第3話 余命と終わり
呆然とする俺を心配しつつも、井上医師が淡々と話を続ける。がんの告知は慣れてるのか、やけに冷静だった。
井上は俺を真っすぐ見つめているが、対して俺の視線は落ち着かない。鉄砲玉として活躍して生きた俺である。大抵のことには驚かない自信はあったが、いざ「がん」と言われて動揺してしまった。そんな自分の意気地なさに思わず反吐が出そうになる。
「今すぐ精密検査が必要です。可能であればこのまま入院していただきたいのですが。――あぁ、ご家族はいないとおっしゃっていましたね。それでは一度自宅へ戻って、入院の準備をお願いします」
入院して検査を受けると、やはり「腎臓がん」だった。しかも末期で、すでに肺へも転移しているらしい。腰痛の原因は腰ではなく腎臓のせいだったのだ。
俺は父親と同じ病気だった。ヤツは半年で死んだが、俺はあと三ヶ月。
きっとバチが当たったのだろうが、それについてはまったく後悔していなかった。
母親には伝えておくべきだろうか。
――いや、いまさら会ったところで話すことなど何もない。
治療はしない。
だから俺はそのまま退院して会社へ戻った。
俺みたいな人間は一人で野垂れ死ぬのがお似合いだ。
会社を辞めた。
社長に病気を告げると、「そうか」としか言わなかった。随分と素っ気ないと思ったが、血の繋がった家族に対してさえ親しみを感じない俺に言えた義理ではないだろう。
四歳年下の後輩が、ささやかな送別会を開いてくれた。
なんとも冴えない奴だったが、入社した時から俺の事を慕ってくれて、俺も何かと面倒を見てやっていた。
忙しさにかまけて金を使う暇がなかったので、蓄えはそれなりにあった。湯水のような使い方をしなければ、三ヶ月くらいなら生活できるだろう。寿命が尽きるのに合わせて使い切るのも難しいが、苦労して稼いだ金を誰にも残すつもりはなかった。
買い物の帰りに桜の病院の前を通りかかると、すでに早咲きの桜が咲いていた。あと一週間でゴールデンウィーク。ここの桜も満開になることだし、人生最後の花見と洒落込もうか。
病院へと続く長い桜並木は、その先の国道にT字路を介して繋がっている。それなりに交通量の多いその横断歩道を、若い母親と小さな女の子が仲良く手を繋いで渡っていた。
可愛らしいコートを着た三歳位の女の子が、満面の笑みとともに白線の上を飛び跳ねる。
一緒に渡っている通行人も、信号待ちをしているドライバーも、そして俺も、彼女の姿を見て皆微笑んでいた。女の子を見守る母親の表情はとても優しく、子を想う母の愛情がその眼差しから滲み出ている。
そんなときだった。突然視界の端に、何か大きなものが入り込んでくる。それは大型のダンプだった。これは止まらない。絶対に赤信号へ突っ込む。
その先には……あの親子がいる。
状況が理解できない女の子が母親を見上げているが、足の竦んだ母親は横断歩道の途中で立ち止まっていた。
馬鹿野郎、なんで立ち止まる!
さっさと子供を抱えて走り出せ!
俺は考える間もなく走り出していた。そのまま女の子まで駆けていくと襟首を掴んで道の向こうへ放り投げる。それから母親にタックルをぶちかまして前方へと吹き飛ばした。
「たぶん、怪我をさせただろうなぁ。あとで謝らないと……」
目の前の光景がスローモーションに見る中、突如として全身に大きな衝撃を受ける。直後に視線が地面と同じ高さになった。
どうやら俺は地面に寝転んでいるらしい
「きゃー!」
「お、おい、大丈夫か!?」
周囲から悲鳴や叫びが聞こえてくる。しかし俺はそんなことにはかまわず、考え事をしていた。
誰か女の子を受け止めてくれただろうか。
母親は怪我をしていないだろうか。
あぁ……どうせもう長くない人生だ。こんな終わり方も悪くない。
あの世ってあるのだろうか。
人は生まれ変わるっていうけれど、本当なのだろうか。
もしも次があるのなら、もう少し長く生きてみたいものだな。