第31話 新しい生活
中学生編が始まりました。
ここからが本編とも言えますので、引き続きお楽しみください。
中学生になった。
入学式を控えた朝の小林家の前には、以前と変わらず健斗の姿があった。わずかに距離は遠くなったものの、二人の通学路は小学生の頃とほぼ変わらない。そのため、健斗が桜子を迎えに来るのはごく自然なことだった。
健斗が呼び鈴を鳴らすと、いつものように爽やかな笑顔とともに桜子が姿を現した。しかし今朝はいつもと勝手が違っていた。
健斗は桜子の制服姿に目を奪われて、一目見た瞬間から目を逸らせなくなる。それに気付いた桜子が、不思議そうに首を傾げた。
「おはよう、健斗。どうしたの?」
「え……あ……お、おはよう。な、なんでもない。行こうか」
「ふぅん、変なの。ところで健斗、制服姿カッコいいね! なんか、大人っぽいよ!」
「そ、そうか? そういうお前だって、すげぇ、かわい……に、似合ってるよ」
「ありがとう! 健斗もね、とっても似合ってるよ! ――それじゃあ、いってきまーす! よしっ、行くよ健斗、レッツゴー!」
今日も朝から快活な桜子は、言うなりスカートの裾を翻して歩き出す。その背を追いかける健斗は、自身の頬を両手で叩いて気合を入れた。
心機一転。今日から新しい生活が始まる。
だから、相変わらず天使のような幼馴染に、朝っぱらから見惚れている場合ではないのだ。
紺のブレザーと濃い緑と紺色のチェック柄のスカートに濃紺のハイソックス。そして白いワイシャツの胸元を飾る、白いストライプが入った緑色のリボン。その中学校の制服が桜子にはよく似合っていた。
片や男子生徒の制服は、紺のブレザーにねずみ色のズボンと、濃紺とシルバーのストライプのネクタイ。どこかフォーマルなその装いは、健斗を少しだけ大人びて見せた。
桜子は最近また背が伸びた。現在の身長は平均よりも3センチ高い157センチだが、細身で顔が小さく頭身が高いため、実際よりも背が高く見えるのは相変わらずだ。
髪も伸びた。昨年の秋に水泳をやめていたので、その白金色の髪は、今では肩甲骨の下まで届く。
一方、健斗の身長は桜子より2センチ低い。それはもう見慣れたもので、幼馴染であるこの二人が、桜子が姉で健斗が弟と周囲から揶揄されてきた原因でもある。
それは健斗にとってあまり面白いことではなかったが、実際に桜子の方がしっかりしていたので、彼も認めざるを得なかった。
桜子は事件後の困難を乗り越えて、以前のような影が見えないほどに明るくなった。その変化を見た両親は、娘を公立中学へ進学させたことを心から良かったと思う。
ともに事件を乗り越えた仲間たちが同じ中学にいる。それは桜子にとって大きな支えとなり、以前のような明るさを取り戻した娘を見る度に、両親はその決断に安堵した。
桜子の男性恐怖症は徐々に改善しつつある。今後も長い道のりが予想されるものの、最近では顔見知りの男性が相手であれば、少し距離を縮められるまでになっていた。
この小さな進展を背景に、桜子の中学生活はスタートしたのだった。
登校した桜子が指定された教室へ入っていく。この学校には1学年に5クラスあるが、残念ながら健斗とは別のクラスになってしまった。
桜子が教室に入ると同時に周囲の話し声が止み、次いで全員の視線が集まってくる。予想していたとはいえ、思わず桜子が狼狽えていると、そこへ素っ頓狂な叫びが聞こえてきた。
「あーっ! 桜子じゃん! もしかして、あんたもこのクラス!?」
今や聞き慣れた友人の叫び。
見ればそれは立花友里だった。その彼女へ桜子も叫び返した。
「えーっ! ゆりちゃん! マジで!?」
腐れ縁とでも言うべきか。またしても桜子は友里と同じクラスになった。小学生の時に何度か別のクラスになったことはあるけれど、友里とは幼稚園の年少生からかれこれ9年もの付き合いになる。
まさか初っ端から同じクラスになるとは思わなかった。周囲の目も憚らず、抱き合って喜ぶ桜子と友里。これから同級生になる他の生徒達は、そんな二人を遠巻きに見ていた。
入学式も無事終わり、本格的に中学校生活がスタートした。
最初の授業は自己紹介。その見た目から、桜子は外国語が話せると思われがちだが、実際には話せない。だからいつも彼女は思うのだ。誤解をするのは勝手だが、期待に添わないからとがっかりするとは何事かと。
桜子はこの機会にはっきりと言ってやろうと思っていた。自分は生まれも育ちも皆と同じ日本なのだから、外国語はまったく話せないのだと。そうすることで、後に不快な思いをせずに済む。
桜子はクラスメイトの自己紹介を聞きながら、鼻息も荒く順番を待った。
「はい、次。小林」
担任の声を合図に、桜子が勢い良く立ち上がる。
ガンっ!
