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第21話 好きの意味

 小学5年の秋。

 桜子は水泳の全市大会で準優勝を勝ち取った。競技は50メートル個人で、優勝まで0.5秒差という接戦だったが、それは桜子の所属する水泳教室での歴代トップタイムだった。


 結果にコーチたちは興奮を隠せず、桜子にはまだ来年があると期待を寄せる。今後1年でタイムを縮めることができれば、来年は優勝も視野に入り、水泳教室から初の県大会出場者を送り出す可能性があった。


 練習を妨げないように桜子は髪を切った。新しいヘアスタイルは、両肩にぎりぎりかかる長さの、頭頂から肩にかけて緩やかに広がる短めのソバージュヘアだ。 


 髪を切った翌朝。朝に桜子が教室へ入って行くと、クラスのあちこちから悲鳴が上がった。


「さ、桜子ちゃん、どうしたの!? 何があったの!? もしかして失恋!?」


「ち、違うよ! 水泳の練習の邪魔になるから、少し切っただけだよ! 失恋なんかしてないし!」


「いやいやいや、少しなんてもんじゃないでしょ! バッサリでしょ、バッサリ!」


「えぇ! 水泳のために切ったの!? もったいない! あんなに長くて綺麗な髪だったのに!」


 友達の反応に戸惑った桜子が、顔に不安そうな表情を浮かべる。ただ髪を切っただけなのに、クラスのみんながなぜここまで騒ぐのか理解できなかった。くわえて、その反応も決して好意的ではない。思わず桜子が呟く。


「この髪型……似合ってないのかな? 美容師さんは似合うって言ってくれたけど……」


「そんなことないぞ。俺は似合うと思う! すげぇ、かわいいじゃん!」


 これまではすべて女子からの声だったが、突然そこへ男子の声が割り込んでくる。見ればそれは、クラスのお調子者である富樫翔(とがししょう)だった。

 クラス中の視線が一斉に集まる。その中心で翔は自身の口に手を当てて、「やっちまった」と仰け反っていた。


 彼は最近、桜子へ頻繁に話しかけるようになった。以前は小馬鹿にしたりからかったりすることもあったが、今ではそのような行動を取らなくなっていた。時に冗談を言ったりすることもあるが、その言動からはかつての悪意は感じられなかった。

 その彼へ男子生徒が言う。

 

「おい、翔。お前、桜子のことが好きなのか?」


「なんだ、告白かよ」


「すげぇ! よく言った!」


 外野からの声に小刻みに震え始めた翔は、顔を真っ赤にしたかと思うと、謎の叫び声を上げながら走り去っていってしまった。




 騒ぎが一段落したあと、桜子がトイレへ行こうと廊下に出たところで健斗と偶然出会った。桜子が一人で登校し始めてからすでに5ヶ月が経っており、その間も学校で健斗とまともに会話を交わすことはほとんどなかった。


 話しかければ聞いてくれるし最低限の返答はするが、健斗は会話が途切れた途端に逃げるようにどこかへ去ってしまう。そんなぎこちない関係が続いていた。

 そんな健斗が、普段は無表情に細められている瞳を大きく見開いて話しかけてくる。


「さ、桜子……お前……その髪はどうした? も、もしかして失恋……」


 話しかけられたことに驚きつつも、桜子は心の中で喜んだ。しかし、健斗が口にした言葉を慌てて否定した。

 

「ち、ちがうよ、だから失恋じゃないって! 水泳の練習で邪魔になるから切っただけだよ!」


「そ、そうか……びっくりした」


「でもね、クラスのみんなの反応があまり良くなくて……。この髪型、似合ってないかなぁ」


「いや、似合ってるよ。幼稚園の頃みたいで懐かしいし、可愛いと思うよ」


 その言葉を口にした途端、健斗は慌てて手で口を覆う。その細い目は驚きで大きく見開かれたままだった。

 そんな彼の姿を見て、桜子は目を細めて嬉しそうに笑った。

 

「ありがとう。あたしは健斗にそう言ってもらえるのが一番嬉しいな」


 桜子が無意識に健斗の手を取って、久しぶりに見せる満面の笑顔を向ける。すると健斗は顔を真っ赤にして後ずさりながら、もごもごと口を動かした。


「も、もう授業が始まるから、教室に戻らなきゃ」


「あっ! あたしもトイレに行くんだった。じゃあね健斗! うぅ、漏れるぅー」


 慌ててトイレに向かう桜子を見送りつつ、健斗はじっと自分の手を見つめていた。



 翔が桜子を可愛いと褒めた話は、放課後までには学年中に広まっていた。友人はもとより、知り合いでもない者にまでからかわれてしまった翔は、朝に登校してくるなり教室の自分の席で頭を抱えた。


