2 ファンブルが出るので攻略者はできなくなりました
三か月前、夏の終わり。
わたしは、誰も通らない古い街道を歩いていた。
石畳の継ぎ目から、草が膝の高さまで伸びている。轍の跡はとっくに消えて、道というより、細長い草原のようだった。グルドベリを出てから、人には一人も会っていない。
それでいい。大きな街道には、攻略者も乗合馬車も行き交っている。「規格外」の話を知っている人に、もう会いたくなかった。
故郷のオーケルビーは、グルドベリから見て反対の方角にある。だから、こっちへ来た。行き先は決めていない。とりあえず歩く。着くまでに考える。
背中で、杖が小さく鳴った。
***
ダンジョンのない村で、わたしは攻略者に憧れて育った。
子どもの頃、寝る前に、おばあちゃんがおとぎ話を聞かせてくれた。
一番好きだったのは、「ヨルンと霜の竜」。たった一人でダンジョンの奥へ潜って、霜の竜を倒した魔術師の話だ。凍った息を吐く竜に、ヨルンは最後の一撃の炎を叩き込む。何度聞いても、そこで胸が高鳴った。
おばあちゃんも、若い頃は村の外へ出てみたかったのだという。おとぎ話の終わりに、いつも少しだけ、遠くを見る目をしていた。
十六になって、村を出ると言ったとき、父も母も反対した。村に残って、鍛冶屋の息子と結婚する。そう決まっていたから。
おばあちゃんだけが、こっそりお金を持たせてくれた。肩掛けと一緒に。そして「行っておいで」と手を握ってくれた。
初めて見るダンジョン街は、どこもかしこも人で溢れていた。広場の大きな映写板の前で、知らない誰かの攻略に、みんなが声を上げていた。いつか、わたしもあそこに映るのだと思った。
グルドベリのギルドで、攻略者の登録をした。マナの量は「規格外」だと言われた。魔術師になって、おばあちゃんのお金で杖を買った。真っ先に覚えた魔法は、ヨルンと同じ火炎だった。
けれど、わたしの魔法は、ファンブルが異常なほど多かった。クリティカルも多いのに、どちらが出るかは、撃ってみるまで分からない。入れてもらったパーティは、どこも長続きしなかった。「規格外」は、いつのまにか、笑い混じりの呼び名になっていた。
そんなわたしを見かねて、声をかけてくれた人がいた。Cランクの魔術師で、パーティのリーダー。Fランクのわたしには、力の見合わない誘いだった。
「大丈夫だよ。うちに来ない?」
そう言って、笑ってくれた。
その日も、配信をしていた。わたしのランクより、ずっと上のマップだった。
道中から、何度も火炎がファンブルした。炎は狙った相手を逸れて、前にいる仲間の肩を焼いた。手元で弾けて、わたしの指を焦がしたこともあった。撃つたびに、前の誰かが身を固くした。ボス戦に入っても、同じだった。
そして、終わり際。盾役の背中が少し前にあった。ボスの爪を受けるたび、盾の縁が鳴っていた。
「あと少しだよ!」
リーダーの声。
杖を握る手が、汗で滑った。
今度こそ。ヨルンみたいに、最後の一撃を。
「火炎」
杖の先端で炎が渦巻く。その炎が、ボスではなく、盾役の背中へ飛んだ。
ファンブルだった。
盾役が、振り返った。驚いた顔をしていた。そのまま、光に包まれて消えた。戦闘不能になって、入り口に戻されたのだ。
盾を失って、リーダーは撤退を選んだ。
外に出ると、盾役は先に戻っていて、わたしに向かって笑って言った。
「入り口に戻されただけだから、大丈夫」
誰も、わたしを責めなかった。
それが、苦しかった。
その配信は、グルドベリの広場の大きな映写板で、大勢が見ていたらしい。「この前の配信、見た?」という話が、攻略者のあいだを渡っていった。会ったこともない人が、わたしを「グルドベリの『規格外』」と呼ぶようになった。
何日かして、わたしは自分から、パーティを抜けると言った。
リーダーは、困った顔をした。少し黙ってから、「分かった」とだけ言った。
お金は、すぐに尽きた。
攻略者向けに揃えた服は、古着屋に売った。今着ているのは、故郷から着てきたスカートだ。手元に残ったのは、故郷から持ってきた布袋と、肩掛けと、杖。それから、首に下げたFランクの攻略者タグだけ。
朝から口にしたのは、最後の銅貨で買った固いパンだけだ。