気合いが空回りしすぎて、机に膝を思い切りぶつけた。
「はうっ! ……は、はいっ、こ、こばやし、さ、さくらこです! S小学校から来ました! こんな見た目をしてますが、み、みんなと同じ日本生まれの日本育ちでしゅ! だ、だから、外国語は話せましぇん!」
噛んだ。しかも二度も。
すっかり忘れていたが、実は桜子はあがり症だった。
さすがに中学生ともなれば、初対面の相手に根掘り葉掘り聞いてくる者はいなかった。しかしそれでも、当然のように彼女のことが気になる者は多いらしく、直接話しかけられずとも周囲からは幾つもの視線を感じた。
それでも桜子が敢えて素知らぬ振りをしていると、突然一人の女子が話しかけてくる。
「ねぇ、小林さんだっけ。私は東海林舞、よろしく。小林さんってすごい可愛いね、もしかしてモテるでしょ?」
東海林舞と名乗る少女は、160センチを超えるすらりとした長身と、腰まで届くストレートの黒髪がよく似合うどこか大人びた女の子だ。
気が強そうな猫のような吊り目が印象的で、その整った顔立ちは誰もが美人と認めるだろう。
「えっ? あ、あの……」
唐突過ぎる問いかけに桜子が返答に困っていると、舞の背後からもう一人の女子が近付いて来る。そして二人の間に割り込んだ。
「あっ、ずるいよマイマイ! わたしも小林さんと仲良くなりたい!」
東海林舞、通称マイマイは、仲の良いの友人からその愛称で呼ばれているらしい。二人の親しい関係を見ると、恐らくは同じ小学校出身なのだろう。
「初めまして。わたしは田村光。マイマイ……えぇと、舞ちゃんとは同じ小学校だったんだ。よろしくね、小林さん」
舞とは対照的に田村光はとても小柄な体格をしており、身長は140センチほどにしか見えない。肩までのフワフワした細い髪質の髪と、大きな愛嬌のある目が特徴的な、小動物のように可愛らしい少女である。
見た目によらず意外とグイグイ来るその彼女に向かって、桜子がどぎまぎしつつ挨拶を返した。
「は、はい。小林桜子です。よ、よろしくお願いしましゅ」
また噛んだ。
舞と光の登場により、桜子の周りには女子を中心とした人の輪ができ始めた。けれど男子生徒は近づくのを躊躇い、遠くからひそひそと話をするに留めた。
「なぁ、あの小林って、すげぇ可愛いよな。俺も仲良くなりてーな」
「確かに。でも、あの田村ってのも捨てがたいぞ。小さくて可愛い。リスみたいだ」
「なんだお前、ロリコンかよ。あの田村ってやつ、小学生みたいじゃん。その点俺は東海林だな。見ろよあの長い脚! あぁ、踏まれてみてぇなぁ……」
「……」
「……」
相変わらず桜子の容姿は周囲の目を引いていたし、周囲に集まる人間が絶えることはなかった。それでも粛々と日々は過ぎていく。
こうして桜子の中学校生活は順調に始まったのだった。




