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第38話 発作とラブレター

 ある日の放課後。

 部活を終えて下駄箱で靴を履き替えていた健斗の瞳に桜子が映る。どうやら彼女は健斗の存在に気付いていないらしく、手に封筒のような物を持って立ち尽くしていた。


 入学当初、部活に入るまでの二人は毎日一緒に帰宅していたが、ともに部活動に打ち込むようになってからは久しくそれもなかった。

 生徒の最終下刻時間は校則により定められているので、たまに帰りが最後になった日には、下駄箱の前で二人が偶然出会うこともある。


 今日はたまたまそんな日だったのだろう。特に深く考えることなく健斗が声をかけた。


「お疲れ。どうした、桜子。何かあったのか?」


 少し距離は離れていたが、それでも一目でわかるほどに桜子の肩がびくりと跳ねた。


「ひゃっ! け、健斗……今帰り? お疲れさま……」


 振り返り、健斗を認めた桜子の顔に安堵の表情が浮かぶ。次いで、手に持った何かを躊躇(ためら)いがちに差し出してきた。


「また入ってたの、これ」


 断言はできないが、恐らくそれはラブレターだろう。彼女はそれを下駄箱の中で見つけたらしい。

 入学してからというもの、桜子は数多くのラブレターを受け取ってきた。中には面と向かって渡してくる猛者もいたが、大抵は今のように下駄箱の中に入っていることがほとんどだった。




 一番最初のラブレターは、入学3日目に受け取った。

 中には、


「あなたが好きです。この思いを伝えたいので、○月○○日の○○時に校舎裏の花壇の前で待っています」


 とだけ書かれていた。


 本人が行くとも行かないとも言っていないのに、一方的に待っていると言われても困ってしまう。どうすればいいのかわからなかった桜子は、とりあえず友里に相談してみることにした。


「そういうときは無視。スルーするに限るよ」


 涼しい顔で友里は言う。もとより断るつもりでいたが、桜子は約束の時間に現れない自分をずっと待ち続ける相手を不憫に思い、とりあえず指定の場所へ行ってみようと決めた。

 もちろんそれには護衛も兼ねて、友里が付いて来てくれることになった。


 指定された時間と場所に桜子が到着するのを友里が校舎の陰から見守る。するとそこには、ひょろりと背の高い男子生徒が一人で待っていた。その彼が安堵の表情を見せつつ口を開いた。


「小林さん、来てくれてありがとう。僕は1年5組の松井といいます。松井航太です」

 

「は、初めまして、小林桜子です。あ、あの……お手紙をもらいました」


 桜子は緊張のあまり小動物のように震えていた。声も口も身体も、そのすべてが小刻みに震え、止めどなく溢れる手汗をスカートで拭いながら相手の言葉を待つ。

 すると松井と名乗る少年が、自身も緊張を隠せない様子で告げた。


「あの……て、手紙に書いた通りです。――好きです! あなたのことが好きなんです! どうかお願いです、ぼ、僕と付き合ってください!」


「いえっ、あの……そ、そんな急に言われても……」


 手を差し出し、勢い余って前のめりになる松井。その姿に桜子は掌を前にかざし、制止するような素振りを見せた。

 しかし松井はその様子を気にせず一歩前へと進み出る。その結果、予想以上に二人の距離が縮まって、意図せず桜子が相手を見上げる形になってしまう。

 彼女の頭上には、松井の大きな影が降りていた。


 「この通りです! どうか、付き合ってください! お願いです!」


 必死さの滲む懸命な声が、頭上から降り注ぐ。それを聞いた次の瞬間、桜子の瞳は大きく見開かれ、再び全身が小刻みに震え始めた。よろよろと後退りながら、甲高い声を上げ始める。


「あぁぁぁ……」


 突然の豹変に驚いた松井が、思わず桜子の肩に触れようとする。すると友里が、大声で叫びながら飛び出してきた。


「だめっ! 桜子に触らないで! 下がって!」


「えっ!?」


 突如現れた友里に驚いたものの、松井はその言葉の意味を咄嗟に理解できなかった。その結果、不用意に桜子の肩に触れてしまった。


「いやぁぁぁぁぁぁぁ! 助けて! 助けて! 怖い怖いこわい……」

 

 周囲に桜子の絶叫が響き渡る。直後に自身の身体を抱きしめてしゃがみ込み、がたがたと震え始めた。

 背が高いとはいえ、目の前にいるのは同年代の少年である。そのうえ、しばらく発作が起きていなかったのですっかり油断していたが、それは以前から患っていた男性恐怖症の発作に違いなかった。


 相手は年端もいかない少年であるが、それでも知らない男と近距離で二人きりになったのだ。それも極度の緊張状態の中で。思えば、これで発作が起こらない方が不思議だった。

 思いもよらぬ桜子の様子に、松井は驚いて全身を硬直させるばかりである。その彼を尻目に、友里はしゃがみ込んでいる桜子を立たせて抱きかかえ、保健室へと連れて行った。


 その出来事以降、桜子はラブレターを貰っても絶対に相手に会いに行こうとしなかった。相手に会うにしても、告白されるにしても、いずれにせよ知らない男と二人きりになる状況は避けられないのだから。


 桜子はラブレターをもらっても読まない。

 次第にそうした噂が広まり、結果としてラブレター自体も減っていった。




「これ、どうしよう……」


 今やラブレターは、桜子にとって恐怖の対象でしかない。それを知る健斗は、無言でラブレターを受け取り自身の鞄へ放り込む。

 いくら不要とはいえ、人から貰ったラブレターをその辺に捨てる訳にもいかず、かといって桜子に持って帰らせるのも忍びない。だから健斗は、自身の家に持って帰って処分しようと思った。

 

 桜子を家に送り届けた後、自宅へ戻った健斗がラブレターを処分しようと封を切る。すると指に突然鋭い痛みが走った。思わず手を放すと、落ちた封筒の中から金属質の音を響かせて何かが飛び出てくる。


 それは小さな剃刀だった。見れば指が切れて血が出ている。

 健斗が眉を顰めつつさらに封筒の中を確認していくと、中から一枚の便箋が現れた。

 それには、

 

「死ね ブス いい気になるな」


 と、まるで血を思わせるような真っ赤なマジックで殴り書きされていた。


 この出来事をきっかけにして、桜子の下駄箱には時々剃刀入りの封筒が届くようになり、いつも笑みを絶やさなかったその顔からは、少しずつ笑顔が消えていったのだった。

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