他の街へ行っても、攻略者としてやっていける気がしない。かといって、故郷に帰る決心もつかない。
だから、歩いている。
***
日が傾いた頃、街道の先に、建物が見えてきた。
村、だと思った。近づくにつれて、その様子が分かった。
広い石畳の通りが、まっすぐに谷の奥へ延びている。両側に、大きな建物が並んでいる。宿屋らしい看板、酒場らしい戸口。どれも窓が割れて、扉が傾いている。
昔は、街だったのだろう。石畳は広く、馬車が何台もすれ違えそうなのに、通りには誰もいない。風が吹くたび、どこかの戸板がかたんと鳴る。
通りのずっと奥に、明かりが数軒だけ、ぽつりぽつりと灯っていた。
(……あそこまで、歩けるかな)
繕った靴の中で、足の裏がじんじんと痛んでいた。
街道が通りに入るところに、古い家が一軒あった。脇に、屋根の落ちかけた馬屋と、荷を置くための広い土間がついている。人の気配はない。
軒先の石の段に、腰を下ろした。肩掛けを体に巻きつけて、杖を抱える。夏の終わりでも、夜の風は冷たい。
明日のことは、明日考えよう。
目を閉じると、すぐに眠りが来た。
***
目が覚めると、石の天井が見えた。
軒先ではない。窓のない、石造りの小さな部屋だ。壁の一面に、大きな石の板が嵌め込まれている。磨いたように平らで、ぼんやりと黒い。その壁の前に、机と椅子が置かれていた。
わたしは、床に寝かされていた。
杖は、腕の中にある。布袋も肩に提げたままだ。肩掛けも。
身を起こすと、石の床に一冊の本が開いて置かれていた。厚い表紙の、立派な装丁の本だった。
白い頁に、濃藍色の字が、ひとりでに綴られていく。
――最初に、このような強引な手段をとったことを謝罪します。
思わず、本から身を引いた。字は、構わずに続く。
――わたしはグリモワール。ダンジョンマスターがその業務を滞りなく行うために用意された、情報端末です。
――ここは、ダンジョンの最奥です。このダンジョンは、十五年前から止まっています。
「最奥って……ヨルンが霜の竜と戦ったみたいな、ダンジョンの一番奥、ですか」
Fランクのわたしは、一度もそんなところまで行けなかった。
――いいえ。攻略者の方は、ここへは入れません。ここは、ダンジョンを作る者のための部屋です。
「作る、者……あの、どうして、わたしが、そんなところに。さっきまで、知らない家の軒先で寝ていたはずで」
頁の字が、少しだけ間を置いた。
――はい。ですので、呼びました。
「呼んだ……」
軒先から、ダンジョンの奥まで。眠っているあいだに。それを「強引な手段」の一言で済ませてしまう本らしい。ただ、わたしの声は、ちゃんと届いているようだった。
――わたしは、ずっと待っていました。このダンジョンを動かせるだけの、マナの持ち主を。
――あなたのマナは、規格外です。
息が止まった。
その言葉なら、知っている。グルドベリで、何度も聞いた。笑い声と一緒に。
けれど、頁の字は、笑っていなかった。
――これほどのマナは、見たことがありません。ダンジョンマスターとして、最高の素質です。この頁のすべてを使って称えても、まだ足りないほどです。
何を言われているのか、受け取れなかった。だから、返事もできなかった。
頁の字は、構わずに増えていく。
――ところで、ヨルン、というのは?
「……おとぎ話の、魔術師です。一人で霜の竜を倒した」
――なるほど、おとぎ話ですか。
――お好きなんですか、おとぎ話が。
「……はい」
頷いてから、何を話しているんだろう、と思った。しかも、相手は本だ。
――では、ここでおとぎ話のようなダンジョンを、作りませんか。
「作る……わたしが?」
霜の竜。凍った谷。一人きりの魔術師。その光景が頭に浮かんだ。
――はい。あなたが。
「ヨルンが霜の竜を倒したみたいな?」
――そうです、マスター。
まだ何も決めていないのに、頁はもう、わたしを「マスター」と呼んでいた。
わたしは、本の前に座り直していた。杖を握りしめて、頁を見つめる。
頁の字が、ひときわ大きく綴られた。
――このダンジョンには、あなたが必要です。
必要。
わたしが。
ファンブルばかりで、パーティを抜けて、行くところもなくて、知らない家の軒先で眠っていた、このわたしが。
その一行を、わたしは何度も読み返していた。




