4 「つまんねえ」と言われたので言い返してしまいました
あの朝、木の剣を握って村へ駆けていった男の子は、大工のスヴェンさんの息子で、カッレさんという名前だった。
カッレさんは、その剣を村じゅうに見せて回ったらしい。ダンジョンが動いた、俺が最初に入った、と。その話が村の外へ渡って、グルドベリのギルドに届いた。ひと月後、ラーシュさんとティーラさんがやってきて、昔の建物を直し、出張所を開いた。
そのひと月のあいだ、わたしはウッラさんというおばあさんの手伝いをしていた。鍋を洗い、水を汲み、薪を運ぶ。代わりに、昼と夜のご飯と、納屋の隅を貸してもらった。納屋の一番奥の板壁に、ダンジョンへの扉を一つつないだのは、誰にも内緒だ。
出張所に人手が要ると聞いて、ウッラさんが「この子は働き者だよ」とラーシュさんに言ってくれた。それで、わたしは雑用係になって、寮の部屋に移った。ダンジョンへの扉も、寮の部屋につなぎ直した。
***
昨日ラーシュさんに頼まれた宿の二階の窓は、蝶番を締め直したら閉まった。
今日の届け物は、ヤンネさんの店への書付だ。
通りを歩く。石畳の隙間に、乾いた落ち葉が溜まっている。広い通りの両側に、大きな建物が並んでいる。戸が直って、人が住んでいるのは、まだそのうちの数えるほどだ。一軒の屋根の上で、スヴェンさんが黙って板を打ちつけていた。その下で、カッレさんが板を担いでいる。栗色の髪に、おがくずがついていた。
ヤンネさんの店は、村でただ一軒の店だ。戸を開けると、油と、乾いた薬草の匂いがした。壁の棚には、ポーションの瓶や縄の束や灯りの油の壺が、きちんと背の順に並んでいる。奥の机で、ヤンネさんが攻略者の持ち込んだ品を、一つずつ手に取っている。
赤茶色の髪は、いつもきちんと撫でつけてある。品を窓の明かりにかざして、裏返して、またかざす。そのたびに、黒い目がすばやく動いた。
「薬草は二銅貨。……木の剣は、値がつかないなあ。カッレにでもやって」
「カッレなら、もう持ってるだろ」
攻略者が笑って、木の剣を肩に担ぎ直した。机の上には、ほかにも木の剣が二本、転がっている。
攻略者が出ていくのを待って、机の前に立った。
「ラーシュさんからです」
「ああ、どうも」
書付を受け取りながら、ヤンネさんは、机の上の木の剣を指で弾いた。
「ここのダンジョン、落ちるものが渋くてさ。買い取れるものがないと、こっちも荷馬車を出す甲斐がないんだよね」
「……ラーシュさんに、伝えておきます」
「言っても、どうにもなんないでしょ」
その通りだ。ラーシュさんにはどうにもできない。木の剣を置いたのは、わたしだ。グリモワールさんは、それも「素晴らしい」と書いてくれたのだけれど。
ヤンネさんは小さく肩をすくめると、机の上の木の剣をまとめて床に置いた。がちゃがちゃと賑やかな音がした。
店の前には、ヤンネさんがグルドベリから運んできた、小さな映写板が置いてある。今は、村のダンジョンに潜っている誰かの配信が映っていて、手の空いた村の人が二、三人、足を止めて眺めていた。
わたしも、少しだけ足を止める。
二つ目の部屋で、盾役の人の足が、床の継ぎ目の上で止まっていた。
『うわ、足止めかよ』
『いいから早く抜けろって』
残りの人たちは、奥で角兎が飛び跳ねている部屋を、ぐるりと見回している。
「あそこで、みんな止まるんだよなあ」
隣で見ていたおじいさんが、のんびりと言った。
届け物の途中だったことを思い出して、わたしは映写板の前を離れた。
昼は、ウッラさんの軒先で食べる。
村には、食堂がない。ウッラさんが家の軒先に鍋を一つ出して、攻略者にスープとパンを売っている。長椅子も、一つきり。
大きな鍋から、湯気と、豆と玉ねぎを煮込んだ匂いが立っていた。
