第1章 2:骨格の設計図
「……っ、げほっ! ごほっ、ごほっ……!」
肺の腑を直接抉られるような、重苦しく湿った空気が気道を駆け抜けた。
駆は激しく咳き込みながら、泥の中に顔を突っ伏した状態で目を覚ました。
口の中に広がるのは、エジプトのさらさらとした乾燥した砂ではない。
ねっとりとした、生命の腐敗と新生が混ざり合ったような濃厚な泥の味だった。
「ここは……どこだ? ギザの発掘テントは……?」
上体を起こし、泥を拭いながら周囲を見回した駆は、その光景に言葉を失った。
そこは砂漠ではなかった。
見たこともないほど巨大で、鬱蒼とした大森林。
ビルを見上げるように高く生い茂るシダ植物。
見たこともない色彩の巨大な花々。
現代の地球には存在しない、濃厚な植物の息吹と生命の臭いが、じっとりと肌にまとわりついてくる。
ポケットを探るが、スマートフォンの通信機能はすべて沈黙していた。
立ち上がろうと、駆が泥まみれの膝に力を込めた、その時だった。
ズゥゥゥゥン……!!!
大気が、そして大地が、根底からひっくり返るような凄まじい地鳴りが轟いた。
衝撃のあまり、駆は再び泥の中へと倒れ込む。
周囲の巨木がドミノ倒しのようにバリバリと音を立ててへし折れ、頭上の青空が急速に開けていく。
「な、なんだ!? 地震か……!? いや、違う!」
駆が仰向けになり、恐怖に目を見開いて見上げた先。
空を完全に覆い尽くすほどの「強大な大質量」が、頭上からまっすぐに降ってきた。
それは、家一軒が丸ごと自由落下してくるかのような、絶望的な質量を誇る生き物の『足』だった。
「うわあああぁっ!?」
本能が叫んだ。
駆は泥まみれになりながら、なりふり構わず後方へと全力で飛び退いた。
無様に地面を転がり、背中をシダの茎に激しく打ちつける。
間一髪、その直後に巨大な足が、先ほどまで駆が倒れていた地面を容赦なく踏みつけた。
ドスゥゥゥゥン!!!!!!
爆風のような土煙と泥の雨が全方位に舞い散り、凄まじい風圧が駆の身体を地面に縫い付ける。
目の前の地面は、一瞬にしてクレーターのように陥没していた。
もしあと一瞬でも判断が遅れていたら、骨も残らず肉片に変えられていただろう。
「ひっ……はぁ、はぁ、はぁ……!」
心臓が破裂しそうなほどの恐怖のなか、呼吸すら忘れて駆はゆっくりと顔を上げた。
そこにいたのは、全長30メートル、高さはビルの4階層にも達しようかという、超巨大なブラキオサウルスの成体だった。
しかし、その姿を見た瞬間、駆の全身の硬直は別の意味へと変わった。
恐怖は霧散し、彼の脳内でパチン、と重々しい「天才スイッチ」が火を吹いた。
「……あり得ない。いや、これこそが『真実』だ……!」
駆は泥まみれで尻餅をついたまま、恍惚とした表情で立ち上がり、目を血走らせてその巨体を見つめた。
そのブラキオサウルスの首の付け根から背中、そして腰にかけて、鈍く光る未知のカルシウム合金製の補強フレームが、骨格に直接ボルト留めで固定されていた。
それだけではない。
フレームには複雑に張り巡らされた無数の太い麻縄と、巨大な青銅製の滑車群が厳重にシステム化されている。
さらに、その巨大な胸筋の隙間、ちょうど心臓の直上にあたる位置には、流線型をした有機金属製の「コックピット(運転席)」が埋め込まれ、そのハッチが淡い緑色の生体発光を放っていた。
「腸骨の発達、大腿骨の結合角度、そして背骨の突起……やっぱりそうだ! 」
「進化の過程なんかじゃない! 現代のクレーン車のブーム(伸縮アーム)とカウンターウェイトと、全く同じ構造計算の対比だ!」
駆は自分の頭を抱え、笑いを堪えきれないといった様子で早口で呟き始めた。
「背中の滑車群と連動させることで、長い首を支点にして、垂直に10トン以上の石材を吊り上げるために『最適化された構造』……!
生物としての肉体じゃない、これは完璧に計算され尽くした『超大型生体クレーン重機』だ!! 」
「僕の仮説は、1ミリも間違っていなかったんだ!!」
学会で変人扱いされ、妄想だと切り捨てられた駆の孤独な10年間の研究が、今、目の前で「生きて動く10トンの現実」として証明されたのだ。
駆は端正な顔を歓喜に歪め、狂ったようにスケッチブックにその骨格とフレームの連動を書き殴り始めた。
「おい! お前、そこで何をしている! 危ないぞ!」
頭上から、スピーカーを通したような少年のみずみずしい声が響いた。
ブラキオサウルスの胸部、コクピットの生体ハッチがウィーンと音を立てて開き、中から一人の少年が身を乗り出して駆を見下ろしていた。
少年――ロッソ(12歳)は、見たこともない緻密な繊維の衣服を纏い、その両手には、淡く発光する一対の「生体手綱」(※1)を握りしめていた。
間違いなく、この30メートルの巨躯を意のままに操縦している、古代の職人だった。
駆は先ほどの死の恐怖など完全に忘れ、目を爛々と輝かせたままロッソを見上げ、純粋な好奇心と熱情に満ちた声を張り上げた。
「すごい……! 君がこのクレーンを動かしているのか!? 」
「でも、どうやってその生体サーボ(筋肉)の圧力と、出力を制御しているんだ!? 」
「その手綱の伝達神経システムは一体どういう構造なんだ!? ぜひ、僕に教えてくれ!!」
タイムスリップした現代の天才骨格オタクと、巨大な生体重機を駆る超古代の少年。
時空の崩壊の果てに交わった、あり得ざる二人の出会い。
これこそが、世界を揺るがす『プロジェクト・ジュラ』の、真の幕開けだった。
(第1章・完 / 第2章へ続く)
(※1)本作における「手綱と操縦桿」は、ただの引き紐などではなく、操縦士の脳波パルスを恐竜の脳へダイレクトにソケット接続(同期)させるための精神伝達インターフェースシステムです。




