婚約破棄
「何ですって?! もう一回言ってくださいますーー?!!」
と、大広間の窓を震わせた女性の金切り声。
それに即座に反応したのはカトリン奥様だった。
「もしかして、マライアちゃん?」
奥様が足早にバルコニーへ向かい、あたしも釣られてついていった。
次に聞こえてきたのは、トリスタン若様の低い声。
「君とは結婚しない」
「は、破棄ですか? 婚約、破棄?」
「そうなるな」
今や、パーティに残っていた客のほとんど全員がバルコニー側の窓に貼りついて聞き耳を立てている。
「2年もお付き合いしたのに?」
「それはすまなかったと思っている」
「私もう、18歳ですのよ?」
「俺もだ。18は全然若い。俺みたいな不調法者でなく、君にふさわしい男ならいくらでもいる。結婚する気が無いなら早くマライア嬢から離れろと言ってきた男もいるくらいだ。心配ない」
「他の男なんてどうでもいいんです、私は、トリスタン様の妻になりたくて!」
「俺には君を幸せにできないこと、自明じゃないか」
「そんなこと、ありませんわ。私は妻になれるだけで、幸せです!」
「国防軍参謀長のかい?」
苦み走ったトリスタン様の皮肉な声。
そんな声、あたしは聞きたくなかった。
参謀長という破格人事に躊躇した若様、下品なガッツポーズを見せたマライア嬢。
ふたりが幸せになれないのは自明、それは手相を見なくても、あたしにだってわかる。
だからと言ってこんな公けの場で、たくさんの人たちに聞かれているのに、婚約破棄話なんてするもんじゃない。
マライア嬢がどんな悪役令嬢だったとしても。
黙っておれず、あたしは唐突にバルコニーのガラス扉を開けた。
「はい、この話は今日はここまでです。若様は日を改めてマライア様を訪ね、詳しい話をしてください。マライア様は、できれば王都のあたしの占い館まできてくださいね。お代は無料で将来のことを占って差し上げます」
渦中の二人が口を挟めないように捲し立て、トリスタン様の白燕尾の腕を掴んでマライア様から引き離した。
「う、占い師?!」
「はい、そう、その占い師です。このバルコニーは方角的にとってもダメです。ここでは何を話しても真意が伝わりません。今日はお開きですっ!」
「そ、そうなのか? 君は手相占いじゃないのか?」
「これは風水と言って、建物の方角や吉凶の占いです。手相しかできないと侮らないでください」
マライア嬢はあたしのあまりの勢いに目を白黒させて、何がなんだかわからないでいる。
それがこの割り込みの目的。
風水なんて口から出まかせでひとっ欠片も勉強したことないし。
「さあ、トリスタン様、月が傾いてきました。あなたより白いものはこの夜になくなってしまいます。となると皆が眩しくてたまりません。ご自宅に帰る時間です!」
「そうですね、トリスタン。あなたは私よりも真っ白いのですから、行動には気を付けなくては。マライア様はご家族に任せて、私たちと帰りましょう」
なんと、シェリル様が加勢してくださった。
「アッシュ叔父は?」
「主人は王宮に泊まるようです。一人で馬車に乗るのは心許ないので、私のエスコートをしてくれませんか? 真白魔法同士、自宅まで送ってくれると助かるのですが」
「は、はい、叔母上のご希望でしたら……」
「ではマライア様、突然お話のお邪魔をしてごめんなさいね。ごきげんよう」
あたしが始めた茶番劇をシェリル様が引き継いで、丸め込んでしまった。
やっぱりあのアッシュ公爵の奥様、そして元々シュデックス家の侯爵令嬢だった人だ。
爵位の力というよりも、生まれ持った品格で押し切った、というところ。
王宮の玄関先まで連れだって歩いて、なぜかあたしも、シェリル様の馬車に乗ることになった。
アッシュ公爵邸に行くのは構わないけれど、ルーナスさんとジェシカ様がイチャついていると思うとちょっと気が引ける。と思っていたら、シュデックス領に帰るのだそうだ。
「ジェシカのことはアッシュに任せたわ。バルコニーでのやり取りは兄から夫に伝わってる、私がシュデックスに向かうのも読めるはずよ」
「あの、シェリル様はアッシュ公爵に念波ができるわけじゃないんですよね?」
この公爵ご夫妻のわかり合い方がちょっと羨ましい。
「ええ、できないの。でもルーナスとかティエリ兄さんとか、できる人が近くにいるから大丈夫」
シェリル様はおしとやかなのに、芯が強い。手相をじっくり見せてもらったことはないけれど、何か凄いものを隠していそう。
アッシュ公爵家の紋章を付けた馬車の中に、あたしとシェリル様が進行方向に並んで座り、トリスタン様は向かい合わせにがっくりと首を落としたまま振動に身をゆだねていた。
王都の石畳のガタゴトが無くなると、辺りはもう真っ暗。
馬車の中も若様の顔が見えないくらいに暗いと思ったら、天井の隅に固定されたランプにぼうっと灯がともった。
電気じゃないから、アッシュ公爵が仕掛けている何かの魔法なのだろう。
あたしの占い用ペンライトが切れたら、公爵に似たようなものを作ってもらおう、なんて他愛のないことを考えていた。
若様を元気づける言葉など、あたしには見つけられないとわかっていたから。