木靴の音をさせて、ウッラさんが鍋の前に立つ。わたしよりも背が低い。ふっくらと頼りがいがあって、まくり上げた袖から出た腕も逞しい。色の褪せた赤い頭巾から、白い髪が少しだけ覗いている。染みの残る前掛けで手を拭いて、椀によそってくれる。パンとスープで、七銅貨。
「ほら、リン。今日は豆が多いよ。あんたは、もっと食べなきゃ大きくなんないんだから」
「もう、大きくはならないと思います」
「なるよ。食べればね」
長椅子は、もう埋まりかけていた。向こうの端では、攻略者が三人、肩を寄せて話している。
「順番待ちがねえのは、いいんだけどさ」
「稼げねえんじゃなあ。来週には、グルドベリに戻るか」
こちらの端では、黒い髪の背の高い人が、椀を傾けていた。昨日の、あの人だった。
空いているのは、その隣だけだ。
少し迷ってから、隣に腰を下ろした。座っても、その人の顔は見上げる位置にあった。
その人が、ちらりとこちらを見た。
「あんた、昨日の」
「……雑用係です」
わたしは、豆を少し掬った。
その人は匙いっぱいの具を口に入れて、噛んで、飲み込んだ。
「人、少ねえな」
話しかけられるとは思っていなくて、慌てて飲み込んで返事をした。
「出張所も、まだできたばかりなので」
「ゆうべ、ここのダンジョン潜った」
(知ってます。全部見てました)
わたしは、何気なく見えるように匙をスープに差し込んだ。
「……どうでした、か」
そっと、隣を見上げた。
その人は、こっちを見ないまま口を開いた。
「つまんねえ」
息が詰まった。ゆうべ、この人の攻略を見ていた。だから、分かっていた。
それでも、目の奥が熱くなった。瞬いて、涙はこらえた。
「ダンジョンがこの程度じゃ、人は集まらねえよ」
静かな声で言って、その人はパンをちぎった。
わたしは俯いて、匙でスープを掻き回した。
「でも、二部屋目の罠は……」
言いかけて、慌てて口を閉じた。うっかり、言ってしまうところだった。ダンジョンマスターしか知らないはずのことを。
その人が、パンをちぎる手を止めて、こちらを見下ろした。
「へえ。詳しいな」
「は、配信で、見たので」
その人は、何も言わない。薄い灰色の目が、わたしを見ている。
目を逸らせないまま、口を開いた。
「……ダンジョン、好きなんです。攻略者だったので」
「それが、なんで雑用係に」
「ギルドなら、ダンジョンの近くにいられるので」
「ふうん」
視線が、ふいと逸れた。それでわたしは、体の力を抜いた。息を吐く。
その人は、空になった椀を持って立ち上がり、鍋の前のウッラさんに差し出した。
「おかわりくれ」
ウッラさんは椀を受け取って、それから、その人の顔をじっと見上げた。皺に埋もれた小さな目が、さらに細くなる。
「あんた……停留所の家の、エイナルだね」
その人は、ちょっと動きを止めて、それから横を向いた。
「……十五年ぶり」
「大きくなったねえ」
ウッラさんは、鍋の底をさらうようにして、椀を山盛りにした。
エイナル、という名前らしい。
十五年ぶりに、この村に帰ってきた人。行き止まりの村に、帰ってくる人もいるのだ。
エイナルさんは、山盛りの椀を受け取って、長椅子に戻ってきた。何も言わずに、匙を動かす。さっきまでと同じ速さで、椀の中身が減っていく。細い体のどこに、そんなに入るのかと思う勢いだった。
わたしは、自分の椀に目を落とした。豆は、まだ半分も減っていなかった。
出張所に戻って、ラーシュさんの机の脇の屑籠から、書き損じの紙を一枚もらった。
受付の隅のペンを借りて、裏に「つまんねえ」と書いた。力が入りすぎて、ペン先が紙に引っかかった。インクが、小さく滲む。
その下に、「この程度じゃ、人は集まらねえ」。
それから、ゆうべの分も。「この罠、意味ねえだろ」。「余ったからとりあえず置いたみたいな配置」。
書いてみると、紙の半分が埋まった。
残りの半分に何か書こうとして、ペンが止まった。言い返す言葉は、まだ一つも出てこない。
インクが乾くのを待って、四つに畳み、スカートのポケットにしまった。




