第39話 嫉妬
最近、桜子は何かにつけて元気がなかった。いつも優しげな笑みを浮かべていた顔に、いまは暗い影が落ちている。心配した両親が理由を尋ねてみても、口を閉ざしたまま何も話そうとしない。
もはや自分の手には負えない。そう判断した健斗は、保管していた嫌がらせの手紙を桜子の両親へ渡した。
驚いた両親はそれを慎重に読み進める。するとその内容が次第にエスカレートしていることがわかり、最近のものに至ってはもはや脅迫めいたものになっていた。
すぐに学校に調査を約束させたものの、その後の連絡もないまま時間だけが過ぎていく。 あらためて両親が学校に報告を求めようとしたその矢先、予期せぬ出来事が起こった。
西村綾香はイラついていた。
話題の美少女が入学してきたという噂は聞いていたが、当初はそれほど関心を持っていなかった。
しかしある日の午後、学校の廊下でその人物とすれ違った瞬間、綾香は驚いて振り返ってしまう。
雪のように白い肌に、輝く白金色の髪。澄み渡った青い瞳と筋の通った鼻、紅を引いたようなぽってりとした唇。首から下も完璧で、顔が小さく頭身の高いスラリとした肢体に、スカートから覗く長く白い脚。思わず二度見するほどの美しさだった。
意図せず見惚れた自分に、綾香は気づいてしまった。
この学校で自分が一番の美少女であると自負する綾香にとって、他人に見惚れるなど許されない。しかもぽっと出の一年生によって自分の地位が脅かされるかもしれないなんて、彼女のプライドが許さなかった。
翌日、廊下でその少女に話しかけてみた。すると彼女は、初対面の綾香に終始にこやかに対応し、自身の美貌を鼻にかけるようなこともしない。それどころか、その恵まれた容姿を正確に理解していないようだった。
二言三言交わしただけで、綾香はその魅力に惹き込まれそうになってしまった。
それが、綾香には許せなかった。
西村綾香は入学以来三年間、ずっと生徒たちの注目を集めてきた、自他ともに認める美少女である。加えて、多くの男子生徒から告白も受けてきた。
この学校で美少女と言えば自分のことだというのに、あの少女が入学してからすべてが変わった。それまで自分を褒め称えていた男どもが、あの少女に夢中になっていったのだ。
悪いのはあいつだ。あいつさえ来なければ、こんなことにはならなかった。
そう思い込んだ日から、綾香は友人たちに命じて剃刀入りの手紙を桜子の下駄箱に忍ばせるようになった。そして、手紙のメッセージも少しずつ追い詰めるようなものに変えていく。
ゆっくりと怖がらせてやる。そして苦しめばいい。あの天使のような笑顔を奪ってやるのだ。
届いた手紙は開封せずに渡すよう、健斗は桜子へ伝えていた。同時に下駄箱の周りで張り込みをするようにもなったが、犯人は二人の行動を把握しているらしく、部活などで健斗がいない時間を狙って手紙を入れていた。
手紙の内容は桜子に伝えていない。いや、伝えられなかった。初めの頃は軽い悪口だけだったが、最近はとても彼女に見せられるようなものではなくなっていたからだ。
桜子の両親へ相談したことによって、この件は健斗の手を離れた。すぐに解決するだろうと、その時の彼は信じ切っていた。
◇
七月。ある日の昼休み。
綾香と四人の友人たちは、三階の隅にある女子トイレでたむろしていた。制服は夏服に変わり、全員が白いワイシャツ姿だ。
「あのさぁ、小林宛の手紙なんだけどぉ、男の子が全部持ち帰ってるみたいよぉ」
くるくる巻き毛ののんびりした口調の少女が言う。横に立つ、背が高いボーイッシュな少女が答えた。
「なにそれ。じゃあ小林、あの手紙読んでないんじゃねぇの?」
「たぶんねぇ。それにあの男の子ってぇ、もしかして彼氏かもねぇ」
「なに、あいつ彼氏持ちなの? けっ!」
「ねぇ綾香ぁ、手紙作戦はもうだめかもねぇ。どうするぅ?」
巻き毛の少女がトイレの一番奥を見る。そこには黙って話を聞いている綾香がいた。
その顔を四人が見つめる。すると綾香は、何か面白いことを思いついたように笑顔を浮かべた。
「もう、まどろっこしいことはやめるわよ。それより、とっておきのネタを見つけたの。かなり面白いことになりそうよ」
片側の口角を釣り上げた綾香が持つスマホには、とあるニュースサイトの過去記事が映っていた。
放課後。
廊下を歩いていた桜子は、突然背後から声をかけられた。振り返ると一人の少女が立っていた。名札の色から三年生だとわかったが、顔を見ても覚えはない。
不思議に思いながら近づいていくと、廊下の角から複数の女子が歩み出てきた。
全部で五人。全員が三年生のようだ。
尋常ではない気配を察し、桜子が後ずさろうとする。するとその背後に、背の高い少女が回り込んだ。
「おっと、逃がさねぇよ」
次いで、正面に立つ、髪が少し茶色がかった少女が口を開いた。
「お久しぶりね、小林桜子さん。相変わらず綺麗な顔をして、羨ましい限りだわ」
見覚えがあった。一ヶ月ほど前、廊下でにこやかに話しかけてきた少女だ。しかし今、その顔には見たことのない邪悪な笑みが浮かんでいた。
「な、なんでしょうか……あたしに何か御用ですか……?」
どう好意的に捉えても、友好的とは思えない。笑顔に取り繕われているけれど、明らかにその顔には悪意が滲んでいた。
桜子が恐怖に身を震わせる。すると少女が告げた。
「ここじゃ目立つから、こっちに来てもらおうかしら。付いて来て。ただし声は出さないでね。——もし出したら……わかるわね?」
柔らかい口調が、かえって有無を言わさない迫力を醸し出している。
桜子は、なけなしの勇気を絞り出して抵抗を試みたが、とても抗えるものではなかった。




