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第23話 目撃

 電信柱の陰からしばらく桜子を眺めていた箱根晃(はこねあきら)は、より良く見える位置へ身を乗り出すと、桜子へ向かって手を振った。それに気付いた桜子が、パッと顔に笑みを浮かべて駆け寄ってくる。

 ヒラヒラと揺れるワンピースの裾から、水泳で鍛え上げられた健康的な太ももがちらりと見えた。

 

「こんにちは、箱根さん。どうしたんですか? そんなところで」


「やぁ桜子ちゃん、こんにちは。こんなに暑いのにお手伝いだなんて、本当に偉いなぁ」


「えへへ。ありがとうございます。――それで箱根さん、今日もお酒を買いに?」


 にっこり笑って挨拶を返す桜子。麦わら帽子の下のたれ目がちな青い瞳が細められ、それを見つめる箱根は、自分の中に湧き上がる黒い衝動を抑えられなくなりそうになる。

 それでも彼は、努めて平静を装って言った。


「ごめんね。今日はお酒を買いに来たんじゃないんだ。ほら、前に桜子ちゃんが、ハムスターが好きだって言っていたでしょ?」


「はい。本当は飼いたいんですけど、おばあちゃんがアレルギーだから」


「そうだね。だから、僕が代わりにハムスターを飼ったんだよ」


 その言葉を聞いた桜子は、両手を握りしめながら箱根を見つめる。その瞳はうるうると輝いていた。


「えぇ! ハムちゃん飼ったんですか!? いいなぁ、羨ましいなぁ。――ゴールデンですか? ジャンガリアンですか?」

 

「ゴールデンのキンクマの男の子だよ。生まれてまだ3週間で、昨日調整が終わったばかりなんだ」


「おふっ! キンクマちゃんかぁ……いいなぁ……会いたいなぁ……」


 桜子は興奮のあまり、鼻から妙な音を漏らしながら空を見上げて祈るようなポーズをとった。それを見た箱根は思わず彼女を抱きしめたい衝動に駆られたが、理性を振り絞って何とかそれを抑えて言った。


「それでさ、桜子ちゃん。君にお願いがあるんだけど」


「なんですか? あたしにできることですか?」


「うん、簡単なことだよ。桜子ちゃんに、うちのハムスターの名付け親になって欲しいんだ」


「おふっ! ほんとですか!? あたしが名前を付けていいんですか?」


 興奮のあまり、再び桜子は鼻から妙な音を漏らしてしまう。

 そのあまりの可愛さに身悶えしそうになる箱根だが、忍耐力を総動員して必死に耐えて話を続けた。

 

「もちろんだよ。それで名前を付ける前に、一度うちのハムスターを見てもらいたいんだけど……」


「はい、いいですよ! お任せください!」


 桜子は鼻息も荒く、ドンと胸を叩いて即答した。

  

「それで、ハムちゃんはどこにいるんですか? 早く会いたいです!」


「落ち着いて、桜子ちゃん。まだ赤ちゃんで動かせないから、僕の家にいるんだけど……今から来られないかな? 本当にすぐそこなんだよ」


 言いながら箱根が、チラチラと桜子の反応を観察する。

 ここで承諾を得られなければ、この作戦は失敗に終わってしまう。まさにここは彼にとっての正念場だった。

 けれど何も知らない桜子は、相変わらずの天使のスマイルのまま答えた。

 

「箱根さんのお家って、すぐ近くだったんですね。知りませんでした。それじゃあ、出掛けるっておばあちゃんに伝えてきます」


「ちょ、ちょっと待ってよ、桜子ちゃん! すぐに済むから、わざわざ言いに行かなくてもいいと思うよ。そこの角を曲がったところだから」

 

 振り向いて走り出そうとした桜子を呼び止めた箱根は、一つ先の曲がり角を指し示した。よく見るとその指は微妙に震えていたのだが、すでに頭の中がハムスターでいっぱいになっていた桜子は、それにはまったく気付かなかった。


「えっ? あそこなんですか? それじゃあ、本当にすぐそこなんですね。――わかりました。可愛いハムちゃんのためなら、そのくらいお安い御用です。すぐ行きましょう!」

 

 疑う様子を見せないどころか、むしろ期待に瞳を輝かせて桜子が誘いに乗ってくる。それを見た箱根は、興奮のあまり漏れそうになる鼻息を必死に抑えた。


 箱根の後をついて歩く桜子が角を曲がると、そこには灰色の大きな車が停まっていた。それを横目に彼女が目的の家を探していると、突然スプレーのような物を顔にかけられる。

 驚いた桜子がよろよろと後退ったのも束の間、すぐに彼女の視界は暗転したのだった。



 ◆◆◆◆



 日差しが強すぎて熱中症の危険があったため、健斗のサッカー教室は途中で中止になった。自宅へ帰る途中、店の前で打ち水をしている桜子を見かけた健斗は、そのまま歩いて近付こうとしたのだが、直後に彼女は路上で誰かと話しを始めて、その人物の後を付いて行ってしまった。


 訳もなく不安に駆られた健斗が小走りに追いかけて行く。すると、ちょうど角を曲がる桜子の姿が見えた。さらに追いかけていくと、そこから勢いよく灰色の車が走り出してきたのだが、肝心の桜子の姿は見えなくなっていた。


 何も確信はなかったものの、健斗は反射的に車のナンバーを記憶した後、すぐに小林酒店へと駆け込んでいった。


「すいません! ペンと紙を貸してください!」


 店内には桜子の祖母である絹江がおり、突然現れた健斗に驚いた様子を見せる。それでも健斗は、忘れないうちにとメモを受け取り、車のナンバーを書き写しながら絹江に質問を投げかけた。


「さっきの人は誰ですか!? 桜子はどこに行ったんですか!?」


「おや。桜子なら店の前で水を撒いとると思うが……おらんかったかい?」


「桜子が男の人に付いて行くのが見えたんです! 追いかけたんですけど、そこの角で見失いました!」


「ええっ! 誰かに付いて行ったって!? そりゃ大変だ! ――楓子さん! 楓子さんはいるかい!?」 


 絹江が慌てて二階へ向かって叫ぶと、何事かと楓子が店舗に降りてくる。そして健斗から事情を聞くと、目に見えて慌て始めた。

 実際に手を出されたことはなかったものの、怪しい人物が桜子に近づこうとした例はこれまで何度もあった。そして、その度に警察に相談してきたのだ。


 これまでは未遂で終わってきた。しかし話を聞く限り、今回に限っては相当不味い事態かもしれない。


「た、大変だわ! すぐに警察へ通報しないと! で、でも手掛かりが……」  

 

 その言葉に、健斗はメモを突き付けながら大声で叫んだ。


「桜子を見失った所から、このナンバーの車が走り去って行くのを見ました! すぐに探してください!」


 奪うようにメモを受け取った楓子は、すぐさま警察へ連絡し、用件と車のナンバーを伝えるのだった。

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