「ちくしょう……どうしてこうなった……」


 そこへ周囲から声が掛けられる。


「おい、お前の好きな桜子が来たぞ!」


「桜子が来たぞ、ほら!」


 思わず反応した翔が、顔を上げて教室の出入り口に目を向ける。すると、ちょうど桜子が朝の挨拶をしながら入ってくるところだった。

 その姿を眺めながら翔が反論する。


「てめぇ……いつ俺が桜子を好きだなんて言った――」


 しかしそれを最後まで言わせず、男子の一人が翔の背中を叩きつつ叫んだ。


「おーい、小林! 翔がお前のこと好きだってー!」


「おっ、おまっ! や、やめっ――」


 顔を真っ赤にした翔が、慌てて友人の口を塞ごうとする。すると桜子が言った。


「うん、ありがとう! あたしも翔くんは好きだよ!」


 突然の告白に、翔と他の男子たちは思わず動きを止めてしまう。しかし、その様子を冷ややかな目で見ていた女子たちは、互いに耳打ちしながら小さく囁き合った。


「桜子の言う好きってさ、絶対に意味が違うよね」


「なんて罪作りな奴……無意識でしょ、あれ」


「翔が可哀そう……絶対に勘違いしてるよ……」


「桜子……天然すぎる……」


 どうやら、現状を正確に理解しているのは女子たちだけだったらしい。あまりの衝撃に男子たちが右往左往する姿を、彼女たちは冷めた目で眺めていた。



 翔が桜子に告白し、桜子も翔のことを好きだと言った噂は、その日の昼までには学年中に広まっていた。

 隣のクラスの友里と健斗の耳にも当然のようにその噂が届くと、健斗は落ち着かない様子を見せ始めた。おかしいと感じた友里がじっと観察していると、健斗はソワソワと立ち上がったり座ったりを繰り返し、友里に何かを話しかけようとしてはやめるといった、明らかに迷っている行動を取るようになる。


 とはいえ、友里には彼の心中が丸見えだった。噂の真相を桜子に直接聞きたいけれどできず、友里に調べてほしいけれど頼むことができない。

 そんな健斗の行動を、友里は顔に質の悪い笑みを浮かべながら、生温かい目で見守ることにしたのだった。


 もっとも、友里自身は真相を知っていた。なぜなら、休み時間に奈緒から事情を聞いていたからだ。友里は健斗に真相を教えてやろうかと一瞬考えたものの、桜子を泣かせた罰だとして、もう少し健斗を苦しませることにしたのだった。



 その日の夕方。下駄箱で靴を履き替えていた桜子を健斗が呼び止めた。桜子の顔にパァっと笑みが広がる。しかし、その笑顔とは対照的に健斗の表情は緊張で強張っていた。


「な、なぁ桜子。噂で聞いたんだけど……」


 健斗の必死な表情を目にした桜子は、不思議そうに首を傾げながら返事をした。

 

「なぁに?」


「あのさ、お前……す、好きなのか? 翔のこと……」


「翔くん? うん、好きだよ」


 一瞬の迷いもなく、即座に桜子が答える。その直後、健斗は顔に諦めに似た表情を浮かべて、それ以上言うのをやめようとした。しかし、桜子は変わらず不思議そうな顔のまま、健斗を見つめて言う。


「えっ? 健斗は翔くんのことが好きじゃないの? あたしは好きだよ。だって面白いし楽しいし」


「え……? 好き……なんだよな? 翔のこと」


「何言ってるの? 当たり前じゃない、同じクラスの友達なんだから。クラスのみんなだって翔くんのことは好きだよ」


「あはは……はは……そうだよな、友達だよな……。友達だから好きなんだよな……あははは……」


「なに? 今日の健斗、なんだか変だよ。どうしたの?」


「あっ、いや、ごめん。何でもない」


 強張っていた健斗の顔が困惑した笑顔に変わるとともに、その口から深い溜息が漏れた。その変化に首を傾げながら、桜子は話を続けた。


「どうしたの? 何か困ってることでもあるの? 私でよければ聞くよ」


「いや、もう大丈夫。解決したから。ありがとう」


「ふーん、変なの。――あ、そうだ。健斗もいま帰るところ?」


「うん、今日はもう帰る」


「それじゃあ、一緒に帰ろう!」


 そう言うと桜子は、おもむろに健斗の手を取って歩き始めた。手を引かれつつ、ふと健斗は思い出す。今までの焦りと緊張で完全に忘れていたことを。


 そう、桜子は天然だったのだ。

 それも「超」が付くほどの。


 その事実と今回の一件が、健斗の心情になにかしらの変化をもたらしたのかもしれない。翌日の朝から、健斗は再び桜子を迎えに来るようになった。

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