20年ちょっと前の戦争では、アッシュ叔父と念波で交信しながら軍を最適展開した、と武勇伝になっている」
「ティエリ様も若様もすごいです」
「俺は何もすごくない」
「こんな素敵なお庭が作れるのだから、若様もすごいんです!」
「君に褒められても仕方ないが、ありがとう、嬉しいよ」
若様の声音がなぜか、あたしを赤面させ下を向いた。
「あ、あの、トリスタン様、参謀長、辞退してしまわれるのですか?」
「うん? 君まで俺を責めるのか?」
「いえ、そんなんじゃなくて、昨日、アッシュ公爵が、トリスタン様のスキルは『12年前からもう充分備わってる』って呟いておられたので……」
「ああ、そんなことを言っていたな。お世辞のようなものだろう?」
「違うと思います! お世辞を言う理由がありません!!」
若様はふっと笑った。
「君は、俺の心配をしてくれているのか? 自分は突然知らない国に来て、故郷に帰れるかどうかもわからないのに? 自分の心配をしたほうがいいんじゃないか?」
あたしは図星をさされたせいか、急に怒り声になった。
「自分の心配なんて! 自分の心配なんてしたら、恐くて恐くてたまらないじゃないですか!! 何も分からないこの世界で、目の前のことに没頭して何とか日々を過ごしているのに。先のことなんて考えたら気が狂う。故郷を想ったら悲しくなる!!」
一気に声を吐き出して、自分の頬が濡れているのを感じた。
どんな不細工な顔になっているか思い巡らすこともできずに、口元を押さえて若様の目を見上げていた。吸い込まれそうなブルーの瞳を。
「……すまない。泣かせるつもりはなかったんだ。君の言う通りだ。君の悩みに比べたら、俺の考え事なんてちっぽけなもんだ……」
あたしはどうにかしてしゃくりあげを止めようと俯いて両手で両肘を抑え込むのが精一杯。
「安心してほしい。君の生活は俺が保証するから」
若様の言葉の真意を測りかねて、おそるおそる再度目を合わせた。
「シュデックス領を継ぐ者として」
「!」
あたしはくるりと踵を返し、自室まで走った。涙が溢れて止まらなかったから。
なぜ泣いているのかもわからない。敷地内をどう走って戻ったのかも思い出せない。
ベッドに身を投げてひとしきり泣いた。
そして気が付いた。
「君は俺が守る」、そう聞こえたんだ。そういう意味だと思いたかった。
領主の責務としてじゃなく、個人的に。
あたし、若様を、好きになっちゃったんだ……。




