第3話 終わり
呆然とする俺をよそに、井上医師は淡々と話を続けた。
さすが医者、がんの告知に慣れているのか、やけに冷静だ。
俺は視線が定まらない。
鉄砲玉として生きてきた俺だ。大抵のことには動じない自信があった。あったはずなのに——いざ「がん」と言われた途端、頭が真っ白になった。
情けねぇ……
思わず反吐が出そうだった。自分の意気地なさに。
「今すぐ精密検査が必要です。可能であればこのまま入院していただきたいのですが——あぁ、ご家族はいないとおっしゃっていましたね。では一度自宅へ戻って、入院の準備をお願いします」
やけに現実的な指示だった。でもまあ、そりゃそうだ。感傷に浸っていたって、病気は治らない。
入院して検査を受けた結果、やはり腎臓がんだった。
しかも末期。すでに肺へも転移している。腰痛の原因は腰じゃなくて腎臓だったらしい。って、そんなこともあるのか。
余命、三ヶ月。
……ちなみに、死んだ父親と同じ病気だ。あいつは半年もったが、俺は三ヶ月。まるでタイムトライアルみたいに父親に負けた。
バチが当たったと言われれば、まあそうかもしれない。でも不思議と——後悔はなかった。
母親には伝えるべきか、少し考えた。
……いや、いまさら会ったところで話すことなんて何もない。
治療はしない。
そう決めて、俺はそのまま退院して会社へ戻った。
俺みたいな人間は、一人で野垂れ死ぬのがお似合いだ。
◇
会社を辞めた。
社長に病気のことを告げると、「そうか」と一言だけ言った。
随分素っ気ないと思ったが——血の繋がった家族にすら親しみを感じられなかった俺が言える義理じゃない。
四つ年下の後輩が、ささやかな送別会を開いてくれた。
冴えない奴だったけど、入社した日から俺を慕ってくれて、俺もなんだかんだ面倒を見てやっていた。そいつが用意してくれたコンビニのケーキには、「おつかれさまでした」と書いてあった。
文字、曲がってたけどな。
忙しさにかまけて金を使う暇もなかったせいで、貯金はそれなりにあった。湯水のように使わなければ三ヶ月くらいは生活できるだろう。
寿命に合わせて使い切るのも難しいが——苦労して稼いだ金を、誰かに残すつもりもなかった。
◇
買い物の帰り道、桜の病院の前を通りかかると、早咲きの桜がもう咲いていた。
あと一週間でゴールデンウィーク。人生最後の花見か。悪くない締め括りじゃないか。
病院へ続く桜並木の先には、交通量の多い国道とのT字路がある。
その横断歩道を、若い母親と小さな女の子が手を繋いで渡っていた。
三歳くらいだろうか。可愛らしいコートを着た女の子が、満面の笑みで白線の上をぴょんぴょんと跳ねている。
周りの通行人も、信号待ちのドライバーも、俺も——気づけば全員、その子を見てにやけていた。
子供ってのは、なんで見ているだけで笑顔になるんだろうな。
そんなことをぼんやり考えていた、その時だった。
視界の端に、何か大きなものが映り込んだ。
大型のダンプカー。スピードが落ちていない。赤信号なのに、止まる気配が——ない。
(止まらない。あれは絶対に止まらない)
咄嗟に横断歩道を見ると、女の子の母親が足を竦めて立ち止まっていた。状況が飲み込めない女の子が、不思議そうに母親を見上げている。
(馬鹿野郎、なんで止まる! 子供抱えて走れ!)
気づいたら、俺は走り出していた。
女の子の襟首を掴んで、道の向こう側へ思い切り放り投げる。それから母親に全力でタックルをかまして、前方へ吹き飛ばした。
「……怪我させたかもな。あとで謝らないと」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに——全身に、凄まじい衝撃が走った。
気づくと、視線が地面と同じ高さにある。
どうやら俺は、地面に寝転んでいるらしい。
「きゃー!」
「お、おい! 大丈夫か!?」
周りから悲鳴と怒号が聞こえてくる。でも俺は、そんなことよりも別のことが気になっていた。
女の子は、受け止めてもらえただろうか。
母親は、怪我をしていないだろうか。
……まあ、どうせもう長くない人生だ。
こんな終わり方も、悪くないんじゃないか。
空が、やけに青かった。
そういえば——あの世って、あるのだろうか。
生まれ変わりって、本当にあるのだろうか。
もしも次があるなら。
今度は、もう少しだけ長く生きてみたいものだな。
意識が、遠くなっていく。
桜の花びらが一枚、ゆっくりと俺の視界を横切っていった。




