1 「次はもうちょいマシにしとけよ」と言われました
昼のわたしは、攻略者ギルドの雑用係だ。
「リンさん、すみません、手が空いたらで構いませんので、いえ、できれば午前のうちに、三軒目の空き家の鍵をスヴェンさんのところへ、それからヤンネさんの店にこの包みを、ああ、それと宿の二階の窓が閉まらないそうで、申し訳ないんですが、それも」
「はい。鍵と、包みと、窓ですね」
奥の机のラーシュさんに返事をして、雑巾を絞る。秋の終わりの水は冷たくて、指先がじんと痛い。肩から落ちてきた三つ編みを払って、壁の釘から鍵束を取った。
出張所は、がらんとしている。昔の建物を直して使っているので、広さだけはあるけれど、物も人も、まだ足りない。雑用だけはいくらでもある。
受付では、ティーラさんが表情ひとつ変えずに書類を捌いていた。机の前には、攻略者が四人並んでいる。
列の前の方にいた三人は、パーティらしい。そのうちの一人が、わたしの方を見て、隣の人の肘をつついた。
「あれ、グルドベリの『規格外』だろ」
「ああ、配信で見た。組んだら全滅するってやつ」
「クリティカルもやたら出るらしいけどな。当たる相手を選べねえんじゃ、意味ねえよ」
笑い声が上がる。悪気のある声じゃない。面白い話の種を見つけた、というだけの声だ。
わたしは鍵束を握り直して、いつものように、聞こえないふりで扉の方へ歩き出した。
もう慣れた。グルドベリでも、リュクタに来てからも、何度も聞いた話だ。
舌打ちが聞こえたのは、そのときだった。
「全滅なんざ、誰だってするだろ」
列の一番後ろにいた人だった。前の三人より、頭一つ分は高い。細い体に煤けた色の外套を引っかけて、肩にかかる黒い髪を、うなじで無造作に縛っている。
「人の噂で暇つぶしてんなら、そこどけよ。後ろが詰まってんだ」
声は大きくない。けれど、前髪の下からのぞく薄い色の目が、三人を順に見ていく。鋭い目つきはまるで睨んでいるようだった。
三人は顔を見合わせて、黙った。
出張所の中が、しんとした。ラーシュさんの早口まで止まっている。
「次の方」
ティーラさんの平らな声で、ようやく空気が動いた。三人はそそくさと手続きを済ませて、出ていく。
最後に、その人が受付の前に立った。首から下げた攻略者タグを外して、ティーラさんの前に置く。ティーラさんが、それを確かめる。
「リュクタの出張所は、初めてですね」
「ああ」
この村に新しく来た、攻略者のようだった。
わたしは、扉の前に立ったままだった。鍵束を持って、なんとなく、出ていけずにいた。
受付を終えて歩いてくるその人に、頭を下げる。
「あの、さっき、ありがとうございました」
その人は、ちらりとわたしを見下ろした。近くで見ると、本当に背が高い。首をうんと反らさないと、顔が見えない。外套の下の体は、骨ばって細かった。
「別に。ああいうの、本気でイラつくだけ」
わたしを庇ってくれたわけではないみたいだった。何と返そうか迷っているうちに、その人は真顔のまま続けた。
「で、本当にそんなに出んの? クリティカル」
「……え?」
わたしは、目を瞬いた。
規格外の話をされるとき、聞かれるのはいつも、ファンブルの方だ。どのくらい出るのか。誰に当たったのか。本当に全滅したのか。
戸惑ったまま、頷いた。
「出ます。……ファンブルも、同じくらい出ますけど」
「へえ」
わたしを見ていた薄い灰色の目が、少しだけ細くなった。
「あんた、名前は」
あの噂のあとで、名前を聞かれるとは思っていなかった。
見上げたまま、答える。
「……リンです」
「ふうん」
それきり、興味をなくしたように視線が逸れて、その人は出ていった。
仕事の途中だったことを思い出して、わたしも慌てて出張所を出た。
***
夜のわたしは、このリュクタのダンジョンの、ダンジョンマスターだ。
出張所での仕事を終えて寮の部屋に戻ると、机の引き出しを開ける。
奥に、攻略者だった頃のFランクのタグがある。その隣から、布に包んだ本を取り出す。黒い表紙に、銀箔の細かな模様。繕った服しか持っていない雑用係の部屋には、どう見ても似合わない本だ。
それを胸に抱えて、部屋の隅の、もう一つの扉を開ける。これは、ダンジョンマスターにしか見えない扉だ。
扉の向こうは、石造りの小さな部屋。灯りもないのに部屋は明るい。壁に、大きな石の板が嵌め込まれている。
椅子に腰を下ろして、本を膝の上で開く。白い頁に、濃藍色の整った字が浮かんだ。
――こんばんは、マスター。
「こんばんは、グリモワールさん」
ここは、ダンジョンの最奥。攻略者は入れない、ダンジョンマスターの部屋だ。
壁の石の板が、ぼんやりと光った。投影石が映すのは、わたしのダンジョンの、今の様子。
といっても、夜はいつも、誰もいない入り口が映っているだけだ。攻略者が潜ってくるのは昼間で、昼間のわたしは、村じゅうを走り回っている。自分のダンジョンなのに、誰かが攻略するところを、ゆっくり見たことはほとんどない。
――攻略者が一名、入場しました。
思わず、頁と投影石を見比べた。
夜に? 今から?
