第十四章 アルバ
−−−−−−−−王都から東へ二日。
街道を外れ、山道を登ること半日。
リリアナの案内で辿り着いたのは、深い木々に飲み込まれるように佇む、古い神殿の廃墟だった。
石造りの柱が苔に覆われ、かつての彫刻は風雨で輪郭を失っている。どの国の神殿かも分からない。地図にも載っていない。
「……ここに、いるのか」
駿介が廃墟を見回した。
「目撃情報は全てこの周辺ですわ。複数の商人が、夜明け前に白い影を見たと——」
リリアナが言いかけた時。
シルフィーが、止まった。
「……いる」
静かに、確信を持って言った。
全員が息を止めた。
シルフィーがゆっくりと前に出た。
廃墟の奥、崩れた祭壇の影。
白があった。
木漏れ日を受けて、内側から発光するような純白の馬体。他のどんな色とも混じらない、完璧な白。
アルバは、こちらを見ていた。
逃げなかった。
ただ、大きな目に警戒の色を浮かべ、身を縮めるようにして、じっとこちらを見ていた。
「……っ」
ローズが小声で言った。「綺麗ね」
誰も動けなかった。
一歩でも踏み出せば、消えてしまいそうだった。
その時、シルフィーが一人、ゆっくりと歩み出した。
「シルフィー」アイリスが小声で呼んだ。
シルフィーは振り返らなかった。
ただ、静かに、一歩ずつ近づいていく。
アルバの耳が、ぴんと立った。前肢が、一歩後ろに引かれる。
逃げる——誰もがそう思った瞬間。
アルバが、止まった。
シルフィーを、見ていた。
シルフィーが三歩手前で立ち止まり、しゃがんだ。目線をアルバに合わせる。
何も言わなかった。
ただ、手を差し伸べた。
長い沈黙。
風が吹いて、木の葉が揺れた。
アルバが、一歩踏み出した。
もう一歩。
細い鼻先が、シルフィーの手に、そっと触れた。
シルフィーは動かなかった。ただ、触れたまま、静かに待った。
「……怖くない」
シルフィーが、小さく言った。
「ここには、鞭を持つ人間はいない」
アルバの体が、わずかに緩んだ。
人型になったのは、それから少し経ってからだった。
純白の髪が、風に揺れる。透き通るような白い肌。
その顔は——息を飲むほど美しかった。
だが、その目に宿っているのは、美しさではなかった。
長い年月をかけて積み重なった、孤独と悲しみ。
笑い方を忘れたような、静かな瞳。
アルバはシルフィーだけを見て、他の全員から距離を置いていた。
駿介が一歩踏み出すと、小さく身を竦めた。
「……近づかないで」
か細い声だった。怒りではなく、恐怖だった。
駿介は足を止めた。
「分かった。近づかない」
アルバが、駿介をじっと見た。値踏みするような目ではなく——また傷つけられるかどうかを、確かめるような目だった。
その時、ローズが腕を組んで前に出た。
「ちょっとあなた、名前は?」
「ローズ」駿介が止めようとした。
「いいじゃない、聞くくらい」
アルバがローズを見た。一瞬、その目が揺れた。
「……アルバ」
「アルバ。……いい名前ね」
ローズが鼻を鳴らした。
「私はブラックローズ。あなたとは真逆の色ね」
アルバが、ローズの黒髪を見た。それから自分の白い手を見た。
「……真逆」
「そう。でも——」ローズが、珍しく柔らかい声で言った。「どっちも、走るための色よ」
アルバの目が、かすかに動いた。
驚きに近い何かが、その瞳をよぎった。
その時、リリアナが前に出た。
「アルバちゃん! 私はリリアナ・マルク、マルク商会のオーナーですわ! 貴女のような希少な——」
「リリアナ」
「は、はい」
「顔」
リリアナが口を閉じた。
アルバがリリアナを見て、また少し身を縮めた。
「……この人、怖い」
「あー……悪い人じゃないんだ」駿介が頭を掻いた。「ちょっとうるさいだけで」
「うるさいだけって失礼ですわ!」
アルバが、リリアナの剣幕に驚いて、シルフィーの後ろに隠れた。
シルフィーが、リリアナを静かに見た。
「……黙って」
「は、はい……」
シルフィーがアルバを振り返り、少しだけ表情を緩めた。
「大丈夫。この人は口だけだから」
アルバが、シルフィーを見上げた。
「……口だけ?」
「うるさいけど、悪くない」
アルバが、リリアナをもう一度見た。リリアナが精一杯の笑顔を作っている。
アルバの口元が——ほんの少しだけ、動いた。
笑いかけて、慌てて元に戻した。
それを見ていたローズが、小声で駿介に言った。
「……笑えるじゃない」
「ああ」
「忘れてただけね」
駿介は何も言わなかった。
ただ、廃墟の木漏れ日の中で、純白の少女が、少しだけ肩の力を抜いたのを見ていた。
帰り道。
アルバはシルフィーの隣だけを歩いた。他の誰かが近づくと、シルフィーの後ろに隠れる。
リリアナが馬車の中で帳面を広げ、小声で計算していた。
「白の一族の希少価値……アストラルダービーに白・銀・黒薔薇が揃ったら……興行収益が——」
「リリアナさん」
「……分かりましたわ。まず仲間ですわね」
馬車の隅で、アルバがシルフィーの袖をそっと掴んでいた。
シルフィーは何も言わず、ただそのまま座っていた。
アイリスがその様子を見て、静かに微笑んだ。
駿介は御者台から夕暮れの空を見上げた。
白と銀と黒。
三つの色が、同じ馬車に揺られていた。
明日は高松宮記念ですね、競馬ファンの方はどの馬からいくのでしょうか?
私は今回は難しいのでパスでしょうか(笑)




