初出社と階段3
「で、二階が出動課」
また階段をくだる。
「それで、死んだ人間はいないって聞いたけど。どうやって、動けるようになるの?」
踊り場で管野は立ち止まる。
「半径六メートル以内で二人動ければ、あとはドミノ倒しみたいに全員が動けるようになる。一人が動けて、自己忘却した他の誰かの肩を叩いたとしても反応は起こせない。俺達、出動課はその最初の二人だ。だからだいたいペアで動く。この間みたいな規模のでかいのは例外だけどな」
「どうやって動けるようになるの?」
日永は同じ質問をまたした。
「俺達は訓練を受けてる。暗証乱文を唱える。暗乱ってみんな略して呼んでる。不透明な窒息が始まる前の忘却作用が起きる二分間、その時間は例えるなら現実と空想の重なりだ」
階段を駆け上がってくる音がだんだん大きくなって近づいてきて、管野の話を遮った。
「あ、おはようございます。管野君」
「あ、白鳥さん」
肩までの黒髪を揺らす白鳥は息切れをしていた。ノーフレムの丸眼鏡をかけていて、ベージュのセーターにカラシ色のロングスカートをはいていた。
「遅刻しちゃって」
白鳥は泣きそうな声が踊り場に響く。
「知ってます。なんで階段ですか?エレベーターの方が早いでしょうよ」
「待つより走った方が早い気がするでしょ!あ、これあげる」
白鳥は持っていた紙袋からチョコレートドーナツをくわえると、あとは管野の胸に押し付けた。大股で階段を上がっていく。
「白鳥さん! 今日から来た日永です!」
管野が日永を指差す。白鳥は振り返るとドーナツをくわえたまま日永になぜか敬礼した。流されるがままに日永も敬礼で返した。管野がえっと声を上げた。
「こっちもチョコレートドーナツだよ。ドーナツ屋行って普通、同じの二個買う?」
「俺はチョコレート買うなら、片方はふわふわの白いやつにする。やわらかいの」
日永は中身は生クリームで、粉砂糖がたっぷりかかったドーナルを想像する。
「俺はチュロス」
「わっ! 管野大人じゃん!」
「そうでもないだろ、チュロスは」
「だって、固いじゃん、あれ」
「基準それ?」
管野はドーナツを半分にすると、日永と分けた。
「そんで、二分間は現実と空想の重なりなわけ。その間、自己忘却すんの。自分事態がわからなくなる。俺達は『暗示象徴』っていうのを脳に深く深く刷り込ませている。とにかく暗示象徴を思い出す。これが暗乱を思い出すヒントになる。暗乱は日常生活で絶対に使わない脈絡がむちゃくちゃなものじゃないといけない。でも、覚えやすいように口当たりのいい言葉にしてる。脈絡がむちゃくちゃの度合いが凄い暗乱を使う人間ほど頭がおかしい」
「へえ」
日永は話の半分も理解していなかったが、納得しておいた。
「暗乱を口にすることで、自己忘却から自己喚起できて、動けるようになる」
「不透明な窒息については不明なのに、なんでそんなややこしい対処法は知ってんの?」
簡単に解明できる対処法とは日永は思えなかった。
「師巻さんがその情報をかっぱらって来たんだよ。それで、この会社ができたんだ。出動課は、不透明な窒息を未然に防ぐのと解明が仕事だけど、資本元の目的は殯の確保だよ」
「そのひとりのためだけに会社ができたってこと?」
日永は驚く。管野はドーナツを食べながら続ける。
「それだけやばい人間だってことだよ。国は関わりたくないけど、無視できない。責任は取りたくないけど、無視できない。無視できないことを引き受けてるのがうちの会社」
「もう闇の組織じゃん」
日永はやっぱり帰りたかった。けれど、新しいバイト先を見つけるのが億劫なのも事実だった。
「否定はしないが、活動は健全だ。さっきも言ったが、俺がここに来てからは誰も窒息死してない。とりあえず、しばらくいてみろよ」
管野は階段を駆け下りる。日永は唸りながらもついていった。
「まあ、調査は俺らの担当じゃないけど。師巻さんの調べでは冬野博士っていう天才が関わってたらしい。もう死んでるけど」
「冬野博士」
日永は繰り返した。ドーナツを食べて、飲み込む。
「俺達はただ、現場行って手早く処理して、運が良ければ情報持って帰る。それだけだ」
出動課のオフィスフロアに入った。壁は白く、床にはアイボリーの絨毯が引きつめられている。中央に大きい円テーブルが陣取っている。そばには縦長のマーカーボードが三つあった。薄い灰色の壁側はすべて、透明アクリルで仕切られ、半個室になっていた。日永は知らない日常が整えられたオフィスを見渡した。
「半個室がそれぞれに貰える」
「え、嘘! カッコイイ!」
感動した日永はウキウキした。
「日永はここだよ」
自分のスペースから出てきた木森がガラスに貼ってある紙を指差した。そこには「日永☆」とマジックで書かれていた。他の部屋はアクリル板にローマ字でそれぞれの名前が印字してあった。
「私が書いてあげたの」
木森は後ろで三つ編みをし、ショッキングピンクの大きいニットにスキニーを履いていた。管野がいうごちゃごちゃは派手だということかと日永は考えていた。
「ルームネームをいれるのはシール手配しないといけなくて。とりあえずそれで我慢してね」
室崎が申し訳なさそうにした。室崎は白のワイシャツに紫の薄手のジャンパーをはおっていた。日永は室崎の背中にまわる。ジャンパーの背中には「QUAI COMPANY」のロゴが白で大きく入っていた。
「制服あるんじゃん! 管野さっきないって」
「あるだけだよ。着ても着なくても自由。みんなダサいから着てないけどね」
居里が横から日永に教えてやった。
「そんなにダサいかなあ?僕は好きだけど」
室崎は気にせず笑った。
「ロッカーには置いてるけど」
木森が言った。
「まあ、僕も社内でしかはおってないけどね。日永君のも発注しとくから」
室崎が言うと、日永はわあっと喜んだ。
「来たら俺も着ます!」
「あははっ! 仲間になろうねぇ!」
二人が笑い合う。そこに宮がやってきた。宮はいつだってきっちりスーツを着ていた。ネクタイを人前ではずしたことはない。
「よく来てくれたね。ちょっと書類にサインして欲しいから、私の所へ」
「あ、はい」
日永は頷く。
「鐘霞出て来てないよ。あの人どこ行った?」
居里が空っぽの鐘霞のブースを見た。
「さっきコーヒー買いに行くって出て行きました」
木森が言った。居里は顔をゆがめた。
「新人来るってわかってるのに。感じ悪ッ! いくつよ!」
「この間二十九歳になったって。パウンドケーキあげたんだ」
室崎が言った。
「手作りですか?」
管野が聞く。室崎は首を横に振る。
「コンビニだよ」
オフィスの中央で盛り上がる声を背に、日永は宮の部屋に入った。音楽が流れていた。スキャットとトランペットの音。宮は音楽を切った。デスクの前に、もうひとつ縦長のテーブルがあった。
「そこに座って」
日永が座ると、宮は五枚書類を並べた。
「全部読んで、納得したら五枚目の下のところにサインして」
宮が人差し指で二回叩いた。日永そこをじっと見て、書類をパラパラめくった。
「これ、全部読まないといけないんですか?」
「わけのわからない書類に何も考えずサインするものじゃないよ、日永」
日永は長い文章を読み流し、短い時間考え、宮に呼ばれた名前を力を込めて書いた。