身を乗り出す。どんな人だろう。どこで足を止めるだろう。二つ目の部屋の罠に、気づくだろうか。
投影石の中に、背の高い人影が現れた。煤けた外套。うなじで縛った黒い髪。
(……昼間の人だ)
頁の余白に、ずいぶん小さな字で一行。
――当該攻略者、配信なし。回収寄与率は低めです。
さっきの「こんばんは」と、同じ本の字とは思えない。
その人は、最初の部屋の真ん中で立ち止まって、ぐるりと見回した。それから、長い溜め息をついた。
『……これ作ったやつ、初めてだな』
(なんで分かるんですか)
膝の上のグリモワールさんを取り落としそうになって、頁に「扱いは気を付けてください」と書かれてしまった。
その人は、もう歩き出している。通路の先で、角兎が跳ねた。一匹、二匹、三匹。額の小さな角を向けて、跳ねる向きを変えながら近づいていく。
(大丈夫。角兎は、一匹ずつは弱いけれど、三匹いれば少しは……)
その人は、杖を構えもしなかった。半歩だけ右に寄る。一匹目が、その人のいた場所を跳び越えていく。二匹目の着地の前に、もう通り過ぎている。三匹目は、壁を蹴って向きを変えたところで、その人を見失った。
(……少しは、足止めに、なると、思ったんですけど)
――当該攻略者、道中の戦闘回数ゼロ。回収量、ほぼゼロです。
(せめて一匹くらい、相手してくれても!)
二つ目の部屋に入ったところで、その人の足が床の継ぎ目を跨いだ。わたしが三日かけて悩んで置いた罠だ。
『ここ、最初は別の罠置こうとして、やめたろ』
その人は、足も止めずに言った。
『足止めしたって、そのあと何も来ねえんじゃな。……この罠、意味ねえだろ』
最初は、落とし穴にするつもりだった。配置コストが足りなくて、泣く泣く足止めの罠にした。三日も悩んだのに。誰にも言っていないのに。言う相手もいないのに。
(なんで分かるんですか!)
部屋の奥には、角兎が五匹、ばらばらに散っている。その人は立ち止まってそれを眺めると、鼻を鳴らした。
『余ったからとりあえず置いたみたいな配置だな』
(余ったんです。本当に、余ったんです)
――素晴らしい配置です、マスター。手持ちの素材を活かしたマップです。素材が増えれば、マスターの設計は、さらに輝くことでしょう。
同じ配置を見て、グリモワールさんはそう書いてくれる。
手持ちの素材を活かして、というのはつまり、それしか持ってない、ということなのだけれど。
投影石と頁のあいだで、わたしは、どちらにも何も言えなかった。
その人は五匹の間を、散歩でもするみたいに抜けていく。角兎の方は、一匹も、その人に気づきさえしない。
一番奥の部屋の真ん中に、大蛙がどっしりと座っている。跳ね回る角兎の道中のあとに、動かない蛙。こうして見ると、自分でもちぐはぐだと思う。思うけれど、手持ちのモンスターがそれしかなかったのだ。本当に、それしか。
ボスを倒さないと、ゴールの魔法陣は開かないようになっている。その人は舌打ちを一つして、面倒くさそうに杖を持ち上げた。
大蛙の喉が、ぷくりと膨らむ。口が開くよりも早く、その人は大蛙の目の前に飛び込んで、杖を突き付けた。
『破裂』
短い一言だった。大蛙が、虹色の光の粒になってほどけていく。
一撃。わたしの、一番奥の部屋が。
魔法陣が光る。その人は、その上に立って、光に包まれる前に、一度だけ部屋を振り返った。
『……次はもうちょいマシにしとけよ』
誰かに言ったつもりもないのだと思う。でも、わたしがここで聞いていた。
光が消えて、投影石の中は、また入り口の様子に戻った。
――当該攻略者、退場しました。回収量は、残念ながら非常に少ないです。
投影石の前で、わたしは膝の上のグリモワールさんを握りしめた。
昼間、噂を止めてくれた人だった。その人に、わたしのダンジョンを、こてんぱんに言われた。
言い返すことは、できない。マスターの声は、ダンジョンの中には届かない。届いたとしても、何と言えばいいのか分からない。
「わたしのダンジョン、そんなに駄目かな」
頁をめくって、設計の頁を開く。方眼の上に並んだ、三つの部屋と、一本の通路。三日悩んだ罠の場所を、指でなぞった。
どこをどう直せばいいのか見当もつかないまま、去り際の一言を思い出した。次は、とあの人は言った。
(……次が、あるんですか)
それなら、次は。
わたしのダンジョンで、あの人の足を止めさせたい。
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本日は、8時・9時・10時・19時に、2〜5話を投稿します。
明日も5話(6〜10話)、その後は毎日、朝7時と夜19時の2話ずつ更新します。




